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今年の2月18日に掲載した拙ブログ「【受刑者】に さん付け?ってどこの国の話かと思ったら 日本でした!」で、受刑者に「さん付けはおかしいだろう」という疑問を呈しましたが、6月22付朝日新聞「耕論」欄に、またまた当該問題に関する記事が掲載されていました。
法の裁きは犯罪者の立ち直り支援?
ここでは、3人の識者が「さん」「くん」の呼称についての意見を語られていますが、なかの一人、元日弁連副会長で弁護士の土井裕明氏が、他の二人が「社会生活の中」での意見を述べたのとは違い、「受刑者」の呼称について朝日新聞記者のインタビューに応えています。
【記事要約:ChatGPT】
法務省は、刑務所で受刑者を呼ぶ際に名字に「さん」を付ける運用に改めました。名古屋刑務所での暴行事件がきっかけで、呼称を見直す提言がされました。呼び捨ては支配的関係を固定化し、人権侵害や再犯防止の障害となるためです。受刑者を尊重することが重要とされています。
土井氏は、刑務所内での「呼称を見直すよう同省に提言した第三者委員会」の委員を務めたそうで、「20代の職員たちが父親や祖父の年齢にあたる受刑者たちを呼び捨てにしていたのです」と、刑務所内での実態を明かしています。
わたしは、自分のことを「どこにでもいるごく普通の感覚を持った日本人」(これの定義はかなり難しいとは思いますが、ここではあまり深く突っ込まないでください ('ω'))と思っていますが、その感覚からすると「受刑者を呼び捨てはおかしい?」と、逆に疑問を持ってしまいます。
受刑者たちは、「社会で罪を犯し、その罪を償うために刑に服している」。
いくら「同じ人間」で「人権」があるからといって、「さん付けはやり過ぎだろ!」と考えてしまうのは、どうやら今の日本では通用しない考え方のようです。
2025年に施行される改正刑法では、刑罰の目的が「懲らしめ」から「立ち直り」に転換されるということです。
もはや犯罪者が法の裁きを受けるのは「懲役」ではなく、「社会復帰のための支援」のようです。
私なんぞ、六法全書の「難解で暗号のような日本語」はとんと理解不能ですが、見事それをクリアして司法試験をパスした高い頭脳をお持ちの法律家のお歴々は、犯罪者に対する理解もかなりのものがおありのようです。
でもそこには、いちばん大事な「犯罪被害者」のことが、忘れ去られているような気がしてなりません。
刑の確定した受刑者を「さん付け」で呼ばなければならないなら、まだ刑の確定していない容疑者を「呼び捨て」にすることは、許されませんよね?
報道でも「強盗殺人事件の容疑者〇〇さんは……」となるんでしょうか?
そのときの、被害者や家族、遺族の感情なんて、法律家にとってはどうでもいいんでしょうね。
難解な六法全書が理解できても、「人としてもっと大事なことを理解できない人たち」が作る法律。
そんな法律に従わなければならないのは、はたして健全な社会といえるのでしょうか?
私には、まったくもって疑問でしかありません。
追記:「耕論」内で、他のふたつとは異質の問題を取り上げた朝日の姿勢に、「?」と思ったのは、私のうがった見方でしょうか?