山あり谷あり、波乱の人生ドンブラコ!
ようやくたどり着いたあこがれの年金生活‥
夢見た悠々自適の年金生活は、
なぜか幽遊自虐の年金生活にさま変わり‥
だがしか~し転んでもただでは起きないのが団塊育ちのいじましさ!
つかんだ節約テクニックを
余すとこなくご披露いたしましょ~ぅ
こちらからどうぞ
国会の超党派議員連盟が
女性候補者を増やすための具体策をまとめ
女性の割合が少ない政党の政党交付金を
減額する制度の創設を提案しています。
この制度はフランスや韓国、
ポルトガルなどで既に導入されており、
公的な政治資金の配分を増減することで
男女の候補者が同数になることを
目指しているようです。
男女の特性が作る男女の役割
近年は「ジェンダー平等」、「ジェンダー差別」という言葉を頻繁に見聞きします。
「ジェンダー平等」、「ジェンダー差別」とも、そこには「男女同数」であることが至上命題であるかのように論じられています。
今回発表された『国政選挙の候補者に女性を増やすための具体策の方針』もその一つで、選挙の候補者が男女同数になることを目指したものです。
でも、「男女同数」が本当に「ジェンダー平等」と言えるのか、私ははなはだ疑問、いえ、ハッキリ言ってそれは「大いなる勘違い」だと思います。
男女の間に資質や特性の違いがあることは、どう考えても当たり前のことです。
「男子は外に、女子は家庭に」というステレオタイプな固定観念は論外としても、そうした特性を生まれ持った資質として内包しているのが人類だと思います。
そもそもそんなルールは誰が決めたものでもなく、誰から強制されたものでもありません。
ヒトとして地球に誕生して以来、ヒトが生存するための手段として、生物学的なオスとメスの特性を生かした、自然に身につけた知恵です。
文明・文化が発達し、男女の役割は少しずつ変わってきてはいますが、それがいきなり「男女同数が男女平等」と言い張るのは、かなり乱暴な意見だと思います。
「ジェンダー平等」とは、機会が同じように与えられることであって、外からの強制で「男女同数」にすることではないでしょう。
機会が与えられた結果「男=女」「男>女」「男<女」のどれになるのか、それはそれで認めるしかないのでは、と思います。