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【通州事件】【葛根廟事件】を知ってますか?
二回目の今日は
「葛根廟(かつこんびょう)事件」
についてのお話です。
こちらからどうぞ
中立条約を一方的に破棄し
満州に侵攻したソ連
「葛根廟(かつこんびょう)事件」は終戦直前の1945年(昭和20年)8月14日に中国の河北省通州で起きた日本人虐殺事件です。
78年前の今日、日本人小学生200名以上と日本人女性900名以上が刃物で乳房を切り取られ、膣に手榴弾を入れられ、殺害されました。赤ちゃんを抱いたお母さんは、生きたまま赤ちゃんと一緒に車で引きずり回され、内臓が飛び出しました。
— 橋本琴絵 (@HashimotoKotoe) August 14, 2023
犯人は共産主義者です。
葛根廟事件といいます。
日本と結んでいた日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連は、当時の満州国に侵攻し軍属や住民の日本人を虐殺した事件です。
以下は、AI がまとめた事件の経過です。
1945年8月8日、ソ連は日ソ中立条約を破棄して日本に宣戦を布告し、翌日に満州国、朝鮮半島、樺太などに侵攻を開始しました。
興安総省の省都である興安街には、約3000人の日本人居留民が住んでいました。彼らは、ソ連軍の侵攻に備えて、3つの班に分かれて避難する計画を立てていました。
第1班は、興安街の西半分の住民で、総省公署や軍関係者が多く含まれていました。彼らは、8月10日から11日にかけて、列車やトラックで無事に脱出に成功しました。
第2班は、興安街の東半分の住民で、自営業者や会社員などが多く含まれていました。彼らは、8月11日になっても、列車やトラックがなくなっていることに気づきました。関東軍は、自分たちの家族や財産を先に逃すために、彼らの避難手段を徴用していたのです。
第2班の指導者である浅野良三参事官は、馬車1台を確保して、約1300人の行動隊を組織しました。彼らは、興安街の南東約35キロメートルにあるラマ教寺院の葛根廟に向かうことにしました。そこで列車を待って、さらに南下する予定でした。
第3班は、興安街の近郊にあった東京荏原開拓団と仁義仏立開拓団で、約1400人の日本人が含まれていました。彼らは、8月17日と25日に、ソ連軍や中国人暴徒に襲われて、ほとんどが殺害されました。
第2班の行動隊は、8月14日に葛根廟の近くに到着しましたが、そこでソ連軍の戦車隊と遭遇しました。ソ連軍は、白旗を掲げた浅野参事官を射殺し、非武装の女性や子供を主体とした避難民に対して、機関銃や銃剣で攻撃しました 。
2時間余りの間に、約1000人以上が殺害されたり、自決したりしました。ソ連軍が去った後も、地元の暴徒が生存者を見つけて殺害したり、略奪したりしました 。
確認された生存者はわずか百十数名です。
多くの残留孤児が、このとき生まれています。
ソ連はいまもウクライナ侵攻を続けています。
その理由は「自国民がウクライナから虐待を受けているから」というものです。
日本の北方領土には、ソ連国民が住んでいます。
ウクライナ問題が終結したとき、同じ理由で北海道に侵攻してくるソ連の姿を想像するに難くありません。
「そんなこと、あるわけない!」と楽観的な考えの お花畑思想 の人たちには、50年近い年月を逃亡生活に費やした「東アジア反日武装戦線」の桐島聡容疑者(70)、こんな人間を生み出す背景が、いまの日本にも確実にあるということを認識していただきたいものです。
●われ、正気か!/著:橋本琴絵(2月24日発売予定)
「日本人よ、怒りを知れ」
・岸田さん、国民を舐めすぎじゃ!
・ボーッとしとると、北海道・沖縄をとられるぞ!
・中国に大義名分を与えるな、日本は中国に侵略されるぞ!
・あの〝タレントAさん〟は密入国者だった?
・外国人の性暴力がことごとく無罪。どういうこと?
・「日本に生まれた女性は幸せ」ジェンダーギャップ指数なんてぶっ飛ばせ!
・現役自衛官が靖國神社に参拝して何が悪い!
・震災につけ込んでぶざけた犯罪(マネ)をするな!
・最高裁は日本を変態天国にしたいんか!
・共産主義、LGBT……人が頭で考えたことはロクでもないことばかり!
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