【通州事件】【葛根廟事件】を知ってますか? | 人生100年まだまだこれから! 年金じぃさんの節金スペシャル‼

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1950年(昭和25年・五黄の寅)生まれの年金生活者寅(とら)じぃです。
お国から頂戴いたしております、過分な年金の使い道に困りはて、節金の日々を過ごしておりまする。(過分なら節金は、いらんやろ!)
そんな寅(とら)じぃの節金術、とくとご覧あれ‥‥。

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ほとんどの日本人は

「南京大虐殺」を知っていても

「通州(つうしゅう)事件」

「葛根廟 (かつこんびょう)事件」

なんて聞いたこともないでしょう?

 

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  自虐史観しか教えない
日本の歴史教育

 

このふたつの事件は、戦時中に日本のたくさんの民間人が中国大陸で虐殺された事件です。

戦後の民主教育を受けた私たちは「南京大虐殺」の言葉はよく知っています。

 

でも「通州事件」「葛根廟事件」を知っている人は、ホントに稀です。

わたし自身この記事を書く今日まで、ほとんど知りませんでした。

知ったきっかけは少し古い下のツイッター投稿です。

 

 

葛根廟事件については、「終戦直前ソ連が一方的に日ソ中立条約破棄して旧満州国に侵攻、多くの日本人が悲惨な事態に遭遇した」ということぐらいのことは知っていましたが「葛根廟事件」という名は知りませんでした。

 

「通州事件」については、その名はもちろん何が起きたのかも知りません。

 

学校で習ったことがあれば詳しい内容はともかく、「通州事件」「葛根廟事件」という名称ぐらいは記憶があるだろうと思うのですがそんな記憶もなく、社会に出てからもまったく見聞きした覚えがありません。

 

AI に訊いてみると

「通州事件」および「葛根廟事件」についての具体的な記述が日本の教科書に掲載されているかどうかについては、検索結果からは明確には分かりません。教科書の内容は出版社や教育委員会の審査により異なるため、具体的な教科書を参照することをお勧めします。 ただし、これらの事件については、歴史的な事実として広く認識されています。通州事件は1937年に中国河北省通県(現在の北京市通州区)で発生し、日本軍の通州守備隊と日本人居留民が中国人部隊に襲撃され、少なくとも約300名以上の日本人が虐殺された事件です。一方、葛根廟事件は1945年に満洲国興安総省の葛根廟付近で日本人避難民がソ連軍の攻撃を受け、1000名以上が虐殺された事件です。これらの事件は、戦時中の混乱と悲劇を象徴する出来事として、歴史の教訓として記憶されています。

ということで、どうやら教科書に記述はなさそうです。

戦後の自虐史観教育のもと、自国の加害のみ大げさに教え、被害についてはまったく教えようとはしない日教組の弊害がこんなところにも出ているようです。

そこで日本人が中国・ソ連から受けた戦中の民間人虐殺事件について、調べてみました。

まずは「通州事件」の概要をAI にまとめてもらいました。

「通州事件」とは、1937年(昭和12年)7月29日に中国の河北省通州で起きた日本人虐殺事件です。日本の傀儡政権であった冀東防共自治政府の保安隊が、日本軍と日本人居留民を襲撃し、約300人以上を殺害しました。この事件は、日中戦争の勃発と南京事件の引き金となりました。 事件の背景と経過は以下のとおりです。 7月7日に盧溝橋事件が発生し、日本軍と宋哲元の第29軍が衝突しました。その後、両軍は停戦協定を結びましたが、国民政府はこれを認めず、日本は北支への増派を決定しました。 日本軍は冀東政府と保安隊を友軍とみなし、通州には約300人の日本人居留民と約45人の日本軍守備隊が駐留していました。また、通州は兵站基地として武器弾薬が積み上げられていました 。 しかし、保安隊の中には反日感情を持つ者や国民党軍や共産党の影響を受けた者が多く、日本軍に対する蜂起の計画を密かに進めていました。保安隊の指導者である張慶余と張硯田は、宋哲元の第29軍と連絡を取り、日本軍との戦闘に参加することを約束しました 。 7月29日午前4時頃、保安隊は突然、日本軍の宿舎や居留民の住居に砲撃や銃撃を開始しました。日本軍は戦闘能力を持たない人員しかいなかったため、抵抗できずに多くが殺害されました。居留民も逃げ場を失い、保安隊によって惨殺されたり、暴行されたり、強姦されたりしました。保安隊は日本人の遺体を焼いたり、切り刻んだり、石油ドラムに詰め込んだりしました。 事件の報告は、日本軍の通信線が切断されていたため、遅れました。北平の日本軍は31日の朝になってようやく通州の異変を知り、救援部隊を派遣しました。通州に到着した日本軍は、惨状を目の当たりにして激怒し、保安隊や中国人住民に対して報復を行いました。 通州事件は、日本と中国の間の対立を激化させ、日中戦争の全面化につながりました。

あすは「葛根廟 (かつこんびょう)事件」について、記述します。

 

 

日本は核武装せよ!橋本琴絵 (著) 

(著者からのメッセージ)
私は被爆三世だ。先祖代々、広島県で生まれ育ち、私自身も反核・平和教育を十二年以上受け続け、祖父母は広島原爆の被爆者だ。被爆者といえば「反核」であることが当然であるかのような、全体主義的な思想統制がある。
しかし、核兵器についての強い気持ちがあることは共通しているものの、すべて同じではない。祖母は「日本が核を持っていればやられなかった」「皇軍はこの新型爆弾を持ってないから、米軍は使った。日本が持っていたら報復合戦になるから使うはずがない」と言っていた……。

 

 

 

 

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