小川洋子の「物語の役割」を読んだ! | とんとん・にっき

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小川洋子の「物語の役割」(ちくまプリマ―新書:2007年2月10日初版第1刷発行、2020年4月5日初版第8刷発行)を読みました。ネットで、小川洋子の文庫本の短編集を探していたのですが、この「物語の役割」という、妙な本を見つけました。

 

「第三部 物語と私」に「私は三月三十日生まれなので」という箇所があります。そうです、僕と同じ誕生日なのです。「同級生に比べると体も小さく動作も鈍く、体育の授業の時、制服を着替えるのさえもたもたして、皆から出遅れていました」と書かれていますが、僕は逆に大きい方で、体力的には出遅れたということはなかったように思います。ただし、アタマの方やや遅れ気味、今もですが…。

 

やはり「第三部 物語と私」ですが、両親はほとんど本を読まない人だったが、幼稚園で絵本に出会い、世界こども文学全集を毎月買ってもらうことになりました。その本がインクの質が悪かったのか、化学薬品のような匂いがしたという。ある時ドイツのベルリン文学フェスティバルに行った時、旧ベルリンの建物に入ると、何とも言えない塗料の匂いに気づきます。例えば、留学中の森鴎外の下宿先で、今は記念館になっている建物もそうだったという。ベルリンの森鴎外記念館で、思いがけず、生まれて初めて買ってもらった本の匂いの記憶がよみがえったという。それはそれとして、この森鴎外記念館、そうです、伊藤比呂美の「切腹考」で書いたところと同じところです。

 

「星の子」の巻末に載っている、今村夏子と小川洋子の対談のことをちょっとだけ書きましたが、何を話しても、さすがは百戦錬磨、ちゃんと落としどころを心得ています。で、「物語の役割」は、三つの講演を文章化したもの。もちろん、文章化するにあたっては、相当推敲されているんでしょうけど・・。

 

この本の構成は、以下の通りです。

 

まえがき

第一部 物語の役割

第二部 物語が生まれる現場

第三部 物語と私

この本に登場した本

 

「まえがき」から引用します。

本書はこれまでさまざまな機会に物語について語った話を、文章にしたもの。小説を書いている間に心にたまっていった思いをお喋りした記録、というくらいのもの。

大きく三つの部に分かれている。第一部は三鷹市の三鷹芸術文化センター、第二部は京都造形芸術大学、第三部は芦屋市のルナホールで話した内容がもとになっている。第二部は芸術活動に関わっている大学生に向けて話したものなので、他の章に比べて幾分創作現場に即した内容になっている。

最初は活字にして残す予定はなく、その場限りのものだったが、最終的には、「ああ、本を読むことは何と素晴らしいことであろうか」と思ってくれたら、との願いがあったからです。

人間の心がどれほど劇的に揺さぶられているか、それは目に見えません。だからこそかけがえがないのだ、自分が自分であるための大切な証明になるのだ、ということを、くどいくらいに繰り返し語っているのがこの本です。

 

そんなわけで、「この本に登場した本」の数は、第一部が8冊、第二部が10冊、第三部が21冊という大変な数です。第三部には小川洋子と言えばこれ、「アンネの日記」ももちろん、取り上げられています。

 

そうそう、「フランシーヌの場合」という歌、その歌詞の中に「三月三十日の日曜日」というフレーズがあり、それが自分の誕生日だったので、まるで自分のために作られた曲のような気がした、と書かれた箇所がありました。僕もそう思った。

 

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