江國香織の「真昼なのに昏い部屋」を読んだ! | とんとん・にっき

江國香織の「真昼なのに昏い部屋」を読んだ!

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江國香織の「真昼なのに昏い部屋 」(講談社 第1刷発行 2010年3月24日 定価:1400円+税)を読みました。表紙のカバーは、フランシスコ・ゴヤの版画(『気まぐれ』No72 お前は逃げられまい:神奈川県立近代美術館)にバラの花をあしらったものです。けっこうセンセーショナルな新聞広告を、何度か出しています。「最高にアナーキーな恋愛小説。」だとか、「ここ数年に読んだ恋愛小説の中で、文句なしのベストです!!」(服部美穂氏)とか!あるいは書店員さんたちは、「童話のように不倫を書く・・・江國香織って怖い(凄い)!」とか「恋愛を五感全てで味わえる、女性が『殻』から介抱されてゆく成長小説」だとか!なにしろ本の帯には「人妻は物を感じちゃいけないなんて法があるかしら」と、挑発的な文言があります。


でも、読んでみると、宣伝文句ほと挑発的ではないし、けっこう穏やかな、のほほんとした作品です。江國香織とはどういう人かよく分かりませんが、それでもこの作品の主人公は限りなく江國香織に近い女性だと、僕は思っています。そしてこの作品での新しい試みを、以下のように述べています。「私は、翻訳された海外の児童文学が好きなんですが、そこでは、すべてが子供にも判るように説明されている。それを大人の本でもやりたいと思ったんです。大人の本には『暗黙の了解』で書かれない部分があるけど、全部を見せたら新鮮じゃないかって」。そして「恋愛には『秘すれば花』の部分もある。この文体で単純に書きながら、でも複雑な雰囲気も残す。それが難しかったですね」と。


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創業100年を超えるゴム会社の社長の夫と、古くからの街・日暮里近辺の坂の上の一軒家に住む美弥子さん、その美弥子さんを好きになる大学で教鞭を執るジョーンズさん、ジョーンズさんの住む木造アパートはくねくねした細い道の一画に建っています。ジューンズさんはボストン生まれのアメリカ人、テキサスのお金持ちの令嬢リンダと結婚し、テキサスに住み、子供も2人立て続けに生まれますが、リンダの家族との相性も悪かったこともあり、なによりジョーンズさんはテキサスに馴染めませんでした。他所に住もうとリンダに訴えるけど、彼女は耳を貸しません。離婚についてもリンダは頑として籍は抜かないというので、ジョーンズさんは家を出ます。ジョーンズさんは東南アジアを転々とし、「住みやすい」という理由で日本に落ち着いて15年が経ちました。ジョーンズさんと美弥子さんはあるパーティで知り合います。横顔のきれいな、インテリジェンスのあるアメリカ人、美弥子さんが抱いたジョーンズさんの印象です。


八百屋の店先でばったり会ったときか、ふらりと遊びにやってきて一緒にお茶を飲んでいるときかに、ジョーンズさんは「自分の趣味はフィールドワークである」と言いました。それからすぐに、よかったら一緒にどうかと、ジョーンズさんに誘われます。美弥子さんは「1時間くらいなら」と口にしましたが、それでも自分が何か取り返しのつかないこと、言うべきではないことを、言ってしまった気がしたりもします。「了解です」と、ジョーンズさんはゆっくり微笑んで言います。フィールドワークが終わり、玄関に続く階段を登りながら、あっけなかったという気持ちと、ずいぶん長い時間遊んでしまったという気持ちを、美弥子さんはいっぺんに受け止めなければなりませんでした。


あのとき私はそそくさと帰りすぎたのかもしれない。美弥子さんは思います。そっけなすぎたかもしれないし、すこし失礼だったかもしれない。お礼を言うときも、ジョーンズさんの顔をまっすぐ見られなかったこと、見たら別れ難くなりそうなことから、早く家の中に逃げ込みたかったのです。一方、ジョーンズさんは、とても切実に、美弥子さんに会いたいと思いました。なにしろ小鳥のような人なので、以前から美弥子さんを気に入っていました。初めて言葉を交わしたときには、この人とは通じ合えるという確信があり、奇妙な懐かしさにとらわれたりもしました。ジョーンズさんの経験では、それは素晴らしい関係の始まりを意味しています。


思い切って一緒に街を散策するというのは、どぎまぎせずにすむし、戸外の方が公明正大な気がします。2人が歩くのはご近所なので、ご近所は人目もあるし、そういう場所を白昼堂々と歩けるというのは、やましいことのないしるしだと、美弥子さんは思います。「銭湯に行きませんか」とジョーンズさんは気軽に言います。ほんのちょっと外に出ることが、こんなに楽しいことだとは思わなかったし、2人は何も特別なことをしているわけではありません。ただジョーンズさんといると、ありふれたことの一つずつが、俄然特別になるのでした。


美弥子さんにとって、ジョーンズさんとのことを、夫の浩さんに話すのは大切なことでした。私って報告魔だわと美弥子さんは思います。細かく話せば話すほど、安心な気持ちになります。昼間の自分が、夜になって浩さんに見守られている感じなのでした。いつ誰に見られても恥ずかしくないように、「きちんと」暮らすことが美弥子さんの信条ですし、この夏の美弥子さんにとって、その誰かの目は、ジョーンズさんの目でした。何か浩さんに言うときも、中身はジョーンズさんに話しかけていました。


いつしかジョーンズさんと美弥子さんのことが、浩さんの耳にも入ります。「ケニーって誰だ? 毎日会ってるってどういうことだ? 家にまで上げてるってどういうことなんだよ」と浩さんは言います。利恵子さんが浩さんに話したのです。他人の口にはとはたてられないこと、事実すでに近所では噂になっていて、だから心配していたということ、毎日のように2人で出歩いたり、ご主人の留守に彼を家に入れたりするのはよくないと思うこと、いわんやまるで新婚カップルみたいに2人でお風呂屋さんの暖簾をくぐったりしていいはずがないこと、を浩さんに言ったのでした。


浩さんは信じられない思いでした。自分の妻がよその男と親しく遊び回っていると言うだけでも驚天動地の出来事ですが、それをあっさり認めた上で、反省の色さえ見せず、傲岸不遜に自分を睨み返している目の前の女が、ほんとうに浩さんの知っているあの美弥子さんでしょうか。「ここでやったのか?」と太く陰湿な浩さんの声。侮辱です。浩さんは美弥子さんを侮辱したばかりではなく、美弥子さんとジョーンズさんの関係をも侮辱したのです。美弥子さんは外へ出ます。行く場所は一つしか考えられませんでした。いま会いたいのはジョーンズさんだけです。


美弥子さんは思います。いまや私は、名実共に不倫妻になってしまった。だったらせめて、きちんとした不倫妻になろう。帰ってきた浩さんの言った言葉は「ただいま」だけでした。「怒らないの?」という美弥子さんに、浩さんは何も言いません。あれはみんな幻だったのかもしれない、と美弥子さんはあやうく思いそうになります。「私、ずっとジョーンズさんのところにいたの」と美弥子さんは言います。「それでね、あのときひろちゃんが詰まったようなことも、したの。あのときはしてなかったんだけど、世界の外にでてしまったから、したの」、美弥子さんは覚悟していました。


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講談社BOOK倶楽部著者インタビュー動画


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