デ・パルマの方の『フューリー』。

 

あの余談というか、「フュ」と「ヒュ」って違うの?

文字を打つ時、フュ=FYU、ヒュ=HYUです。

で、発音は違うの?音楽ジャンルのフュージョンは、ヒュージョンじゃないですもんね。なんなんでしょうね。

 

 

で、この映画は『キャリー』から引き続きサイキックもの。

まあ、当時流行ってたんだと思います。映画だけではなく、社会でね。

ユリ・ゲラーとか、この辺ですかね。PSIカードとかで、超能力を開発するみたいなこともやってたみたいだし。

 

まあ、デ・パルマらしく、色んなことを放りだし、最後は見事に終わる。

デ・パルマは映画の終わらせ方だけは信頼できる。

悪役が爆死して終了。それもただの爆死ではない。爆散、霧散、ということが似合う。

粉みじんである。しかも、きちんと人形とはいえカサヴェテスの顔がばっちり映っているカットがあるのが素晴らしい。

身近な男性がネットでエロ動画を検索してるかどうかを確かめる方法があります。

 

そいつのパソコンなりスマホで、「しお」と文字を打ってみてください。

で、予測変換の第一が「塩」なら、そいつはセーフ。

第一が「潮」なら、そいつはバリバリにエロ動画を観まくっている。

 

もちろん、潮吹きの潮である。

だって日常生活で「潮」なんて感じ使わねーもの。

大学生のころはよく料理を作った。

私は寮に住んでいたので、トイレ、風呂、炊事場は共有だった。

私は知り合いは一人もおらず、常に一人で過ごした。

 

私のフロアはあんまり料理をする人がいないので炊事場は使い放題だった。

 

作った思い出は、ポテトサラダ。

私はマヨネーズ好きなのでポテトサラダも好き。

なので、一からポテサラを作ったのだ。

 

まず、ジャガイモを茹でて皮を剥く。で、これをグチュグチュに潰すのだ。ちなみに私はジャガイモがゴロゴロしてるのは好みではなく、完全にペースト状になってるのが好き。なので、完全にすりつぶす。その時は私はビニール手袋をして握りつぶすのだが、これがもう熱くて熱くてwwヤケドしながら潰してた。

で、潰したイモにマヨネーズ、塩、酢をぶち込む。酢が多めが良き。むせるがごときが良き。

で、ジャガイモ以外の野菜は、キュウリ、タマネギ。シャキシャキ食感が良き。

 

いやあ、大学時代に2,3回作ったかな。ええ。

ステーキをたらふく食って散歩にGO。

なんと、ウソッキーの色違いをゲット!

嬉しい。素直に嬉しい。

 

それにしても、スペシャルリサーチはやりごたえがあるwww

「100匹捕まえろ」の次に「300匹捕まえろ」だもんな。

やってやろーじゃねえの。

ステーキ食べてきました、ええ。

いつもと違うお肉をチョイス。

なんか火を入れ過ぎると固くなるらしく、ちょっとイマイチ。

飯は特盛でほぼ満腹。

 

ニンニクチップスは控えめにしました。

 

というのも、前回、あのエッチ嬢に行ったときも前日にステーキ食べてニンニク食いまくったんですよ。

 

で、エッチしてるとき、その嬢が突如「私、昨日玉ねぎを生で食べた。4つも。玉ねぎ臭くない?」と訊いてきた。

全然臭くなかったが、あれは遠回しにお前クサイぞと言われたのだと思う。

ニンニク臭がしたのだろう。

なので、今回はニンニク控えめ。

映画公開当時、世はスターウォーズブームでした。1978年。

 

で、私はSWファンではないですが、そんな私でもこの映画がSWをパクりまくっていることは分かります。

特に、敵の艦隊が画面上方からヌーっと現れて、画面奥に遠ざかるってシーンを何度も繰り返し入れてますwww

 

これはスターウォーズ公開時に、デススターが同じようにヌーっと現れて、延々と出てきて「どんだけ大きいんだ!?」という衝撃を受けたことをそのままパクったんですねwww

もうね、最初に、アルジア星の人々が出てきた瞬間に「SWじゃん!」と思います。

というのも、スターウォーズの凄い点はそれまでの宇宙映画では〇〇星人とか宇宙人が出てくると、そいつらは皆同じ見た目で文明は優れているが文化が見えてこない、みたいな表現ばかり。

でも、スターウォーズは宇宙人が人間と同じく、文化を持ち、習慣を持ち、ちゃんとその星に住んでる実感があるんですよ。土着感とでもいうか。

 

で、キャラクターもパクりまくりで、ルーク、レイア、ハンソロ、R2D2がばっちり出てきます。笑えます。

特に、皆が宇宙船に乗り込んでギューギューに詰め込んでるシーンはそのままスターウォーズ。露骨。

 

あと、顔面を銀色に塗りたくった成田三樹夫に爆笑www

お前何やってんだ!?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

 

あとさ、これ、撮影の時、俳優たちはそれぞれの母国語で演技してるんだと思います。

つまり、日本人は日本語で、アメリカ人は英語で。

これはかつてのマカロニ・ウエスタンでも同じ。あっちはさらにカオスで、イタリア人、メキシコ人、アメリカ人のごちゃまぜ。

で、何が言いたいかというと、日本人が地声でセリフを話しているのに対し、外人は吹替で声優が話すので、テンションが合ってないんですよね。

この映画を観ると、やっぱり吹替って、ヘンな喋り方なんだな、と実感できます。

 

うん、頭を抱えたくなるような映画ですねwwww

いやあ、製作陣の悪ふざけが漏れ伝わってきますね。

あまりにフザけすぎな気もします。

 

一応、学園モノのはずが、教師は一人も出てこなず、学校というより自治区ですよね。

教室の風景さえ映らないし、授業もなく、生徒は基本的に一日中部活とかクラブ活動しかしてません。

つまり、野球部はいつだってユニフォーム来てるし、剣道部は甲冑付けてます。

さらに、「学園マフィア」なる暗黒組織もある。もちろん構成員はすべて生徒。え?

 

ま、男塾みたいなことですよね。

そう考えると「学校」ってめっちゃ便利なシステムなんですよ。物語を作ることにおいて。

だって、色んな面白い奴が勝手に集まって来るでしょ。男女問わず。

そう考えると色んなキャラを無造作に出しやすいんですよね。

 

コンバットRECの考察によると、真田広之はこの作品に思い悩み、後のJAC退団につながるらしい。

 

あと、濃い化粧で出てくる志穂美悦子を見れることでも貴重。

化粧すると伊藤かずえに似てます。

私は2022年の2月末に忽然と社会から消えた。

そのことを一度も後悔していない。

むしろ、あの頃を振り返るとあまりに多くの厄介ごとを抱えていたな、と自分を哀れに思う。

会社を去って清々している。

 

私は一度異動しているが、そのとき同時くらいに同じ部署に異動してきた先輩の一人が思い出深い。

その人は叩き上げタイプだが、上司に見初められて会社員ながらも大学に通い、修士卒までなった人で、海外での勤務経験もありのかなり異例の経歴。

その人からは多くのことを学んだ。

私は超のつく理論派である。すべては理論で片付けられると考えている。

で、職業柄、さまざまな実験をするわけだが、どうしても手癖というか、甘えというか「とりあえず、1回やってみよう」と考えてしまう。

分かりますか?

たとえば、AとBという物質を反応させてCという生成物を得たい、という実験。できれば、低コストで短時間で、大量にCを生成したい。

でも、今までAとBを反応させた経験がないので、とりあえず、あまり条件は精査せずにA+B→Cの反応実験をやってみようと考えてしまう。

しかし、この先輩は「それではダメだ」と言った。

「実験は一発で決めろ」という信条なのだ。

これは一理ある。だって、そういうお試し実験でも、私の給料は発生、というか、私の時間を使っているわけだ。

だったら、実験に臨むのであれば「価値ある実験をする」という意気込みは必要だし、当然、計画と準備が必要なのだ。

 

これ以外にもこの人には色んなことを教わり、私に「現場力」を授けてくれた。年は7,8個くらい上だったが、お互いに信頼していた。

だが、他にどんどん人が増えて、この先輩がリーダーの立場になると、彼はかなり苦しそうだった。

ハッキリ言って、私はかなり優秀なので、彼が1教えれば100理解するのだが、それ以外の奴らがポンコツ極まりなく、仲も良くないようだった。

 

で、最後はこの先輩が自ら「さっさと異動させてくれ」と嘆願する形でのお別れとなった。

あのやり方はないだろうと思った。

たしかに不運ながら人間関係で苦しんでいたが、あの人の行動力・実行力でかなりの貢献をしてくれていたのに。

それをああいう形で見放すから俺も辞めるんだよ、バカ。

まず、誘拐された女はただただ不運だったとしか言いようがない。

この愚者の男に好意を抱かれてしまったことが、運の尽き。

彼女に何の非もなく、ただただ哀れなだけ。

 

で、誘拐犯の男だが典型的な「無敵の人」である。人望もなく、貧しく、学もなく、友人も家族もいないのだろう。

ただ理想の女を部屋に閉じ込めてモノにする、という妄想を悶々と抱えていただけの男だ。

しかし、この野郎に大金が舞い込んでしまい、男は己の妄想を実現しようと動き出す。

 

こいつは、典型的なオタク、というか、社会不適合というか。

自分の好きなものを人に押し付け、自分の気に入らないものは拒絶。そこに寛容性がない。

口先だけは「暴力は振るわない」とか言っているが、4週間も監禁される身にもなってみろ、と思うが彼には思えないのだ。

客観性がないからである。人がどう感じるか分からないのだ。

彼の原理は簡単で、「優しくしたら、優しくしてもらえる」というものだ。

それを人に押し付けるのでどこまで一方通行のコミュニケーションとなる。

そもそも、意中の女を誘拐・監禁して自分を愛させるってことが「実現可能」と信じている点で、こいつは一体どんな人生を歩んできたのか不思議でしかたない。

 

ただ、監督ウィリアム・ワイラーは演出がうますぎるので、ついつい誘拐犯側を応援してしまう瞬間がある。

あの、隣人が訪ねてきて風呂場から水があふれているシーンである。

あのシーンは「あ、バレる!」とドキドキしてしまう。

 

さらに、男は女の芸術観とかセンスを貶す。「『ライ麦畑で捕まえて』はクソだ」とか「ピカソもクソだ」という。

じゃ、お前の好きな女はセンス悪いけど、それでもいいのか?と思う。それで恋は冷めないのだろうか。

 

よく誘拐犯のことを好きになってしまう「ストックホルム症候群」ということが映画内で出てくるが、この映画においてはまったく存在しない。誘拐された女は、まったく行為を抱いてないし、常に逃げ出そうとしている。

 

それに犯人はまったく警察に捕まる様子はなく、また新たなターゲットに狙いをつけて映画は終わる。

これ悪いことしたやつがまったく裁かれないけど、これ当時のヘイズコードは大丈夫だったのかな。

イギリス製作だから関係ないのか?

ものすごいタイトルである。

 

それにしても、この時期、70年代の東映映画は同じ俳優ばかり出ている。

室田日出男、山城新伍は、毎回、同じような役ばかりである。

 

山城新伍はオカマとか、ホモの役ばかりで、こいつが後年、大物俳優みたいな扱いなのは甚だ失笑である。二流映画の脇役に過ぎないというのに。

 

室田日出男は、私が最初に観たのは松田優作の『野獣死すべし』だった。なので、後の東映映画の悪漢ぶりには驚いた。金欲、性欲の権化で擁護しがたいゲス野郎の役ばかり。

 

谷ナオミは顔は叶恭子っぽくてアレだが、体は抜群。この時代の女としてはド巨乳の部類に入るであろう。

さらに、準主役的な大原美佐のwikiを観ると、本作がデビュー作で、会社から無理やりヌードにさせられたという。

昨今のエーブイ強制みたいな話である。

まあ、一昔前の芸能界では「芸能界に処女はいない」と言われるほど、枕営業当たり前の時代だったので、黙殺されたのだろう。