一人っ子違反2700億円 中国、利権の温床に 習指導部も不正調査

2013.10.2 18:05

 中国で一人っ子政策に反したとして「社会扶養費」の名目で徴収される違反金が全国計21の省、直轄市、自治区で少なくとも年間168億元(約2700億円)に上ることが2日、情報公開請求した弁護士の調べで分かった。違反金が利権の温床となり、不正流用されているとの疑惑が広がっていることから、習近平指導部も不正調査に乗り出している。 中国政府は超高齢化の到来や労働人口の減少を懸念し、一人っ子政策の緩和を検討しているが、一人っ子政策の利権に連なる各地方政府の担当部門の抵抗も予想される。 浙江省杭州の弁護士、呉有水氏らは、2012年の「社会扶養費」の収支について計31の省など地方政府に情報公開を請求。複数の弁護士が共同通信に提供した資料によると、21の地方政府が請求に応じて情報公開した。(共同)



安月給はイヤ!一人っ子で「教育費に高コスト」 中国、雇用ミスマッチで内定率悪化

2013.6.20 09:32 (1/2ページ)労働・雇用

 中国では過去数年、大学生の就職難が問題になってきたが、今年は特に深刻で、内定率も過去最低の水準に陥っている。大学生数が急増した半面、経済成長率は8%を割り込み、企業の求人意欲が衰えている。だが、理由はそれだけではない。グローバル化の進展の中で、企業の求人ニーズは大きく変化しているが、大学での教育内容は旧態依然のまま。しかも大学生は給与の低いところには行きたがらない。

こうした企業側と学生側のミスマッチが、就職内定率をより低くしている。 6月初めに教育関係の調査・コンサルティングで定評のある麦可思研究院が「2013年中国大学生就職報告」を発行した。それによると、今年4月10日段階の大学本科生の就職内定率は35%で、前年同期に比べ12ポイントも落ちている。大学院生はさらに悪く26%でしかない。しかも昨年度に就職できなかった大学生がなお全体の8.5%(53万人)も残っているという。 大学の募集定員が一挙に増えたのは1999年だった。前年の108万3600人から159万7000人へと50%近くも増えた。経済発展とともに、その後も増え続け、2006年には500万人を突破。今年の卒業生は過去最多の699万人(昨年比19万人増)となっている。 

景気のスローダウンで、企業の求人意欲が鈍化しているのは間違いない。それでも沿海部では若手労働力が不足しているので、条件を低くすれば、就職先がないわけではない。 だが、親としては初任給で月3000元(約4万6380円)以下には行かせたくない。できれば4000元から5000元はほしい。なぜなら学生の多くは一人っ子で、これまで★★★多額の教育費をつぎ込んできた。コストがかかっているので、給与の低いところには就職させたくない。 一方、企業側からすると、必要とする人材がなかなか見つからない。大学の学部・学科の編成が、企業のニーズに合っていないからだ。法学や英語、国際貿易などはいくらでもいるのだが、より専門的な物流、自動車、新材料、都市開発といった分野の人材は少ない。 「2013年中国大学生就職報告」によると、卒業生の55%しか就職先に満足していないという。これが卒業3年後になると、36%にまで下がってしまう。企業側と学生側のミスマッチを防ぐには、学生の意識改革、大学の教育内容の変更など、早急な対策が求められよう。(フジサンケイビジネスアイ 拓殖大学国際学部教授・藤村幸義)



 

中国人の高級品購入の8割が海外で、価格差だけでない原因―中国メディア
配信日時:2013年9月29日 7時50分


27日、中国人の海外消費は2012年に1020億ドル(約10兆円)に達し、米国とドイツを抜いて、世界全体の海外消費における過去最高記録を樹立した。写真はニューヨーク。
 
2013年9月27日、中国人の海外消費は2012年に1020億ドル(約10兆円)に達し、米国とドイツを抜いて、世界全体の海外消費における過去最高記録を樹立した。2010年の倍近くで、特に高級品の購入は欧州が23%を占め、香港・マカオの26%に続く境外(中国本土外)消費の中心となっている。中国経済網が伝えた。

中国の境外消費の勢いは今年も続いているが、昨年と比べると香港・マカオが44%増加し、欧州が8%減少した。また、富裕層による海外での高級品購入傾向は昨年と比べても一層明らかになっている。最大の変化は、中国本土での高級品の購入を望む消費者が20%しかいないことだ。高級品は海外で購入するという傾向が強まり続けているのはなぜか。

まず、価格差がある。高級品の国内外での価格差が、中国富裕層を海外での購入に向かわせている最大の原因であることは間違いない。中国商務部の統計によると、中国本土で販売されている高級品の平均価格は香港より45%、米国より51%、フランスより72%高い。一部の人にとってこれは、海外旅行費をまかなうに十分な額であり、海外での購入を選択するのは当然だ。この価格差は主に中国の高額な贅沢品税が原因だ。そして贅沢品税は事実上次の★★★3種類の税からなる。

輸入関税:一般の贅沢品の税率は10-25%だが、高級化粧品や酒類は35-60%にまで上がりうる。
増値税:通常17%前後。
消費税:30%にも達する。

税制以外に、人民元が対米ドル、対ユーロで徐々に上昇していることも国内外の価格差を広げている大きな原因であり、海外での高級品購入へと人々を引きつけている。もちろん、中国人消費者が海外での高級品購入へと傾いているのは価格差のみが原因ではなく、個人資産の増加など他の要因についても考える必要がある。

クレディ・スイスの統計によると、中国人の1人当たり資産は2000年から2012年の間に4倍以上になった。この間に資産家の数も急速に増加。個人所得の増加によって海外旅行は一段と容易になった。

次に商品の選択幅が限られていることがある。中国本土の高級品は数量に限りがあるため、一部の消費者は海外旅行の機会に前から欲しかった商品を購入することが多い。また、中国人消費者の好みは次第に洗練されてきており、他者との違いを示すため、外国で流行しているが国内では知る人の少ない高級品を好む人が増えている。そしてこうした商品は外国でしか買えない。

原産国の重要性もある。中国の富豪1000人を対象にした調査では、「原産国の高級品は品質と信頼性が保証されている」と考える消費者は3分の2に上った。しかも中国では外国製は中国製よりも優れているとの認識が一般的だ。このため外国で買う高級品はより品質が良いとの考えが一層強まっている。

最後にビザの問題がある。中国経済の急成長と国際的地位のたゆまぬ向上に伴い、中国国民は一段と容易に欧米のビザを取得できるようになった。これも中国人の海外旅行者の増加、海外での高級品購入の増加の重要な一因だ。今では海外の高級品の半分近くが中国人によって購入されている。この割合は今後も増加する可能性があり、少なくとも短期的には、中国本土で高級品を購入する割合はさらに減少するだろう。この状況をいかに改善するかが、早急に解決を要する問題となっている。(提供/人民網日本語版・翻訳/NA・編集/武藤)

「アメリカ高官が日本側の主張を鵜呑みにして韓国に譲歩を迫り始めた」 復活した安倍外交により反日外交が効力を喪失

手にやりや弓、首都集結=土地の権利要求-ブラジル先住民

1日、ブラジリアで、ブラジル議会前に集結する先住民たち(AFP=時事)

 【ブラジリアAFP=時事】ブラジルの首都ブラジリアに1日、アマゾンの森林で暮らす先住民が集結、政府に土地の権利を要求した。伝統衣装に身を包み、やりや弓を手に、ブラジル議会前で「われわれをないがしろにする法律について議員と話し合いたい。大豆栽培農家や大農場経営者がわれわれの土地を奪っている」と訴えた。(2013/10/02-12:01)

経済鈍化の中国でなぜ? 富豪資産、空前の大幅増 

2013.10.2 11:20 (2/2ページ)中国

 英国人ジャーナリストのルパート・フーゲワーフ氏による中国富豪ランキング「胡潤百富」の2013年版が発表となった。これをみて驚いたのは、昨年に比べ資産額が大幅に増えていることだ。今年のトップ5は、平均してみると、昨年よりも倍近くに資産額を増やしている。ここにきて不動産相場が回復しているうえ、IT産業の発展が著しいことが背景にある。 同ランキングは1000位まで発表しているが、このうち559人の資産が前年よりも増えている。昨年は291人だったので、今年の増え方が目立つ。中でも144人の増加率は50%を超えている。一方、資産額が減ったのは、252人しかいない。 

トップは大手不動産、大連万達集団の王健林会長で、資産額は1350億元(約2兆1720億円)に達している。昨年に比べると倍以上に増加。過去の最高額はバブル経済が全盛だった07年に楊恵妍一族(不動産の碧桂園)が記録した1300億元だったが、今回はそれすらも抜き去った。 同集団は12年の営業収入が1417億元で前年比34.8%も増加し、保有する店舗の面積・不動産の面積は1290万平方メートルに達している。中国紙によると、世界2位の不動産企業になったという。「万達広場」と呼ばれるショッピングセンターを各地に持っているほか、五つ星ホテルは全国で40軒もある。 第2位は大手清涼飲料メーカー、娃哈哈集団の宗慶後会長だ。昨年はランキングトップで、この1年間に資産額を44%も増やしたが、それでも第2位に甘んじた。 トップ10をみると、不動産関係が6人、IT関係が3人もいる。不動産では前述の楊恵妍一族や世茂集団の許栄茂主席が返り咲いている。一方ITでは、騰訊の馬化騰CEOや検索でおなじみの百度の李彦宏会長らが入っている。

 経済成長は7%台に落ち込み、今後もそれほど高成長は見込めない。しかも新しく登場した李克強首相は、格差の是正を訴えている。それなのになぜ、富豪の資産がこれほどまでに急増しているのか。★★★政府が金融システムの崩壊を恐れ、資金供給を減らしていないからだ。そのため、不動産相場は沈静化するどころか、逆に北京や上海など大都市を中心に再び急騰している。富豪はこの時とばかりに土地取引で資産を増やしている。どうみても、ちぐはぐな経済運営としか言いようがない。(拓殖大学国際学部教授・藤村幸義)

「君子が恨みを晴らすには…」
2013.09.22

「君子報仇、三年不晩」。中国語の成句である。君子が恨みを晴らすのに、3年でも遅くない、という意味だ。つまり、中国人が恨みを抱いたら、何年かけてもかならず晴らしてみせるというのである。ここでは3年だが、「十年不晩」という言い方もあるようだから、すぐにはできなくても時間をかけて成し遂げる。その間、表面的には穏やかに見えても、チャンス到来とあらば直ちに反撃に打って出る。 馬英九総統と王金平・立法院長との間で繰り広げられている「9月政争」を見て、この言葉がすぐ頭に浮かんだ。馬英九総統は8年前の出来事が今回の政争のきっかけだということは否定しているが、両者の間の恨みつらみでしか、今回の出来事はうまく解釈できない。 その事件は、8年前の2005年7月16日に投票が行われた国民党主席選挙で起きた。2回にわたって出馬した総統選挙にいずれも敗れた連戦氏が国民党主席を辞任したことで、国民党は新しい主席を選ぶことになった。国民党は2000年と2004年の総統選挙に敗れ、民進党の陳水扁政権の下で野党に転落していた。

 当時台北市長だった馬英九氏は、高い人気を背景に次期総統の最有力候補としてこの選挙に出馬した。これに対抗して出馬したのが、国会議長として隠然たる勢力を誇るとされた王金平院長だった。当初から馬英九氏有利とされていた選挙だったが、馬英九陣営は王金平院長が金権政治家だと暗示するネガティブ・キャンペーンを展開した。 結果は馬英九氏が党員投票で37万5056票を獲得して当選。王金平院長は半数以下の14万3268票で落選した。 馬英九氏は外省人。これに対して王金平院長は本省人である。しかも、もともと旧高雄県の地方派閥をバックにした土着性が強い政治家だ。このため、国民党内の「本土派」つまり本省人系の代表的な政治家と見られており、本土派の間に強力な人脈を持っていると見られていた。李登輝・元総統とも関係が深いとされていた。なにせ、1999年から立法院長を務めている政治家なのだ。ところが実際には、主席選挙で馬英九氏に無残な敗北を喫したのである。 その時、私は馬英九氏の選挙本部の記者会見場にいた。馬英九氏の当選は確実だったので、当選の感想を聞こうと思ったのだ。ところが当選がほぼ確定したというのに、馬英九氏はなかなか姿を見せない。ようやく会見場に姿を見せた馬英九氏の表情に、当選の喜びはなかった。顔つきはむしろこわばっていたのが印象的だった。会見ではまず王金平氏に協力を呼び掛けた。

 この時、馬英九氏は次のように語っている。 「王金平・院長には、第1副主席になってもらい、自分と共に国民党の中央指導部を構成してほしい。
 王院長は7時ごろ、私に祝賀の電話をかけてくれた。私はすぐに会って話し合いたい、そして第1副主席になってほしいと申し込んだ。しかし、王院長はすぐに台北を離れて南部へ行かなければならないと、私の申し出を断った。私はテレビで王院長が記者会見に臨んでいるのを見て、自分の選挙本部から急いで駆け付けた。しかし私が到着した時、王院長はちょうど車で離れるところで、私を待ってくれなかった。私は引き続き王院長と連絡を取り、第1副主席への就任を要請するつもりだ。 王院長は議会のトップだ。議会でわが党は優勢だ。党主席としては、当然、これを重視することになる。議会では効果的に与党を監視する役割を果たしたい。それには王院長が必要だ。王院長が選挙で公約していた15項目の公約は、国民党の将来の政策に取り入れたい」 会見に姿を現すのが遅くなったのは、馬英九氏が王金平院長に会いに行っていたからだった。

この選挙で最も驚かされたのは、思いもしなかった選挙後の王金平氏の行動だった。王金平氏は選挙結果がほぼ判明すると、馬英九氏に電話をかけて祝福するが、当選直後で忙しいだろうからと、面会を求める馬英九氏の申し出を断る。王金平氏が自分の選挙本部で敗戦の記者会見を行っていることをテレビで見た馬英九氏は、急いで駆け付ける。 馬英九氏が到着すると、10分ほどの短い記者会見を終えた王金平氏は車に乗り込んで、選挙本部を去るところだった。馬英九氏は「院長、院長」と呼び掛けて車の窓をたたくが、窓は開かない。いったん発車するが、カーブを曲がり切れずにややバックする。馬英九氏は再び窓をたたくが、それでも窓は開かず、今度はそのまま走り去ってしまう。王金平氏はそのまま地元の南部に帰ったのだという。面会を拒否された馬英九氏は、驚きの表情を見せた。 選挙後に2人が紳士的な態度を見せ、国民党の党本部で2人が握手するという場面は消え失せた。王金平院長の行動は、当時は国民党だけでなく台湾の政界全体に暗い影を投げかけた。

 この選挙によって、国民党の総統候補者はほぼ馬英九氏に絞り込まれることになった。国民党主席はかつて党大会で選ばれていた。党員の直接投票での主席選びとしてはこれが2回目となる。ただし1回目は、候補者が連戦・国民党主席の1人だけで、事実上の信任投票だった。複数候補者が争ったのはこれが初めてだった。2回の総統選挙に負けて政権から離れること長きにわたる国民党が、2008年の政権奪回に向けて打ち出した起死回生の方策である。これによって、国民党の党内民主化を印象付け、イメージアップを図ろうということである。 その国民党のイメージアップ作戦が、かえって国民党内部の派閥対立を浮き彫りにしてしまう結果となった。しかもこの選挙では、主席を退任した連戦氏が王金平院長に投票したことが分かっており、また国民党から分裂した後に2004年の総統選挙で連戦氏とコンビを組んだ親民党の宋楚瑜主席が王金平支持を表明している。 国民党はいったいどうなるのか、馬英九氏のこわばった表情がそれを象徴しているかのようだった。台湾では選挙を行うたびに社会に亀裂が深まる。一般の選挙でもそうだが、国民党という政党が行う内部選挙でも同じだった。 国民党主席に当選した馬英九氏は、国民党中央常務委員会で、選挙中の王金平院長に対するネガティブ・キャンペーンについて謝罪した。こうして馬英九氏は繰り返し謝罪するなど関係修復を試みる。しかし王金平院長は、謝意を示すことと謝罪は別のことであると切り捨て、馬英九氏が何のために謝罪をしたのか自分には分からないと語るなど、馬英九氏の謝罪を拒否した。また、国民党副主席への就任も拒否した。 ただ、現場から逃げてしまった王金平院長に対して、当選した馬英九氏が記者会見に参加した記者1人1人としっかり握手をし、きちんと相手の目を見て手をきつく握っていくのに感心したのを覚えている。人に対する誠実さを感じる握手だった。そうしたところが、王金平院長にはない馬英九氏の政治家としての魅力なのだろうと思った。 馬英九氏はこの選挙には勝ったものの、王金平院長から完全に顔をつぶされることになった。その後、馬英九氏は台北市長時代の特別費流用疑惑で国民党主席を辞任に追い込まれることになる。この事件は無罪が確定し、2008年の総統選挙に出馬して当選する。一方は総統として、もう一方は立法院長つまり国会議長として、表面的には大きなトラブルなく両者の関係は維持されているように見えた。それから8年。君子が恨みを晴らすにはまだ遅くはなかったのである。馬英九氏はその間、恨みを晴らすチャンスを待っていたのだろう。

ということで、今回の「9月政争」事件のこれまでの経緯を復習しておこう。 今回の騒動の発端となったのは、9月6日、最高検察署特偵組が開いた記者会見だ。この会見で、民進党所属の柯建銘・立法委員と王金平・立法院長との間の電話での会話に対する盗聴の内容が公表された。それによると、柯建銘委員は自分がかかわっている司法案件について、王金平院長を通じて司法当局に圧力をかけたというのである。まず、この件で司法当局に直接圧力をかけたとされる曽勇夫・法務部長(大臣)が、無関係を主張するにもかかわらず辞任に追い込まれた。 ところがそうこうするうち、本当のターゲットが誰なのか分かってくる。それは王金平院長だった。 馬英九総統は翌7日、娘の結婚式のためマレーシアに渡っていた王金平院長に対して、直ちに帰国して説明を行うよう命じる。 さらに8日、王金平院長の行為は政治による司法への介入だと位置付け、「これは台湾の民主法治の発展にとって最も恥ずべき1日だ」と痛烈に批判する。もちろん、王金平院長と民進党の立法委員の間の電話盗聴だけで、犯罪が構成されるわけではない。司法への圧力があったとしても、金銭が動いたわけではない。そうした状態での断定である。 一方の当事者である柯建銘委員は、民進党の立法委員のリーダー的存在のベテラン政治家である。彼は、電話をかけたのは無罪が確定してからのことだと主張し、司法への圧力を依頼したことを否定している。ただ、王金平院長が国民党員でありながら、同じ「本土派」として野党の民進党の関係者とも深いつながりをもっていることがこれから分かる。

 王金平院長は10日になって台湾に戻る。空港には3000人近くの支持者が出迎え、「王院長、頑張れ」とコールした。そこで王院長は、「司法への圧力は認めない。院長を辞任しない。国民党から脱退しない」と宣言した。 馬英九総統側は、王金平氏はすでに立法院長に相応しくないと断定し、自主的な辞任を要求した。そして11日、国民党は馬英九総統の主導の下で、王金平院長の党からの除名を決定するのである。 これによって苦境に陥るのは王金平院長である。国民党を除名されれば立法院長の位置どころか、立法委員の資格も失ってしまう。というのも、王金平院長は政党比例代表制で国民党候補として出馬しているからだ。地方区ではなく比例区だから、当選した当時の政党に所属しなければ、当選資格が失われる。 王金平院長は2004年の立法委員選挙で、それまでの地方選挙区から比例区に移っている。というのも、その前の選挙で民進党の若い女性候補に票数で負けている。面子をつぶされてしまったのだ。その時の選挙はまだ中選挙区制だったため当選できたが、小選挙区制に移行した場合は民進党が強い高雄で彼が当選できるかどうか分からない。

 地方政治の大ボスのように言われる王金平院長だが、このように地元での基盤は決して強くない。このため比例区に移ることを選択したと考えられている。政治的な地位を保つためには、なんとしても国民党にとどまるしかない。また、王金平院長は根回し型の古いタイプの政治家であり、カリスマ的な大衆政治家ではない。自ら党を割って新党を結成することは考えにくい。彼が党を割ったとしても、与党所属の身分を捨ててまで付いて行く国民党の立法委員がいるとも考えにくい。 王金平院長は国民党員としての資格を守るため、民事に訴える手段に出る。国民党による党除名の処分を凍結するよう、裁判所に対して仮処分を請求したのだ。13日に台北地方法院(地裁)はその仮処分を認めた。これによって、王金平院長は一時的に国民党員としての身分を確保し、立法委員、立法院長としての身分も保留することになった。本裁判になった場合、判決までにかなりの時間が必要だから、決着は先送りされた。 国民党はの仮処分取り消しを請求しているが、中秋節の4連休に入って両者の戦いは一時休戦に入っている。今のところ王金平院長が仮処分作戦で優勢だが、予断は許されない。この国民党内の争いは、今後の立法院での重要法案の審議に重大な影響を与えることになる。 王金平院長は国民党を離脱する意欲は示しておらず、馬英九総統に対する服従を表明している。新党結成、野党との合流などは持ち出していない。こうした中で、国民党所属の立法委員の間では、両者の和解を望む声が強い。

この騒動の結果馬英九総統に対する満足度が大幅に低下している。この間、TVBSの9月11日の調査では、馬英九総統に対して「満足」は11%と就任以来の最低となった。また、年代による調査では9.2%という数字が出ている。 こうした与党内のお家騒動は、政権奪回を目指す野党第一党の民進党にとって有利なはずである。民進党としては国民党の混乱に乗じて進撃を試みてもよさそうなものだが、動きは鈍い。もともと9月15日に馬英九総統と蘇貞昌・民進党主席が、台湾と中国との間で調印されたサービス貿易協議の是非をめぐって弁論を行う予定だった。しかし、★★★王金平事件を受けて民進党はこの弁論を中止した。民進党は追撃の機会を自ら放棄してしまった。 また、17日に始まった立法院での新会期では、議場を混乱させて江宜樺・行政院長の所信表明演説ををボイコットした。王金平院長の身分が不安定となっている中で、重要議案の審議が進む目途が立っていない。こうした議事混乱が続けば、混乱を招いている民進党に対して国民から不満が高まることになりかねない。 また、蘇貞昌主席は馬英九総統に対する弾劾の提出を進めているが、現在の立法院で国民党が過半数を占めている状況の下では、可決される可能性はない。現在、立法院の定員は113議席、実際には職権停止を受けている1人を除いて112人。そのうち国民党65、民進党40、台湾団結聯盟3、親民党2、無党聯盟2である。国民党所属の立法委員が相当数寝返らなければならないが、現実的ではない。 以上が今回の経緯のざっとしたおさらいだ。政争は継続中である。

 馬英九総統がなぜこれほど、王金平院長の追い落としを急いだのか、理由はさまざまな説があるが結局のところよく分かっていない。中国とのサービス貿易協議の立法院での批准に対して、王金平院長が非協力的だったからとの見方が有力のようだ。しかし、それがこれほどの政争に発展するものだろうか。電話盗聴だけという説得力の弱い理由で起こした馬英九総統の行動に、どれだけの勝算があるのだろうか。王金平院長に対して法的責任の追及もできない状況の中で、次はどのような手に打って出るのだろうか。 ただ、「君子報仇、三年不晚」という言葉が気になる。今回の場合は8年だが、それだけ待ってようやくつかんだ尻尾を逃すことは、君子としては許されないことなのかもしれない。 いずれにせよ、台湾の政治に明るい未来は見えてこない。(早田)

【フォトニュース】馬政権への抗議デモ=台湾
        
【大紀元日本9月30日】台湾の台北市内にある「国立国父記念館」の周辺で29日、支持率が低迷する馬英九(ばえいきゅう)総統への抗議デモが行われた。  「国立国父記念館」は辛亥革命を起こした孫文を讃えて建てられた施設で、同記念館ではこの日、馬氏が主席を務める与党・国民党の全国代表大会が開催される予定だった。しかし、市民団体による周辺での大規模なデモ集会が予想されたため、同党は24日に大会の延期を発表していた。  民放TVBS局が今月11日に行った世論調査によると、馬政権の支持率は11%まで低下しているという。


尖閣問題は同じでも「香港と台湾はなぜ、日本観光業の主役になったか?」=仏メディア
        
【大紀元日本9月18日】日本政府観光局が7月に発表したデータによると、2013年1~6月の訪日外国人旅行者数は、前年同期比22.8%増の495万4600人。調査対象国の中、唯一減少しているのは、尖閣諸島をめぐって関係が悪化した中国大陸で、前年比27.0%減少した。一方、同じ尖閣問題を抱える台湾と香港からは旅行者数が大幅に増加。台湾は49.4%増で、香港は43.1%増。フランスのRFIラジオは15日、「香港と台湾はなぜ、日本観光業の主役となったか?」と題する記事を掲載し、大陸と香港台湾の違いを分析した。  

記事はまず、台湾・香港と日本との間は、成熟した経済・貿易関係が結ばれているため、政治的影響を受けることが少ないと指摘。尖閣諸島をめぐって、台湾でも激しい抗議活動があったが、経済交流や貿易の面では通常通りの活動が行われていた。  成熟した法治意識に基づいた信頼関係も、台湾・香港と日本との関係を維持したと記事。法治意識の働きで、台湾・香港で反日デモが行われても暴力事件に発展することがなかった。

記事はさらに、台湾と香港は、健全で多元的な情報により、極端な民族主義が避けられていると分析。メディアの報道はひとつの特殊な側面しか反映しておらず、等身大の相手国を理解するには「長期間の全般にわたる認識」が必要。「犬が人間に噛み付いた」はニュースにならないが、「人間が犬に噛み付いた」はニュースになる。「だからといって、支那の様に愚民をけしかけて、腹をすかせた貧民に日系企業を襲わせて戦利品を稼がせるなど、『人間が犬に噛み付いた』ことで物事を認識すると、大きく偏ることになる」  。

旅行はこのような「全般にわたる認識」に左右される反面、その認識をつくり上げるために非常に有効であることを記事は強調した。

大阪市長選報道に「倫理上の重大な問題」 BPOが朝日放送に勧告

2013.10.1 20:32 westセレクト

 放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送人権委員会(三宅弘委員長)は1日、朝日放送(大阪市)による平成23年の大阪市長選関連報道に「放送倫理上の重大な問題があった」とする決定を発表し、再発防止に努めるよう勧告した。

 決定によると、朝日放送は昨年2月6日の「ABCニュース」で、「現職市長を支援していた市交通局の労働組合が『協力しなければ不利益がある』と職員を脅すように指示した」などと報じた。しかし朝日放送が取材した内部告発者が資料を捏造(ねつぞう)していたことが後に判明した。委員会は「労組への裏付け取材もないままに、疑惑を真実であるかのように断定的に報じた」と指摘した。

 朝日放送は同日、「選挙の公正に関わる内容を速報するのはメディアの責務。表現方法の行き過ぎた面については決定内容を真摯(しんし)に受け止め、今後の報道に生かす」とコメントした。

台湾有情 日台つなぐ慰霊祭
2013.10.2 03:04 [外信コラム]

 「責任は隊長が持つ。台湾で家族が待つお前たちは行けるところまで行け」 第二次大戦中、日本軍の軍属としてフィリピンで海軍巡査隊に所属していた劉維添さんは、大隊長、広枝音右衛門警部の最後の言葉をこう語っていた。 1945年、ルソン島に上陸した連合軍は2月初めマニラに迫り、守備する日本軍との間で1カ月に及ぶ凄惨(せいさん)な市街戦を展開。台湾の志願軍属約500人を率いる広枝警部は2月23日、司令部の突撃命令を破棄して拳銃で自決した。 捕虜を経て台湾北部・苗栗(びょうりつ)に帰郷した劉さんは、生活が安定した76年9月、「生還できたのは隊長のおかげ」と、地元寺院に警部の位牌(いはい)を奉納。元隊員らと毎年9月に慰霊祭を行うようになった。 2007年、最後の元隊員となった劉さんは1人で慰霊祭を挙行したが、台北で会社経営する在留邦人、渡辺崇之さん(40)がこれを知り、08年以降は日台の有志が協力してきた。 今年の慰霊祭は9月21日。有志約40人がバスで苗栗を訪れたが、出迎えの劉さんの姿がない。寺院参道で劉さんの家族から渡辺さんに連絡が入った。 「今朝他界しました」 91歳。渡辺さんは「来年は劉さんの位牌も並べ、慰霊祭を続ける」と決心している。(吉村剛史)

パパラッチ「終りの始まりよ」女優ハル・ベリー奮戦 米・加州で規制法成立
2013.10.2 08:49 (1/3ページ)[米国]

 有名人のプライベート写真の撮影で生計を立てるカメラマン「パパラッチ」に対し、16歳以下の子供の撮影を規制する州法が、映画の都ハリウッドを抱える米カリフォルニア州で成立した。(SANKEI EXPRESS) 自分たちの子供が付け回されていたハル・ベリーさん(47)とジェニファー・ガーナーさん(41)という2大人気女優が積極的に働きかけ法案は州議会を通過。カリフォルニア州のジェリー・ブラウン知事(75)が法案に署名した。ベリーさんは「過度に攻撃的な『パパラッチ』の終わりの始まりだ」と喜んでいる。


違反者、禁錮1年も
 「大きな期待とわずかな不安を抱いてスタートさせた闘いでした。自分の親が有名人というだけでパパラッチの攻撃にさらされる子供たちの窮状を理解していただいたブラウン知事には感謝してもしきれません」 ベリーさんは知事が署名した9月24日に発表した声明でこう喜びを表現した。 米ABCニュースや英BBCニュース、英紙ガーディアン(いずれも電子版)などによると、新しい州法「第606条」は、親の同意を得ないで、16歳以下の子供の写真やビデオを撮影した場合、10日間から1年までの禁錮か1万ドル(約98万円)以下の罰金となる厳しいものだ。違反者は損害賠償と弁護士費用を求める民事訴訟の対象になる。 この州法の成立に動いたベリーさんは、映画「チョコレート」(2001年)でアフリカ系米国人として初のアカデミー賞主演女優賞を獲得したハリウッドを代表する女優の一人だ。前夫のカナダ人モデル、ガブリエル・オーブリーさん(38)との間に5歳の娘がおり、現夫の仏俳優、オリヴィエ・マルティネスさん(47)との間にも間もなく赤ちゃんが誕生する。 そのためベリーさんの幼い娘が「パパラッチ」の格好の餌食となった。しかし、ベリーさんは06年、俳優のピアース・ブロスナンさん(60)らとともに、サンタモニカ近郊マリブビーチでの液化天然ガス施設の建設反対運動に参加し、計画を撤回させた行動派とあって、娘のために立ち上がった。

アデルさんら賛同
 州法成立に向け、6月にはカリフォルニア州議会の証言台に立ち、「大勢の『パパラッチ』が連日、娘の登下校を待ち構えており、娘は『あの人たちに殺される』と泣き、不安で深夜まで寝付けない。もう放っておいてほしい」と懇(こん)願(がん)した。 そんなベリーさんの訴えにガーナーさんが共感し、運動に参加した。 夫である俳優兼映画監督のベン・アフレックさん(41)との間に3人の子供がいるガーナーさんは8月の州議会で、「妊娠中、私の胎児を殺すと脅したストーカーが、当時幼稚園児だった私の娘を追い回していた『パパラッチ』集団に混じって身を潜めていた」と二重の恐怖に怯(おび)えた日々を証言。昨年10月に誕生した長男がパパラッチにつけ狙われている英歌手、アデルさん(25)=写真=も規制法に支持を表明した。 一方、今回の州法についてカリフォルニア州新聞出版協会など多くの米メディアは「正当な取材活動の制限につながる」と反対していた。だが、州議会では、対象はカメラマンの行為に限定しており、言論・出版の自由を保障する憲法修正第一条は侵害していないと判断された。 行動派の面目をほどこしたベリーさんは「才能豊かな歌手のアデルさんや女優の同僚であるガーナーさんが、子供たちのために一緒に訴えてくれたことは一生忘れない」と感慨深げにコメントした。