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前回記事の続きです。
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※2012〜13年、
当時中学生だった少女との話です。
"必ず、外の世界で会おうね"
その約束が闘病中の励みでした。
彼女は先に退院をしていったから、調子も悪くないはずーーー。
お見舞いたくさん行くね!
その言葉通り、検査のたびに病室を訪ねてはいつもわたしの心配ばかり。
顔色がいいね、前回より調子良さそう、
ちゃんと食べてる?、
わたしの体調を気にかけては喜んだり笑顔を見せてくれました。
あまり自分の体調のことは話さないけど、
この頃は弱音を聞くこともなく…
だからその子が再入院してきた時も、
あまり深く考えませんでした。
わたしの病院では、体調が悪いときは名札の横にシールが貼られます。
彼女の病室にもそれが見えたから、調子が悪い時なのだろうな…と。
再び抗がん剤投与も始まって、病室から出られずすれ違いの日々が続きました。
3ヶ月くらい経った頃でしょうか…
あまりにも会えないから大丈夫かな、
急にその子に会わなきゃという思いが湧いてきたんです。
せめて贈りものを渡そう。
やっぱりガチャピングッズがいいよね、なんて母親と会話をした数日後。
早朝、空っぽになった病室を見た時は嫌な予感がしました。
そのままナースステーションに向かうと、
全員の目が真っ赤で静まり返っています。
否定してほしくて居場所を尋ねたときの
「おうちに帰りました」、
意味がすぐには理解出来なくて「退院ですか」と聞き返したあとはよく覚えていません。
景色が灰色に見える…そんな例えが小説であった気がする。
気持ちの問題だと思っていたけれど、本当に灰色に見えるもんだなーなんて考えながら、窓の外を眺めてはすべてが悲しかった。
もう会えないと言われても、実感がひとつもありません。
最期の姿はおろか、治療中で外には出られずお見送りさえ叶いませんでした。
「またね」と笑顔で別れたあの日が最後になってしまった…
なんで誰も教えてくれなかったんだろう、
どうして会わせてくれなかったんだろう。
…ひとつはわたしが治療に集中するため。
あとはご家族の意向もあり、本人も元気な姿で覚えていて欲しかったと思うと伝えられて、ただ悲しかった。
元気じゃなくたって、見た目が変わってしまったって、友達であることには変わりないのに。
最後に手を握ってあげたかった。
ありがとうって言いたかった。
せめて、見送ってあげたかった。
その日からわたしは抜け殻のようで、
夜は睡眠薬が処方され、どうして自分だけが生きているんだと考えてばかりいました。
そんなわたしに手を差し伸べてくれたのは、
やっぱり彼女との暖かい記憶です。
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