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訪問ありがとうございます飛び出すハート
27歳、れんです。
高校2年生で白血病、現在は寛解し講演活動をしながらモデルやってます。プライベートでは26歳年上の夫と結婚、1歳👶🏻🎀の育児奮闘中です!


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前回記事の続きです。

まだ読んでいない方はこちら↓



※2012〜13年、

当時中学生だった少女との話です。


"必ず、外の世界で会おうね"



その約束が闘病中の励みでした。

彼女は先に退院をしていったから、調子も悪くないはずーーー。



お見舞いたくさん行くね!

その言葉通り、検査のたびに病室を訪ねてはいつもわたしの心配ばかり。


顔色がいいね、前回より調子良さそう、

ちゃんと食べてる?、

わたしの体調を気にかけては喜んだり笑顔を見せてくれました。



あまり自分の体調のことは話さないけど、

この頃は弱音を聞くこともなく…




だからその子が再入院してきた時も、

あまり深く考えませんでした。




わたしの病院では、体調が悪いときは名札の横にシールが貼られます。


彼女の病室にもそれが見えたから、調子が悪い時なのだろうな…と。


再び抗がん剤投与も始まって、病室から出られずすれ違いの日々が続きました。







3ヶ月くらい経った頃でしょうか…




あまりにも会えないから大丈夫かな、

急にその子に会わなきゃという思いが湧いてきたんです。


せめて贈りものを渡そう。


やっぱりガチャピングッズがいいよね、なんて母親と会話をした数日後。




早朝、空っぽになった病室を見た時は嫌な予感がしました。


そのままナースステーションに向かうと、

全員の目が真っ赤で静まり返っています。




否定してほしくて居場所を尋ねたときの

「おうちに帰りました」、

意味がすぐには理解出来なくて「退院ですか」と聞き返したあとはよく覚えていません。




景色が灰色に見える…そんな例えが小説であった気がする。


気持ちの問題だと思っていたけれど、本当に灰色に見えるもんだなーなんて考えながら、窓の外を眺めてはすべてが悲しかった。







もう会えないと言われても、実感がひとつもありません。



最期の姿はおろか、治療中で外には出られずお見送りさえ叶いませんでした。



「またね」と笑顔で別れたあの日が最後になってしまった…




なんで誰も教えてくれなかったんだろう、

どうして会わせてくれなかったんだろう。




…ひとつはわたしが治療に集中するため。

あとはご家族の意向もあり、本人も元気な姿で覚えていて欲しかったと思うと伝えられて、ただ悲しかった。




元気じゃなくたって、見た目が変わってしまったって、友達であることには変わりないのに。




最後に手を握ってあげたかった。

ありがとうって言いたかった。

せめて、見送ってあげたかった。




その日からわたしは抜け殻のようで、

夜は睡眠薬が処方され、どうして自分だけが生きているんだと考えてばかりいました。




そんなわたしに手を差し伸べてくれたのは、

やっぱり彼女との暖かい記憶です。




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