南の島に生きて 「書き綴ってきた自分史ブログを振り返ってみる」
ブログを綴り始めたのは2014年暮れから 10年が過ぎ去りました
長く綴れてきたものだと我ながら感心しています
今まで日記も長く続かず 苦手だったのに
それなりの歳になり 自分史のつもりで思いのまま正直に
思い出深い写真とともに書き入れる文体が楽しく ・・・・
そしてそのままアルバムになるのが
いままで5年間もブログが続いた要因だと思っています
それに8年以上も前から 毎回この拙いブログを読んでいただいている
多くのブロ友さんに感謝 たいへん励みになってきました
車に乗るのは10日に一度 15分の食糧買い出しくらいですから
都会で生活していたら 誰もがアパート閉じ籠り高齢者と見るでしょう
周囲数km民家がなくサトウキビ畑の中
夜の灯りは満天の輝く星々、ホタルと数km先のかすかな民家の灯り
水道井戸もない暮らしをしているから 仙人暮らしと思われるのでしょう
閉じ籠り高齢者と仙人暮らしは 環境による紙一重の差かも
人と深くかかわらなくてすみ 他人と無理して話すこともなく
やはり私は 小さな島の閉じ籠り高齢者なんでしょう
この閉じ籠り生活に満足していますが
日常生活を綴るのも不得意なので 時折書くことにして
この5年間に綴ってきた自分史の印象強い想い出のブログを
しばらくリブログしていきたいと思います
南の島に生きて 「書き綴ってきた自分史ブログを振り返ってみる」
第五章 「南の島に住んでみて考えること」 2017. 11. 27
後半部分は 私の自分史には欠かせない1ページです
「下流老人」の定義は
「生活保護基準相当で暮らす高齢者およびその恐れがある高齢者」
「下流老人」 高齢者3000万人の20%を超え600万人以上
その半数である約300万人が生活保護水準以下の年金収入しかありません
そのうち生活保護を受けているのは約70万人にとどまっています
つまり 残りの約230万人は生活保護水準の収入でありながら
生活保護を受けずに暮らしているのです
私は生活保護水準以下の収入でありながら生活保護を受けずに暮らしている
「下流老人」に片足を突っ込んでいるのは間違いないでしょう
だけど この絶景の広い庭それに小屋を 毎月僅かな額で島の友人から借り
水道もないトイレもない 5坪ほどの小屋に住んでいます
それに国民年金額以下で 十分生活を楽しんでいるのも大いなる自慢なんです
「下流老人」という枠に入っても生き方を真剣に真面目に考え実行すれば
「上流老人」の誰にも勝る価値ある人生が過ごせるのでは・・・・
安易に生活保護制度を使って怠惰な生活をするのはあまり好きではありません
上流社会生活をしている高齢者たちを決して羨んでもおりませんし
むしろその逆ではないだろうかとさえこの歳になって思っています
28歳の頃から私は父と一緒に建売建築業をしていました
40歳を過ぎて バブルの真っ盛りに入り 父は
JR駅から歩5分 世界遺産に指定されている寺院の近隣歩7分の300坪の敷地に
その敷地いっぱいの当時のケタ違いの建物を建てました
大きな門構え 全て純日本風木造家屋 本宅 離れ との中庭には
2mほどの高さの岩から落ちる滝 そして庭に流れる小川そこに石橋
本宅は誰も住まず 両親二人だけが暮らした家屋の離れ
そして日本庭園の奥に茶室
家一軒建てられる費用であろう立派な茶室 (茶道を楽しんでいた母の願い)
茶室は水屋は勿論 8畳の控えの間 純和風庭園に待合まで造らせた本格派
この家屋にある ほとんど使われることのない14部屋 そして4か所のお手洗い
庭園の中の各々棟につながる幅2m以上の 直線の長い廊下
横の庭には縦10m横3mのプールに3m×3mの子供用プール
当時小学生だった娘たちが時折使用していました
脱衣所に プールの周りはブドウの棚 ふさふさ実るブドウ
いわゆる苦労した父がやっと来たバブル時期に稼いだ成金での建物
私は設計や管理に携わってきましたが
私はこれが好きになれず むしろこの建物が恥ずかしくて
でも貧しい農村で育った父は一生一代の夢を叶えたのです
「この敷地にマンションを建てて 1階全てを自宅にしたら・・」
とも言いましたが ・・・
これは大きな無駄とは思いましたが 父の気持ちを尊重しました
父はほとんどの人が叶えることができない 夢を実現にしたのです
しかし私は一緒に仕事をしていた長男であるにも関わらず
両親が逝くまでの20年間 一緒にこの建物に住むことはなかったのです
父と母 ふたりで住んでいたのです 母には大きな親不孝をしてしまいました
私は郊外の中古の小さな家をローン返済で購入して住み
そしてバブル崩壊後豪邸は 父の残した借金の後始末で処分することに
この場所に今は大きな高層マンションが堂々建っています
私も役員だったので 結局無一文に・・・・
そのうえ数年後 弟妹妻子供とも家族としての絆も消え去ってしまい ひとりぽっち
「芸は身を助ける」 「趣味は身を助ける」格言通り 大学時代に学び
趣味として楽しんでいた衛星追尾システム関連の仕事をひとりで始めました
子供時代から多くの地獄も天国も見てきました
心の風景を巡って 「黒い花びら」 母との想い出 2016.10.22
父親を反面教師として酒も飲まず 暴言暴力浮気一つない
くそ真面目なような人生でしたが
環境や孤独に対しての強さも自然に身についてしまったのでしょう
神戸の芦屋 東京の田園調布なら別ですがアパートの並ぶ住宅街に建つ
この無駄な馬鹿でかい建物に私は誇りを持てませんでした・・・・でも
いまは水道もないトイレもない南の島の5坪ほどの小屋に住み
毎朝 庭から見られる日の出に
私は誇りをもって自慢できるのです
思いがけず ながながと書き綴りましたが
この20年間誰にも話さなかったことの一つ
少し胸のつかえが下りたような気がします
私の言いたかったことは
大きな豪邸に住んでも 小さな小屋に住んでも
心の持ち方で 恥ずかしさもあり 誇りも持てるのです
皆さんと同じように自分の人生も まだまだ書き足りない いろいろな事があります
ひとりきりになって
充実した幸せだった60歳代10年間の恋を 通り過ぎ
いまは穏やかな日々の幸せを感じて生きています
ひょっとしたら 人の数倍の人生を体験して生きてきたのかも知れません
もう充分 生きてきました あとはリッキーを見送るだけ
途中で話がそれて 自分史になってしまいました
この日誌で自分史を書き綴っていますが
これは外すことができない私の人生の1ページの出来事でした
話が大きく逸れてしまいました
「下流老人」 「上流老人」 の話の続きは次のブログにいたしましょう
「上流老人」資産家の多くの悲劇も見てきました
「上流老人」 が人としての知恵を使うこともなく
金の力だけで生きる 「三流老人」 に成り下がらないことを願って
自分史ブログ振り返って 第六章「リッキーと歩いての海辺散策を写真で紹介」