アーカイブス 心の風景を巡って 「黒い花びら」 母との想い出 | 南 の 島 か ら の 日 誌

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(RERUN)アーカイブ 心の風景を巡って 「黒い花びら」 母との想い出




第1回 日本レコード大賞 「黒い花びら」 1959年 私は中学2年 14歳






水原弘の歌、永六輔の作詞、中村八大氏の作曲です。

この年はペギー葉山『南国土佐を後にして』、村田英雄『人生­劇場』、

スリー・キャッツ『黄色いさくらんぼ』、守屋浩『僕は泣いちっち』、こまどり­姉妹

『』浅草姉妹』といった強力ヒットが目白押しだったにもかかわらずの受賞でした




 





1959年巷に「黒い花びら」が流行 当時 私は中学2年生14歳

父は京都西陣で呉服の反物卸業をしていました



家は小学校裏門前にあり 生まれて20年間の生活居住です
 

私が小学5年生の想い出をひとつ

家の2階の部屋の前が道路4mを挟んで5年生のクラス教室

ある日風邪で休み寝ていると 向かいの教室の窓から数人顔を出し

寝ている部屋を眺めて

「おーい 〇〇 ずる休みするなよー」

5年生の頃が一番嫌な記憶があります




 




14歳の時 父の仕事がうまくいかなくなり破産してしまい

それからは子供心に苦難の毎日でした

父が仕事をしなくなり毎日毎晩飲み歩き収入がなくなり

そして飲酒後 母への暴言、暴力の毎日




 



母がささやかに少しでも生活費をと今までの父の仕事の繋がりで  

呉服の反物を届ける仕事をしましたが


でもあの重い着物反物を何十本も運ぶ必要があったのです

それも歩いて1時間ほどもかかる場所にです



 




私は現在身長173cmありますがこの当時中学2年全クラス男女で最低身長だったのです

だけど  ペダルぎりぎりで自転車にも乗れましたから

自転車の後ろに呉服反物を入れる箱を乗せ 母と一緒に1時間歩いて行くことにしました



私は中学校授業が終わると夕方 近所の友達と前の小学校グランドでいつも

ソフトボールをするのが楽しみでしたが




 
 



反物を届ける仕事の時間になると 母は2階の窓から校庭グランドに向かって


「ともちゃん  仕事頼むね  ごめんね!」


いつも言葉の後に 「ごめんね!」 と言っていました




今も瞼を閉じると その時の窓からの母の姿 声を鮮明に想い出します


いま思うと     懐かしい幸せなひと時でした




 




その当時を今一度思い出してみます


母と二人でのみちのり


家から千本丸太町1.3km歩16分

私がハンドルを持ち 母が自転車の後ろに乗せている呉服入りの箱を押して



千本丸太町から四条大宮 1.9km歩23分  この距離は路面電車あり

母に 「母さん 電車に乗ったら・・  僕が電車を追いかけるから」

でも母は決して乗りませんでした

母は 「自転車で追いかけて来る ともちゃんが心配だから電車に乗っても落ち着かない」



四条大宮から仕事先1km歩10分








日本最古の市電  1972年廃線



懐かしい京都市電の姿  



市電の姿を見ると 市電の後ろで立ったままの母の姿が思い浮かびます



何十回と通う道のりに慣れ やっと母が帰り道の四条大宮から千本丸太町までの

市電路面電車に乗ってくれたのです



母が 「ともちゃん 中華そば食べようか?」 初めて言ってくれました

いつも四条大宮の繁華街での 中華そば屋からの美味しそうな良い匂いがありました




美味しかった 旨かった あの味は一生忘れることができません

母と二人の 温かい中華そばの味




その帰り道です 母が路面電車に乗ってくれたのは







いつも帰りの時間は夜になっていました


母は四条大宮から市電に乗りました
 

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  • 四条大宮/四条通宮通

    壬生車庫前/蛸薬師通

    千本三条/三条通

    二条駅前/御池通

    出世稲荷前/旧二条通

    千本丸太町/丸太町通



    四条大宮から千本丸太町まで約2km停留所は6か所停留所



    その間 席に座らずに電車の後ろで、

    私が自転車で追いかける姿を立ったまま ずっと見つめています   


    心配そうに 



    「大丈夫だよ! 心配ないよ  座りなよ  母さん」


    そう いつも 心で言って立ちペダルを踏んで電車を追いかけていました




     




    半世紀も過ぎ去って 今になって本当に思うものなんですね


    私の人生での 幸せな一瞬


    この時に戻りたい ・・・    


     母と二人 この時をもう一度 一緒に過ごしたい・・・・ と




     
     



    **  心の風景を巡って 「からたち日記」 少年時代の風景