自分史ブログ振り返って 第十二章 初めての海外旅行& 誰もが人生波乱万丈 | 南 の 島 か ら の 日 誌

南 の 島 か ら の 日 誌

  サトウキビ畑の中 ポツンと一軒家
  満天の星空 リッキーと私だけです 

庭で収穫した南国果樹をひとつでも食したいと思って 達成‼
バナナ パパイア パイナップル マンゴ アボガド アセロラ
パッションフルーツ シークワーサー  ドラゴンフルーツ 

 

南の島に生きて 「書き綴ってきた自分史ブログを振り返ってみる」

 

 

 

 

ブログを綴り始めたのは2014年暮れから 10年が過ぎ去りました

長く綴れてきたものだと我ながら感心しています

 

今まで日記も長く続かず 苦手だったのに

それなりの歳になり 自分史のつもりで思いのまま正直に

思い出深い写真とともに書き入れる文体が楽しく ・・・・

 

そしてそのままアルバムになるのが

いままで10年間もブログが続いた要因だと思っています

 

それに5年以上も前から 毎回この拙いブログを読んでいただいている

多くのブロ友さんに感謝   たいへん励みになってきました

 

この小さな島に移り住んで14年 

皆さんのように旅行写真も 粋なレストランの美味しそうな料理写真も

酒も飲まないので友達との忘年会 会合もなく

朝夕のリッキーとの散歩風景 庭の風景写真くらいのものです

度々の観光地紹介も苦手なんです

 

車に乗るのは10日に一度 15分の食糧買い出しくらいですから

都会で生活していたら 誰もがアパート閉じ籠り高齢者と見るでしょう

 

 

 

 

周囲数km民家がなくサトウキビ畑の中 

夜の灯りは満天の輝く星々、ホタルと数km先のかすかな民家の灯り

水道井戸もない暮らしをしているから 仙人暮らしと思われるのでしょう

 

閉じ籠り高齢者と仙人暮らしは 環境による紙一重の差かも

人と深くかかわらなくてすみ 他人と無理して話すこともなく

やはり私は 小さな島の閉じ籠り高齢者なんでしょう  

この閉じ籠り生活に満足していますが

 

日常生活を綴るのも不得意なので 時折書くことにして

この10年間に綴ってきた自分史の印象強い想い出のブログ

すでに書き上げブログアップに躊躇し ストックしてあるものをクリックしてみます

 

 

 

 

南の島に生きて 「書き綴ってきた自分史ブログを振り返ってみる」

                                                                 

「南の島からの日誌」は 私の「終活日誌」です

終活準備しています 

 

 

「こころの風景を巡って 初めての海外旅行 誰もが人生波乱万丈」

                                                                 

誰もが人生波乱万丈 私の場合 

天のてっぺんから地のどん底の高低差の大きさも珍しいかもしれません

 

そして 人生の最終章に 幸せのピークなんて 

終わり良ければすべて良し 最高の人生ですね

このブログは初めてのアップブログです  

 

NHK BSプレミアム 2021年1月12日

アナザーストーリーズ「夢の海外旅行が実現した日1965年」を見ました

私の初めての海外旅行 その旅は50年前1972年です

 

当時28歳だった私 半年後に結婚する頃でした

初めての海外旅行  3歳違いの妹を連れていく ハワイへの旅

 

妹は信じられない顔をして驚き 次に妹が心配したのが渡航費用

当時のハワイ渡航費用は一人当時大卒初任給の3倍位だったのでは・・・

まだ1ドル360円の時代で 滞在費持ち出し額はひとり500ドルでした

 

 

   

1965年ジャルパック 戦後初のハワイツアー(ネットニュースから)

 

日本国民が自由に渡航できない時代があり

それが許されたのが敗戦から19年を経た1964年4月であった

 

夢の海外旅行が実現した日 1964年4月

「閉じ込められた窓が開き 外から風が吹き込んできた」

 

私の人生初の海外旅行はこの8年後1972年 50年ほど前 妹とのハワイ旅行でした

妹にアラモアナショッピングセンター前で買ったムームーを着た

  可愛い写真があったのだが   旅の写真が見つかりません

 

  

 

私の記憶も薄らいでいますので ネットで調べてみました

 

海外旅行が自由化されたのが1964年

当時のジャルパックハワイツアーのCMの動画があります

ジャルパックツアー50周年過ぎていますが 

当時ハワイ7日間211、000円  今の価格なら100万円

 

 それから5年後、上記のサイトの今から50年前の1969年のところに

146000円からと出ていますので、当時の値段で100万円までにはいきません。

当時の大卒初任給が5万円くらいだったので、

その3か月分 今の金銭感覚で60万円から80万円ということでしょうか。

当時のレートは まだ1ドル360円だった 

向こうでの滞在費も今の感覚より3倍以上かかる感じだったでしょう。

その時の滞在費持ち込み金額は500ドルまで

 

当時1972年 自分の車を現金で買うつもりを取りやめ

妹との海外渡航費に使ったことを覚えています

 

 

 

ちなみに当時の物価を振り返ってみましょう。

牛乳が25円、かけそばが100円、ラーメンもそばと変わらないくらいの110円。

そして喫茶店(カフェ)で飲むコーヒーが120円   当時の物価と比較して現在は5倍

週刊誌が平均して70円、一か月の新聞購読料金が750円(現在は4,000円前後)といった感じです

 

旅とともに生きた作家 五木寛之

旅の中で育んだ哲学がある

「人生というのは何が起こるかわからないというハプニングの連続

空想力を鍛えておくと 自由に動けるようになったときに

とても意味のある旅行ができる 人生は旅と同じだ」

 

 

このブログ記事 これで終わるつもりだったのに

誰もが人生 波乱万丈

ジェットコースターのように急に上がり 急にドン底に落ち込み

また急に上がる 人並みに私も人生 波乱万丈を経験してきました

 

生まれ故郷京都での中学時代は

5軒長屋の借家住まい 呉服商をしていた父親の倒産で

毎日酒に浸っていて仕事しない父   母と一緒に自転車で呉服仕事

 

母と一緒に自転車の荷台に母の着物らの質草を載せ たびたびの質屋通い

酒を飲んで母に暴力をふるう父

反面教師なんでしょう あの父の姿を見ていたからか 酒も飲まず暴力嫌いな人生

心の風景を巡って 「黒い花びら」 母との想い出 ブログ 2016.10.22

 

大学時代はカトリック教会で小学生中学生50名ほど集めて開塾

学費も そして妹の大学入学金など調達 

*心の風景を巡って 学生時代 (ピアノ・ 塾) ブログ 2019.1028

 

 

 

1965年大学時代に宅地建物取引主任者免許を取得し 父の不動産業を手伝い 

(私は大学2年在学時 土地20坪付き平屋建売新築10戸の

販売委託を建築業者から受けたのです

 新聞広告チラシも制作 営業の毎日 ひとり一ケ月で新築10戸完売したのですが

この時の 興味深い話を・・・ 

 新築1戸建て販売価格 いくらだったと思いますか?

当時私が21歳 昭和40年1965年でした   販売価格 98万円!でした

私が販売していたのですから間違いなく事実です)

 

大学卒業 電子計測会社東京支店就職 3年後 父の不動産業を共に

バブル前の好景気に乗り 建築建売会社設立 建売家屋の土地購入交渉

年間40軒ほどの家屋基本設計も 広告制作も販売価格設定も営業も楽しく

社員3名と当時新築建売家屋は設計図面だけの基礎状態でほぼ販売完了

 

20代後半独身でしたが同年代月収の5倍以上 銀行 取引先 家屋購入者の接待

クラブや祇園お茶屋に行っても酒の代わりに私のテーブル上は いつも水入りのボトル

酔えないうえに宴席で対話しなければならない辛さ 嫌いなことは酒宴でした  

50年以上前 こんな時代でしたから 

妹を連れていくハワイ海外旅行も計画できたのです  いい時代でした

 

この時代 今から思えば面白いことが書き尽くせないほど多くあった

 

こののち大きなドン底が待ち構えているのを知らずに・・・

 

*第五章 「南の島に6年間住んでみて考えること」 2017. 11. 27

 

前回のブログも記しておきます 

*こころの風景を巡って 人生波乱第一章 忘れられない想い出

 

 

 

 

誰もが人生 波乱万丈

 

「人生というのは何が起こるかわからないというハプニングの連続

                            五木寛之

 

人は嫌だった想いは 「墓まで持っていく」 と言われますが

この歳になり もう逝く日まであとわずか

母が逝ったあと 

起こった数々の嫌などん底時代を書いてみましょう

(翌日)

父のこと弟妹のこと妻娘のこと仕事を失くしたこと 

嫌などん底を一気に書き上げましたが

 

その夜 今更ながらあの長い悪夢を綴っていることへの自己嫌悪 

やっぱり墓まで黙って持っていくことにします  

あの世で母に思いっきり聞いてもらいましょう

いま ブログ長文原稿 全部削除 

 

 

 

このブログを書き始めたとき 楽しいことしか書かないと決めていたはず

20年も経た過去を  なんで今更 綴ろうと思ったのか

 妹のことをブログに綴って  あの悪夢を再び思い出したのでしょう

自己嫌悪にならず  今までどうり  嬉しかったこと 楽しいことだけを

 

どん底に落ちて その底にある大地を しっかり踏みしめたからこそ

 

今になって思う このドン底最悪の時代から 人生のピークに引き上げてくれた

彼女との出会いに感謝あるのみです

 

失ってこそ 得られるものがあるのですね

*こころの風景を巡って 人生最後の手紙になる 「感謝の手紙」

 

シェイクスピアの戯曲 「 All's well that ends well 」 のタイトルのフレーズ

終わり良ければすべて良し

 

50歳後半から 奈良クラインガルテンそして南の島での生活20年間

私の人生 間違いなくピークです  逝くその時まで

 

人生の最終章に 幸せのピークなんて 

終わり良ければすべて良し 最高の人生ですね

 

画像 心の風景を巡って  少年時代の風景 「からたち日記」 の記事より 1つ目

 

 

(掲載ブログは私のブログ整理備忘録のため)

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