小さな花のひとりごと -7ページ目

小さな花のひとりごと

乳がん再発の心の動きを綴っています。
現在、肺、縦隔、骨に転移していますが、治療のおかげで元気に過ごすことができています。
やれることをやれるうちに。

知人が亡くなりました。
彼女の膵がんを知ったのは、昨年の今頃でした。
 
アロマやハーブ、漢方の講座に通ってくれていました。
講座を通した知人です。
いつも笑顔、疑問点にはきちんと質問をして真剣に学んでいました。
 
自分の体調なども話し合っていました。
今から思えば、お互いに笑っていましたが
その頃すでに、私は再発、彼女は膵がんが忍び寄っていたのですね。
 
一足先に私の再発が分かり、講座をお休みすることにしました。
最後の講座が、彼女が通ってくれたメディカルハーブの講座でした。
よく覚えています。
最終日まで講座を完了させた安心感や、次はないだろうという寂しさの中で
笑ってまたいつか会いましょうと挨拶をしたのを。
再発して次の講座は無いとは言えずに。
 
その1年後(昨年春)ラインがきて、彼女の状況を知りました。
何度も病院に行ったのに、検査結果には何も出なかったこと
やっとガンだと分かった時にはステージ4だったこと、
すでに余命宣告も受けたこと、
今では覚悟ができて好きな花でキャンドル作りをしていること、
少しだけ花の仕事も復帰したこと、
彼女は花が好きで花屋でアレジメントの仕事をしていました。
講座最後の日にいただいたアレジメントは、私の教室に飾ってあります。
 
幸い、私は薬との相性が良く、今のところ講座を再開するまでになりました。
その様子に彼女は
「羨ましい」「なにが違うんだろう」と言っていました。
これには私もどうしたらいいのか、言葉が出ませんでした。
ラインの向こうで泣いているだろうと思うと、苦しさが伝わるようでした。
私の場合は、再発ですからいつも覚悟があって。
それに比べて、予期せぬステージ4では、どれだけショックだったか・・。
 
家族が支えてくれている
遠くの病院の治療を見つけて連れていってくれる
家族が諦めていないから頑張れるなど、
良かったな、と思う言葉もありました。
 
今年のお正月に「よかったね、新年を迎えられたね」とやり取りをして、
「次は桜をみようね」と約束しました。
桜が咲いたらラインをしようと思っていましたが、
桜には間に合いませんでした。
 
信じられないけれど、こんなことがおこるのがガンです。
 
長文のようで短文の記事です。
一生懸命生きた彼女のことを記しておきたくて
彼女を忍んでここに書きます。
 
乳がん患者会でアロマの講習会を行いました。
 
春を健やかに過ごす漢方のヒント、ハーブやアロマの代用、そしてアロマ軟膏をつくりました。
オンラインなので、
揃える材料、作る手順、こちらから送る材料を考えると、
作るものも限られてきますが、
私としては、ちょうど自分が欲しかったので良いタイミングでした。
 
興味のある人が聴いてくれたのもあり、
良かったと感想をもらえたのは、ありがたいことです。
次回は、夏の養生をテーマに行う予定です。
 
自分が再発してから、話す気持ちに変化を感じました。
今までは、病気に対峙している人に寄り添う気持ちが欠けていたように感じたのです。
今回の講習会は、
話す自分と聴く自分が別にいたようでした。
 
今までは、仕事としての講座が大切であり
患者会の講習会はボランティアなので片手間だったのも否めません。
この講習会も大切なライフワーク。
できるだけ続けていこうと思います。

 

 
毎年ずっと行っているいちご狩りです。
 
入園料は年々値上がりしていたようで
さすがに今年は、私も気が付きました。
ついに3000円かあ。
でも、美味しいから良いのです。
スーパーで買ったのとは比べようがない美味しさがあります。
3年連続でいちご選手権で優勝している「あまりん」を栽培している農園です。
ずっと、ここ。
今年は、例年より人が多く「あまりん」に出会えませんでしたが、
どの品種も美味しいし、いちごであればどれでも良いのです。
 
昨年も書いたのですが、
10年以上前(同じ職場にいたアルバイトさん)との何気ないおしゃべりで
最後の晩餐に食べたいものは何?と聴かれたことがありました。
高級フレンチや中華など
どれもピンとこなくて決めることができず考え込んでいたら
彼が(男性なのです)
「私はゆかりご飯」と言うのです。
そんなものでいいのか!と気が付いた時にパッと頭に浮かんだのが
「いちご」でした。
 
いちごの木から自分で摘み取ったばかりのいちご。
毎年いちご狩りに行っていたのも、大好きだったからだと再認識しました。
 
再発が分かった年にも行きました。
まだ治療も始まっていない頃だったので、体調はいまいち。
不安を抱えながらも、いちご狩り農園に着いた時は感無量でした。
 
思い残すことなくいちご狩りを楽しんで、
さて次にどこに行こうかと言う頃に、背中痛が始まってしまいました。
ついに我慢の限界になり、予定を諦めて家に帰ったっけ。
いちご狩りもこれで最後か・・と思うことすら浮かばない痛さです。
痛みはいろんな感情を忘れるものですね。
我慢するだけで必死。
 
あれから丸2年ですよ~。
思い出話の一つになりました。
 
負けるもんかというファイトはないです。
ネガティブでもポジティブでもなく、
毎日を楽しめたらいいなと、淡々と過ごしています。
あっちにもこっちにも、そっちにも照れ 感謝でいっぱいです飛び出すハート
 

 
数か月ぶりに採血しました。
昨年春からの主治医は、
毎月検査をしても、
白血球が低いけど、だからと言って何も変わらないし
体調も落ち着いているから、
毎回検査をする必要がないよねと言います。
 
ほんと嬉しい。
これでなかなか血管が見つからずに複雑な気分になる回数が減ります(^^
 
今回の採血は、4か月ぶりでした。
さすがに主治医は
「あれ、こんなに空いてたか」と自虐気味でしたが、
それでもやはり4か月前とほとんど変化がなく、
変化がないということは、良くも悪くもそのまま。
白血球が少ないということです。
 
ひさしぶりに数値を知って、
あー、そうだったっけ。
この感覚も久しぶり、感染予防の意識が薄れていました。
 
先生「ランマークを毎月打つのも、頃合いをみて減らしていくからね。」
 
前は、半年ごとにCTを撮っていたのでその時期も来ています。
そうするものと思っていたので、
私「頃合いの判断はCTで決めるんですか?」
 
先生「ランマークで骨転移が消えることはないからCTは特に撮らないかな」
  「ただ副作用のリスクを減らしたいから、減薬をしていきたい」
 
そう言われてみればそうでした。
半年前や1年前のCT画像でも、骨転移は変わらずに存在していたので、
しかたなくランマークを打つことにしたんだっけ。
 
ランマークは骨粗鬆症でも使うお薬だそうで、
違いは、骨転移の場合は使う量と投与の回数が多いそうです。
どの看護師さんも決まり台詞のように
「薬が多いから、痛いですけどごめんなさいね~」と言います。
言わないで~と思いますが、言われないのも怖いです。
グググっと薬が入ってくるのが超痛い。
 
診察は、呼吸器外科もあります。
ゆくゆくはランマークを減らす予定の話をしたら、
呼吸器の先生「そういうこともあるね」
私「え、そういうことがないこともあるんですか?」
と聴きなおしてしまいました。
 
先生は、一呼吸してから
「乳腺外科と違うけれど、呼吸器の場合は、そういうことはあまりなくて、
乳がんは、うまくいけば長く過ごせるから減らすことがあるんだと思う」
減薬するまで持たないということか・・・?
同じ肺にガンがいても、乳がん転移との違いに不思議な思いを馳せました。
ただ、思うのは
私は自分で思うよりずっとずっと長く生きている。
自分がどれだけしぶといんだろう、
ガン細胞がのんびり屋なんだろうか、
ここまで来ると、自分でも未来が分からなくなってきています。
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
天気予報の地図では、
たくさんの地域で大雪が降って大変そうですが、
私の住む地域は晴れてカラカラ天気です。
毎日寒いですが、
それでも平穏な日常を送れることに感謝です。
 
再発当時「声がかすれる」ことがありました。
凄くかすれたり、時には声が出なくなったり急に治ったりと、気まぐれな症状でした。
自分でコントロールできないので、困ったものでした。
 
やがてこの原因は「反回神経」のせいだと分かりました。
放射線治療で声が元に戻ったのは、文字通り奇跡としか思えませんでした。
本当に本当にうれしかった。
 
声が出て、気兼ねなく会話ができることは
はたから見ると元気に見えるようです。
なので、今の私は「治ったの?」と思われるくらい元気です。
 
ですが、
お正月に引いた風邪がしつこく居残りをしていて、痰が絡むのです。
こいつが切れの悪い痰で、仕事中(講座中)にはホントに困るのです。
講座の邪魔なんです。
 
最近は、あまりに長引くので、放射線治療医師の説明を思い出してしまいます。
「声は戻りますよ。放射線治療は1か月後辺りから効果が出ます。
 そして2~3か月は持続します。」

では、そのあとはどうなるんですか?

「再びガン細胞の増殖が始まります。」

・・・・

もうとっくに2~3か月は過ぎているんです。

 

 

ちょっとビビってる。

風邪がちゃんと治っていないだけ!!!

そう願いたい。