パパ読めないの?娘には言われたくない | ともみと髭マンとガガ

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読むだけでどんどん愛されるブログ☺︎癒し絵心理セラピストミラクルともみ

ともみと髭マンの、ともみです。

昨日から引き続き、
岡山弁でいきます。

ようわからんけど好評じゃったけー!


先日、シェアしたこの動画に
温かい言葉をたくさんもらいました!

ありがとうありがとう




夫(髭マン)が絵本を読み聞かせする。

私は、
理想の父親像みたいなもんに
感動したわけじゃあ無いんです。

これが、うちら夫婦にとっては
ものすごい『前進』じゃったから。


日本語

この日本語いうもんに、
今までなんぼほど泣かされたかしれん。

夫(髭マン)が日本に来たのは
約10年前、私と結婚するためで。

髭マンはインド出身じゃけど、
英語が堪能で。

(インド各地で言語が違うから、
英語が標準語みたいになってます)


ほんで髭マンは、
世界中で英語が通じると思っとって。

英語しゃべれたら、
すぐに仕事も見つかると思ってた。

日本に来るまでは。


私らが出会ったんはオーストラリア
だったから、その雰囲気のまんま
日本に来たんよな。


(髭マンはインドで大学卒業社会人

渡豪更にオーストラリアで大学卒業

結婚のため来日)



私はちゃんと言ったよ、正直に。

『日本の、しかも地方は、厳しいよ』

て。

でもそこは無邪気な髭マン。

『おっけーまかせてー♪』

でもな、
岡山にきて、結婚と在留資格の手続きを
終えたら職探しがはじまって。

まず、ぶつかった壁はハローワークな。

日本語が喋れない外国人のためのブースに
待って待ってようやく通され、

『地方は仕事が少ないから東京に行ったらどうですか?』


…。


素直な私らは、東京まで行ったんよな。

東京で言われたのは、

『日本語出来ないなら東京でも仕事ないよ』

…。


職探し
「インド出身です」言った途端に、
断られる。面接すらしてもらえん日々。

ある日、履歴書を送った企業から
電話面接をしてもらえることになって、
(今でいうリモート面接の通話版)

前の晩にめっちゃ練習して挑んだんよ。

でな、

◯◯さんですか?

て、必ず聞かれるから、
返事するときには、
自分に”さんつけたらぜっいダメよ!

て何度も言い聞かせて。

いざ、携帯に電話がかかってきた。


面接官
「シャビンさんですか?」

「ハイ、シャビンさんデス!」



デス!

もう、真っ白。

準備しといた答えもぶっとんだ。

さいごに、

「どうして我が社に応募されたんですか?」

て聞かれた髭マンの答え。

「ハイ、有名ダカラー



デス!

これには面接官も吹いたよな。

もちろん結果は残念ながら。。。

その後も、何度も何度も立ちはだかる
日本語の分厚い壁。


私もな、
オーストラリアで英語に泣かされたから。

仕事してて英語分からんくなって、
お客様に叱られたこと何度もあったよ。

めっちゃ悔しかったし、
悲しかったし。

孤独だったブリスベンの生活で、
私の気持ちを前向きにさせてくれたんは
他でもない髭マンだったんよね。

髭マンは、英語が苦手な私にも
たくさん話しかけてくれた。

私が首をかしげたら、
何回でも、諦めずに、
分かりやすい英語で言い直してくれた。

読めない英文を代わりに読んでくれた。

私が困ってたら、
いつも助けようとしてくれた。


言葉の壁。
差別、偏見。

その悔しさや寂しさ分かるから。

日本では私が
髭マンの支えにならなきゃて、
私もひっしに動いたよ。


夫婦でパイシーパイスを開いたのは、

日本語がへたくそなお前は必要ない

なんてもう誰にも言わせるもんか!

ていう怒りの感情もあった。


髭マンが大好きな料理をして、
自由におしゃべりできる時間と空間。

差別や偏見に負けない、
髭マン本来の力を出せる場所。

それを作ることはある意味、
私の髭マンへの恩返し…
いや、愛返しだったんかな。

そして一昨年、娘が生まれた。

娘の存在は予想以上に大きくて。

私らが脇に避けといた、
「日本語の読み書き」という問題。


喃語を喋りはじめ、1歳になり、
絵本にも興味を持ち始めた娘。

これからもっともっと成長していく。

それを想像した時に、
髭マンこんな事を言いました。

「パパ読めないの? て、

娘に言われるのだけはイヤだわ…

勉強したい」

て。


忙しくてなかなか勉強する時間も今は
あんまり無いんじゃけどな。

まあ、そんなんで、

こないだ髭マンが娘に読み聞かせしよるの
見てたらいろんな思い出が蘇ったんです。







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