「ともみと髭マン」の、ともみです。
自己紹介をします。
たばた ともみ(田畑 智美)と申します。
ブログをずっと読んでくださっている方には、今更!? なのですが…。
自己紹介って、大事なんだなって。
私は岡山市に生まれ、岡山市に住んでいます。
小さい頃、自分につけたあだ名は “ぶうちゃん” でした。
ブタのキャラクターが大好きだったので、両親に「ぶうちゃんってよんで!」と強要していたので思春期になってから名残でぶうちゃんと呼ばれる時、とても恥ずかしくなりました。
夫はインドの人です🇮🇳
夫婦別姓です。
国際結婚の場合、日本で婚姻届を出すと、姓を変える届けを出さない限り夫婦別姓で戸籍登録されます。
(日本人同士でも、姓を変えるか選べれば良いのにね)
今は、「ともちゃん」と呼ばれることが多いです。
ターニングポイントって、いちおう書いたけど、私は節目節目が全てターニングポイントだったな…。
高校進学と同時に群馬県へ行くと決めたのは中3の初めごろ。
草木染めの第一人者と呼ばれる先生の個展を父親と倉敷で見て、
父が冗談のつもりで「高校行かずに、こういう所に弟子入りするのも面白そうだな」っていう一言に、
ピーン!て閃いて、中3の夏休みに先生の所(群馬)へ泊りがけで草木染めを習いに行き、弟子入りを志願してきました。
先生が、「将来のために高校は出ておきなさい」と仰ったので群馬県央高校への進学を決めました。
入試に受かって喜んでいた時に先生からお手紙が届き、まさかの弟子入りをお断りされるってゆうハプニングもありました 笑
でも親元を離れるチャンスだったので、群馬での高校生活を一人暮らししながら遊んで過ごしました。
で、やはりクリエイティブなことに興味がありデザイン画を描くのが好きだったので、東京デザイナー学院のファッション科へ進みました。
学生寮での共同生活、ファッション科で学んだこと。
一言じゃ語り尽くせないけど、この時に仲良くなった友達とは遠く離れても未だに仲が良い。
専門学校を卒業するときに就職先と引越し先がなかなか決まらず…、
学生寮を追い出されるので友達のアパートに泊まりながら…
とうとう都内から少し足を伸ばして横浜駅周辺でアパレル販売の職が見つかり、京急子安駅近くのアパートに引っ越しました。
で、一年半後、とつぜん父から電話がありました…。
「家に戻ってきて欲しい…母さんが大変なんだ…」
こんなに弱った父の声は初めて聞きました…只事じゃ無さそうだ…。
で、岡山の実家に戻り、母が文字通り大変なことになっていたので、家事を手伝いながら倉敷駅ビル内の雑貨屋さんで働くことにしました。
でもやっぱり、絵が描きたいなぁーと思い、絵画デザインの通信講座を受講しました。
24歳ぐらいかな、雑貨屋さんをやめてフリーターになりました。
これもまた転機でした…絵本を描いて絵本コンクールに応募したら、なんと最終選考まで残り、出版のお話しを頂きました。
そして最初の絵本を出版。
初版が完売すると増刷&印税を頂けるという条件で、ありがたいことに第三版まで増刷を重ねました。
意気揚々と二冊目の絵本を出版するため、版下(あとはもう印刷するだけ!のデータ)が出来上がったときに、なんと出版社が倒産してしまいました。
そして、倒産した出版社から版下データを何とか回収し、近所の印刷屋さんの出版部門から絵本を自費出版しました。
‘たばた ともみ 絵本’ でググると懐かしい写真が出てきたので、ちょいと拝借。
cafeZ(ときどき atelierZ)スケッチブックの記事2009年4月より
絵本をやっとの思いで出版したときに、絵本原画展をカフェZさんで開かせて頂いた時の写真。
その後、
オーストラリアでモニークからチョークアートを学び、チョークアート講師の資格も取得しました。
そして帰国後、オーストラリアで出会った髭マンと結婚しました!おめでとう私!
そうして、2017年2月、
南インド料理店&ギャラリーを夫と共に開きました。


ぜひ、じぶん履歴書を書いてみてください。
履歴書の行間には、書ききれない思い出がたくさんあって。
でもその行間こそが、今の自分を作ったんだって分かるから。
これまで歩んでこれたんだもの、これからも進んでいけるよ、大丈夫
