こんにちわ
昨日に引き続き、加藤レディスクリニックでの治療の記録を記載させて頂きます。
前置きが長くなります。。。
-------前置きはここから-------↓↓
義実家(北海道)との距離の取り方について。。。
判定日は、1月2日のお正月でした。
お正月は毎年旦那の実家の北海道へ帰るのですが、治療のスケジュールがどうなるかわからなかったので、今年は治療を優先して帰らないことにしました。
義理の両親も兄弟も親戚もはとてもいい方で、帰るととてもよくしてくれて楽しいのですが、どうしても移動が多くなるし、気を遣いすぎる性格なため、長期の義実家での宿泊は知らないうちにストレスになってるのかもと思い思い切って旦那に相談しました。
仕事を調整して時間もお金も労力をつかっても妊娠せず、ただ妊娠しないということだけが積み重なっていくことから変わりたかったのです。
振り返ってみると、2018年の後半くらいから少しずつ北海道へ行く機会を調整していたようです。
・2018年11月 義理の祖父のお葬式
→片道8時間程、2泊では疲れすぎるため旦那1人で参加
・2018年12月 義理の祖父の四十九日、義理の両親の還暦祝い
→参加
・2019年1月 義理の家族 ディズニー旅行
→ランドで合流 だけど極寒で旦那は帰り道に高熱
・2019年3月 親戚の法事
→片道8時間程、2泊では疲れすぎるため旦那1人で参加
・2019年5月 義両親 新居へ来てくれた
・2020年1月 東京で過ごす
→旦那の仕事が忙しかったことと、すでに治療を進めていた為、ギリギリまでスケジュールが分からず、東京で過ごすことに。
・2020年5月義理の家族で沖縄旅行
→治療のスケジュール不明なため、不参加と返事
※この時に義両親に治療をしていることを話しました。旅行は結局コロナでなくなってしまいました。
旦那はこれといって趣味もないのですが、北海道に帰ることを楽しみにしてるのがわかりましたし、義両親にも旦那にも距離を置いてると思われるのも嫌でした。
いつになったらこの状態から抜け出せるのかもわからず、私も辛かったですが、何か変えないとこのまま妊娠できないという焦りがありました。
妊娠したらみんなにいい報告ができる!
でもいつ妊娠するんだろう。。
このままずっと北海道に帰らないのかな。
そんな気持ちの葛藤がありましたが、帰らないのはやっぱり心身共に楽ちんでした
-------前置きはここまで-------↑↑
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判定日について
以下、判定結果を含みます。
見たくない方はここで閉じてください。
D25 1月2日 判定日
12月26日(D18)に移植して、次の日に1日だけ仕事に行き、年末年始の休暇に入りました。
寒い時期、ストレスなく暖かいお家でゆっくり過ごせてよかったです
判定日までの体調の変化としては、頻尿、テレビを見ている時に気がついたら20分くらい寝てる、臭すぎるおならがたくさんでる、急激な下痢
まさに判定日も病院の下のドトールで催していました
・判定日 ホルモン値計測
診察室に呼ばれ、先生から採血結果を渡され、「妊娠してますね!」
旦那は私の方を見て「やったーー!」
いつも感情を表に出さないタイプなのにこの時は反応が早かったな
私はというと何が起こったか理解するまでに時間がかかりました
少し時間が経って目がウルッとなりましたが、HCGが60台ってどうなの?って気持ちが強くて半信半疑のまま診察室をでました。
インターネットで探しあてた↓を見てもまだ半信半疑。
喜びよりもこれからどうなるのだろうと実感がわかないままだったように思います。
次の日、早期妊娠検査薬を使ってみました。
今まで擦りもしなかった検査薬が反応しました