【映画評】グラディエーターⅡ リドリースコット面目躍如の超弩級アクション、これはぜひ劇場で
グラディエーターⅡでございます。
いやー映画館で二度目が観たい、と久々に思わせた作品でした。
前作ナポレオンもそこそこな大作だったのに、さして間を空けずにこの大作。御年86歳のリドリースコット、どんだけ元気なんだ、と驚かされます。
そのナポレオン、人間ナポレオンを描くことにフォーカスし、そのためジョセフィーヌとの関係が中心に描かれることになったためか、スペクタクルシーンがあるにはあるが(そのスペクタクルシーンそのものはよく出来ているのだが)、映画としてはなにやら長いばかりでメリハリの無い印象の映画になってしまいました。
で、本作。その鬱憤を晴らすかのごとく、これぞリドリースコットの真骨頂!と言える、そりゃもうエグいアクションの連続www
コロセウムでの剣闘技大会も次から次へとアイディアを盛り込み、そりゃもうカツ丼にカレーをかけたが如くの大サービスで、これでもかこれでもか!と迫ってきます。なんと海戦も出て来ます!どうやって水貯めたんだー、どっから船入れたんだー。そんな細かいことはどうでもいいんです!www
キャラクター描写も遠慮が無いですwww
デンゼル・ワシントン演じるグラディエーターの手配師、まあいかにも一癖二癖ありそうな人物だし、これだけの大物役者を使うんだから、只でで済むわけは無い。で、期待に反しない活躍をしてくれます。もう影の主役と言って良いでしょう。
そいでもう、こいつらどうしようもねえな!とコテコテの嫌な奴をやってくれる、ゲタとカラカラ(なんだこの名前)の双子皇帝!まあ憎い憎い。こいつらの憎たらしさとが物語を支えていると言っていいでしょう!
ギャンブルでスッテンテンに巻き上げられるおっさんをはじめとする、右向け右の情けない元老院の面々。
前作の続きであるということが、しばらく話が進んだところでわかります。
前作の主人公マキシマスが、伝説的な人物として名を残している、ということになってます。
なので前作の復習は必須でしょう。
で、その流れで一か所だけ、「えーマジ!?」展開が中盤で出て来ます。え?え?そんなん前には言ってなかったじゃん…
ここさえ乗り切れば、あとは楽しめます。
アカシウス将軍のルシアス奪還作戦がちょっと雑過ぎるとか、5千の反乱軍対6千の皇帝軍による闘いが始まるかと思いきや、ルシアスと敵の一騎打ちでケリが付いちゃうところとか、まあところどころアレなところはあるんですが、ともかくこの迫力、スキのないセットと重厚な絵作りと圧倒のサウンドですよ。前作のような緻密さは無く、勢いで押してくるタイプの映画ですが、間違いなしのスペクタクル超大作。ぜひ劇場で!
【映画評】ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ タイトルは「アーサー・フレック」でお願いしたかった
ジョーカー:フォリ・ア・ドゥでございます。ピンとこないタイトルです。
IMAXで鑑賞。
前作の2年後、ジョーカーことアーサー・フレックは5人殺害の罪であっさりと捕まり、精神病院(医療刑務所みたいなとこ?)に収監され、静かに過ごしている。そこでリーという女性と出会い、互いに惹かれていく。幸福感に満たされるアーサー。またリーの大胆な行動にも影響され、自身も次第に大胆になり、他の受刑者を煽り立て、看守に逆らうなどするようになる。
アーサーの裁判が開始される。裁判は世間から注目され、テレビで異例の生中継が行われる。裁判が進む中、アーサーは自身の弁護を自身で行うと宣言、観衆が歓喜する中で、遂にジョーカーの姿で裁判に現れる。
随分と不評なようでww
不評の原因はアメコミファンの期待したジョーカー像ではなかったからでしょうか。
でも自分はこの作品、前作ほどのインパクトはなかったけど、結構好きなんすよ。
前作のラストをどう捉えるかによって、本作への期待の内容は変わってくると思うんですが、あのラストで「悪の権化ジョーカーが遂に誕生した!」と解釈するなら、続編ではジョーカーがハーレイクインと共に、悪辣の限りを尽くし大暴れ…となり、それがアメコミファンの期待するところだったでしょう。
でもねー。自分はそういう風には見えんかったんだな。
5人殺したとはいえ、3人はチンピラサラリーマン、1人はいじめっ子への仕返しでしょ。
ジョーカーってゲームの様に人殺しをするし、それを楽しんでる異常者なんすよ。その人数が多くても平気だし(映画「ダークナイト」のジョーカーなんかフェリー一隻沈めようとするし。楽しそうに)。
その意味ではアーサーはちっとも悪の権化になってない。いいことの一つも無かった人生で、ついに自分で自分の人生をコントロール出来た、その快感に酔いしれて踊ってる、そんだけ。
テレビの生中継での殺人はインパクトが強くて、それ見て喜んだ無責任な一般ピープルが、アーサーを祭り上げて神輿に乗せただけ。
なので今回のオチは納得なんです。
そもそもこの映画、いつまでたってもバットマン出てこないようになってるんだから。悪役もしかるべしです。
そしてラストも、もうジョーカーの続編はやりません、と宣言してる。
この映画は「ジョーカー」の映画じゃない。ジョーカーになれなかった男「アーサー・フレック」の映画なんす。
リア充になれなかった弱者男性の映画なんす。なんかそう思って観ると…切ないなあ…
【映画評】哀れなるものたち 女性は勝ち誇り男はみじめなのであった
哀れなるものたちでございます。
2024アカデミー作品賞 ディズニー+で視聴
架空の町ロンドン。マッドサイエンティストのゴッドことゴッドウィン・バクスターは、妊娠中に川に身を投げた女性の命を、胎児の脳を女性の脳と入れ替えるという大胆な方法で救う。体は大人だが脳は子供である彼女はベラと名付けられ、愛情を注がれつつも実験台として育てられる。彼女の日々の行動はゴッドの教え子である医学生マックスにより観察され記録される。
驚異的なスピードで知識を吸収していくベラ。やがてマックスに求婚され婚約するが、女癖の悪い弁護士ダンカンが彼女を誘惑し、旅行に連れ出す。性への興味も強い彼女にダンカンは夢中になるが、社会性に欠ける彼女は行く先で数々のトラブルを引き起こしたり、社会の現実にショックを受けるなどし、徐々にダンカンの手に余ることになっていく。
ダンカンの全財産を貧民に渡したために二人は文無しとなり、パリで路頭に迷い、ベラはダンカンに帰国する様に告げ、自身は食べていくためと娼館に住み込む。ベラに未練があるダンカンは帰国せず、時にベラに絡みに来るがベラは構わず、同じく娼館に住む社会主義者のトワネットと共に、娼館で得た金で大学に通い始める。
ゴッドの危篤の報でロンドンに戻るベラ。マックスとの結婚式の最中に、ダンカンに伴われやって来たのは、なんと元夫だった。
いや~変な映画。絵作りは派手でドギつくて、ベラ役のエマ・ストーンの目ん玉ひん剥いてロボットのように動く姿は夢に出て来そうだし、広角レンズを多用した画面と不安を書き垂れる音楽が観客に延々と刺激を与え続け、何が言いたいんかよくわからん映画を強引にラストまで引っ張ってくる。かの「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」を彷彿とさせるし、異形のモノを扱う映画として「シェイプ・オブ・ウォーター」も思い出させる。
まあよくトンデモな脚本をまとめ上げ映画として完成させたもんだと感心するし、いい映画なんだかどうなんだか正直わからんでしたが、最後のワンカットを見て(いやそれこそどんな解釈だって出来そうな映画だが)、自分なりに、ああこれはそういう映画かと腑に落ちるところはありました。
すっかり成長しおちついたベラの、あの勝ち誇った笑顔がすべて。これは女性が自立し解放され勝利に至る映画。
元夫のエピソードも最後に突然来て、なんでこれがここで来るのかと思ったが、あの勝利の笑顔のためには、このエピソードが必要だったんだとわかった。
娼館で客の男性側が、まあダサいというか惨めな描き方をされていたり、ベラが(エマ・ストーンがってことになるけど)ダンカンもマックスも虜にし、娼館では売れっ子だったりするわりには、それほど美人じゃなく、お体もまあそれほど…なのも、女性寄りの視線なのかなあ、と。
その他いろいろ考えさせられる要素があり、深く考察をさそう映画ではあるが、映画全体がテリーギリアム調でもあり、あくまですべてお伽噺、寓話であるとまとめられており、これまた深い。
ところでタイトルの「哀れなるものたち」、哀れなのは一体誰?これ原題は”Poor Things"で、Poorは貧しいとかみじめの意味もあるので、「かわいそうな人たち」ぐらいの意味でとれば、ベラに翻弄された男たち、ダンカンや元夫、娼館の客ってことになんのかなぁ。そか!あの最後の犬はつまり…