【映画評】ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ タイトルは「アーサー・フレック」でお願いしたかった
ジョーカー:フォリ・ア・ドゥでございます。ピンとこないタイトルです。
IMAXで鑑賞。
前作の2年後、ジョーカーことアーサー・フレックは5人殺害の罪であっさりと捕まり、精神病院(医療刑務所みたいなとこ?)に収監され、静かに過ごしている。そこでリーという女性と出会い、互いに惹かれていく。幸福感に満たされるアーサー。またリーの大胆な行動にも影響され、自身も次第に大胆になり、他の受刑者を煽り立て、看守に逆らうなどするようになる。
アーサーの裁判が開始される。裁判は世間から注目され、テレビで異例の生中継が行われる。裁判が進む中、アーサーは自身の弁護を自身で行うと宣言、観衆が歓喜する中で、遂にジョーカーの姿で裁判に現れる。
随分と不評なようでww
不評の原因はアメコミファンの期待したジョーカー像ではなかったからでしょうか。
でも自分はこの作品、前作ほどのインパクトはなかったけど、結構好きなんすよ。
前作のラストをどう捉えるかによって、本作への期待の内容は変わってくると思うんですが、あのラストで「悪の権化ジョーカーが遂に誕生した!」と解釈するなら、続編ではジョーカーがハーレイクインと共に、悪辣の限りを尽くし大暴れ…となり、それがアメコミファンの期待するところだったでしょう。
でもねー。自分はそういう風には見えんかったんだな。
5人殺したとはいえ、3人はチンピラサラリーマン、1人はいじめっ子への仕返しでしょ。
ジョーカーってゲームの様に人殺しをするし、それを楽しんでる異常者なんすよ。その人数が多くても平気だし(映画「ダークナイト」のジョーカーなんかフェリー一隻沈めようとするし。楽しそうに)。
その意味ではアーサーはちっとも悪の権化になってない。いいことの一つも無かった人生で、ついに自分で自分の人生をコントロール出来た、その快感に酔いしれて踊ってる、そんだけ。
テレビの生中継での殺人はインパクトが強くて、それ見て喜んだ無責任な一般ピープルが、アーサーを祭り上げて神輿に乗せただけ。
なので今回のオチは納得なんです。
そもそもこの映画、いつまでたってもバットマン出てこないようになってるんだから。悪役もしかるべしです。
そしてラストも、もうジョーカーの続編はやりません、と宣言してる。
この映画は「ジョーカー」の映画じゃない。ジョーカーになれなかった男「アーサー・フレック」の映画なんす。
リア充になれなかった弱者男性の映画なんす。なんかそう思って観ると…切ないなあ…