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【映画評】ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ

「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ」 アマプラで鑑賞
なんともイメージの沸かないタイトルのためスルーしてましたがアカデミー作品賞候補でしたね。

ホールドオーバーズとは残留者、留任者というような意味だそうでで、あまり馴染みの無い単語です。

クリスマス休暇に実家に帰れずバカンスにも行けず、寮にいたままの学生と、その面倒を見ることになった少々変わり者の先生の話なんで、「残留者」なんですかね。馴染みの無い単語なので状況説明のため「置いてけぼりのホリディ」の副題を付けたと。これまたセンスがあるとは言い難い。

 

ごちゃごちゃとタイトルについて文句書きましたが、もったいないんですよ。この映画。大変良い。良作、名作の類です。

ピンと来ない邦題のため観る機会を逃してる人がいたら、ぜひご覧いただきたい。

 

時は1970年12月。ボストン郊外。おそらくは金銭的に余裕のある家の子供たちが通う、全寮制の男子校。クリスマス休暇を前にしてみんなソワソワと落ち着かない。問題児であるアンガスも気持ちは同じ。ところが母親から連絡が入り休暇の旅行は取り消し、寮に残る様言われる。腐るアンガスは他の居残り生徒4名と共に、学校で2週間を過ごすことになる。彼らの面倒を見るのは偏屈者として知られる歴史教師のハナムと給食のおばさんメアリーであった。

 

大方の予想通りといいますか、アンガスと教師ハナムは最初は反発しているが、すったもんだの末、互いを理解し心を通わせていくわけです。そこは定番の流れと言って良い。しかしながらその脚本が実に巧みで、あっと驚かせつつも強引にはならない、実に良い塩梅の流れで進んでいくわけです。アンガスは問題児と呼ばれ多くの学校を追い出されて来たわけですが、ハナムはやがてその聡明さを見抜き、また過去に触れることでアンガスを理解する(観客も)。そしてハナムの過去も解き明かされていく。最後は二人に別れの時が来て固い握手を交わす。ハナムの「頑張れ」のシンプルなセリフが染みる染みる…

 

登場人物は多くは無いですが、各々に見せ場とセリフがちゃんと与えられ、キャラクターテリングも巧み。メアリーおばさんの程よく抑えた芝居もまたヨシ。それと忘れちゃならないのが、この映画全体を覆う完璧な'70sテイスト!舞台が70年というだけではなくて、映画そのものが70年代に作られたっぽい雰囲気を完全に再現してる!音楽の使い方からキャメラワーク、フィルム撮りであろう画面はざらつき解像度低め。でもこれで雪景色を撮るとハレーションを起こして画面全体が白っぽくなり、雪深い中にいる感を実にうまく表現するんだ。

映像、音楽、脚本と完璧な一本。久々のオレ的ヒットでした。だからタイトル、なんとかして~!!

 

 

【映画評】ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング そろそろシリーズも潮時か…

先行上映で観ました~ありがたいことにDolby Cinemaで。

 

米国が開発したAI”エンティティ”が自律し暴走を始め、あらゆるデジタル情報を操作し人心を混乱させ、世界を把握しようと試みる。各国はこのAIを自国のものとし、世界の覇権を得ようと画策。IMFのエージェントであるイーサン・ハントはこの状況に危機感を抱き、このAI自体を破壊しようとする。AIの破壊にはまず沈没したロシアの原潜に潜入し”ソースコード”を入手しなければならない。ソースコードの入手には”鍵”が必要。これは2本の鍵を組み合わせることによって使用可能となる。鍵を入手しようとするイーサン達の前に立ちはだかったのは、イーサンの過去を知る男であり、今はエンティティの手下である男ガブリエルであった…

 

で、ガブリエルを阻止し、鍵を無事入手するところまでが「前作の」ストーリーでありますwww

 

感想があちこちで出始めてますが、みんな同じようなところで??てなってますね。

 

要するに、風呂敷畳めなかったんです。

 

敵が実態の無いAIだってことがそもそもの間違いで、当シリーズがイーサンが体を張ったアクションで敵を倒さないとならない以上、実態のある敵を出さないとならない。そこでガブリエルの登場となるんですが、そもそもAIにしてもガブリエルにしても、人類抹殺した上でどうしたいのか、最終的な目的が見えてこないから、映画観ながら「これ何のためにやってんの?」と首をひねることが多くてどうにもスッキリしない。

 

そういう根幹がしっかりしてないから、各登場人物の行動やら起きてる出来事もブレブレで、話の展開に無理やり感が付きまとってしまう。

 

ラストを「イーサンの体を張ったアクション」に収斂させるために考えられたであろう、映画後半の流れは強引というか解りにくいというか。

 

細かいところも突っ込めばキリがない…ソースコードを破壊するための必殺アイテムをルーサーが「半田ごて」で作ってたりとかww

 

ガブリエルとイーサンの因縁も深堀りされないままだし。

 

まー勝手な推測ですが、前作が本シリーズの根幹を問い直し、イーサンの存在の意義とか意味まで問い直すような重い内容だったのを、ちょっと止めてアクション主体に舵を切り直したんじゃないでしょうかね?そのせいでイロイロ伏線がほったらかしになっちゃったと。あとM:Iシリーズはイーサンのアクションに頼りすぎ。チームプレイ&騙し騙され最後に大逆転もこのシリーズの醍醐味ですから…(ローグ・ネイションのラストなんか、それはもうお見事で…)

 

シリーズ続くかどうかわかりませんが、シリーズ物の宿命で、敵を考えるのが難しくなってくる。前よりも強くないとならないし、社会情勢に沿ったものでないとリアリティが無い。007は主役の交代で上手く新陳代謝していたので、いよいよM:iシリーズもそのタイミングかもしれません。シリーズ始まって30年。あの寅さんだって30年だからね。寅さんにAI持ち込んだら何て言っただろうね。「(寅)なあ満男、AIってぇのはなあ、ありゃあ人の心ってのが、入ってねえや。入ってるように見せるのは上手いが、元は冷てぇ機械の箱よ。厚化粧で誤魔化してる年増のババアみてぇなもんよ」「(つね)誰が厚化粧の年増のババアだって!?」「(寅)違う違う…」あ、どうでもいいですね。
 

まあイロイロ書いてきましたが、確かにアクションは大したもので、お金払って劇場で観る価値は十分!どころかお釣りが来るくらいで。あまり難しいことは考えず、コーラとポップコーンで楽しんでいただければ良いかと。

 

なお個人的には今回パリス姐さんがイチ押しです。もちろんアクションはキレッキレだし、すべてが終わってラストにメンバーが再会するシーンで、バッチリメイクで髪を整えた姿で現れてニッコリ…いや惚れました!

 

【マッドマックス:フュリオサ】どうしたジョージ・ミラー!

フュリオサようやく観ました。

なんでこれまで観なかったかというと、前作「怒りのデスロード」が傑作すぎて、その印象を壊されたくなかったからです。

 

その心配は杞憂でした。自分にとっては別物でした。

 

言っちゃあ悪いが、これが巨匠ジョージ・ミラーの作品であることすら疑うような映画で、どうした!と叫びたくなるような内容でした。

 

無論、前作に匹敵、ましてや超えるものなど期待してはいませんでした。

それでもなお、前日譚を作ることの難しさ。

既に出来上がってしまった様々な設定に辻褄を合わせるように物語を紡いでいくことの困難さがひしひしと感じられました。

 

刈上げ頭、義手となった左腕、健康な女性でありながら”子産み女”扱いではなく、大隊長という立場。”緑の地”に生まれ、そこに戻ることが最大の目的であること。

 

これらすべてに辻褄が合うように物語を構築していくことの困難さ。

 

なのでどうしても矛盾とか、そりゃいくらなんでも無理だろうという場面が出て来ます。

 

フュリオサの最大の目的が、緑の地への帰還なのか、ディメンタスへの復習なのか。これも全編通してブレブレ。

 

ディメンタスという人と行動もよくわからん。深く考えずにイモータンジョーの砦に殴り込みかけて、ダメダメで逃げ帰る。そうかと思ったら需要な拠点であるガスタウンを易々と確保する。

 

水と油はなにより重要なはずなのに、面白がってバイク軍団を延々と走らせたり、砂埃立てないように水巻いたりと。そういう細かいところがいちいち引っかかる。

 

それも本編がつまんないからで、本編に勢いがあれば些末は気にならなくなるもんなんです。

 

目がでっかいばっかりで小柄なアニャ・テイラー=ジョイはいつまで観てても大柄なシャリーズ・セロンに見えてこないし。

 

フュリオサとディメンタスの長いセリフのやり取りは、地獄の黙示録のラスト、監督自身がどうやって話を終わらせたらよいかわからず延々と観念的なセリフを続けさせていたことを彷彿とさせ。

 

なんでこの映画を作ったか??怒りのデスロード製作時点で既に構想はあったようですが。

 

うーん…正直、この映画をどう楽しめば良いのかつかみかねるまま映画は終わってしまいました。以上。