【マッドマックス:フュリオサ】どうしたジョージ・ミラー! | 模型づくりとか趣味の日々リターンズ

【マッドマックス:フュリオサ】どうしたジョージ・ミラー!

フュリオサようやく観ました。

なんでこれまで観なかったかというと、前作「怒りのデスロード」が傑作すぎて、その印象を壊されたくなかったからです。

 

その心配は杞憂でした。自分にとっては別物でした。

 

言っちゃあ悪いが、これが巨匠ジョージ・ミラーの作品であることすら疑うような映画で、どうした!と叫びたくなるような内容でした。

 

無論、前作に匹敵、ましてや超えるものなど期待してはいませんでした。

それでもなお、前日譚を作ることの難しさ。

既に出来上がってしまった様々な設定に辻褄を合わせるように物語を紡いでいくことの困難さがひしひしと感じられました。

 

刈上げ頭、義手となった左腕、健康な女性でありながら”子産み女”扱いではなく、大隊長という立場。”緑の地”に生まれ、そこに戻ることが最大の目的であること。

 

これらすべてに辻褄が合うように物語を構築していくことの困難さ。

 

なのでどうしても矛盾とか、そりゃいくらなんでも無理だろうという場面が出て来ます。

 

フュリオサの最大の目的が、緑の地への帰還なのか、ディメンタスへの復習なのか。これも全編通してブレブレ。

 

ディメンタスという人と行動もよくわからん。深く考えずにイモータンジョーの砦に殴り込みかけて、ダメダメで逃げ帰る。そうかと思ったら需要な拠点であるガスタウンを易々と確保する。

 

水と油はなにより重要なはずなのに、面白がってバイク軍団を延々と走らせたり、砂埃立てないように水巻いたりと。そういう細かいところがいちいち引っかかる。

 

それも本編がつまんないからで、本編に勢いがあれば些末は気にならなくなるもんなんです。

 

目がでっかいばっかりで小柄なアニャ・テイラー=ジョイはいつまで観てても大柄なシャリーズ・セロンに見えてこないし。

 

フュリオサとディメンタスの長いセリフのやり取りは、地獄の黙示録のラスト、監督自身がどうやって話を終わらせたらよいかわからず延々と観念的なセリフを続けさせていたことを彷彿とさせ。

 

なんでこの映画を作ったか??怒りのデスロード製作時点で既に構想はあったようですが。

 

うーん…正直、この映画をどう楽しめば良いのかつかみかねるまま映画は終わってしまいました。以上。