45年前には理解出来なかったレイジング・ブルを観直した
レイジング・ブルでございます。
アマプラで配信終了間近とのことで、慌てて観ました。
この映画、マーティンスコセッシとロバート・デニーロの最高傑作とする向きもありますが、公開当時観た時はなんかピンと来なくて、何の印象も残ってなかったんですよね。
今回観直して、その理由が分かったので書き残しておきます。
まずこの映画、ボクシングの映画じゃない。実在のボクサー”ジェイク・ラモッタ”の伝記映画であり、実力があるにも関わらず大成しなかった、その顛末についての映画です。
途中にボクシングのシーンを挟みつつ、その大半は弟でありマネージャーであるジョーイや、奥さんのビッキー、業界を仕切る人たちとの諍いが描かれていきます。
ジェイクは奥さんのビッキーが浮気してやいないかと病的なまでに心配し、「お前あの男とやったのか」と奥さんを罵り、殴り、弟にまで疑いをかけます。
このデニーロの芝居が上手い。殴るとか怒鳴るとかじゃなく。弟と一触即発のやり取り、殴りかかる寸前の、怒りを秘め、どことなく異常な目つき顔つき。抑えた演技が上手い。それでいてキレた時は徹底的にキレる。
ボクサー役のための増量減量も確かにスゴイ(今なら特殊メイクとCGでチョチョッとやっちゃうんだろうけど)が、それ以上にキャラクターの演じ方が半端じゃないっす。アカデミー主演男優賞も頷ける。
こういう映画が昔はアカデミー賞を取ってたんだよ…人を演じ、人を描く重厚な映画…
そんなことで、大変充実感のある視聴体験でしたが。
一方で
このビジュアルですよ。
ロッキーが1976年で、ロッキー2がこの映画の公開前年の1979年。
それでこのビジュアルで白黒でボクシングでデニーロとなれば、なんかロッキーよりもシブい、男の戦いを描くボクシング映画を想像するじゃないですか。
それはマーケティング的に必要だったのかもしれないけど、あまりに想像と違う内容に、当時これを観た自分はポカンとしてたんだろうなー、と容易に想像出来ます。思ってたんと違う。
なので映画としては傑作の部類なんだけど、期待していたシブい目のボクシング映画、ストイックな主人公が闘う映画も観たかったなーと思うのであります。
なんせ時折挿入されるボクシングのシーンが無駄にww迫真に迫ってて迫力があってスゲーんだもん。ねえ?!
余談ですがこの若いころのジェイクを演じるデニーロがビートたけしの若いころにクリソツで、たけしがパクったのかなーと勝手な想像をしております。
【映画評】PERFECT DAYS トイレ清掃の映画なのにウンコ出てこないよー これでいいのか?
今年もマイペースでやってまいります。
PERFECT DAYS でございます。カンヌで役所広司が主演男優賞取りました。
浅草あたりのぼろアパートに住んでいる初老の男性平山。なぜか妙にシャレオツな公衆トイレを日々清掃するのがが仕事。同僚の若者に呆れられるほど、トイレをピカピカに磨いている。
その几帳面さは生活にも表れ、毎日のルーティンを崩さない。近所の寺の境内を掃き清める音で目覚め、布団をたたみ、植物に水をやり、歯を磨き、ひげをハサミで丁寧に整え、玄関わきの棚に揃えた腕時計、鍵、小銭、古いフィルムカメラ、小銭をポケットに入れ、軽バンで出かける。仕事の後は開店直後の銭湯で湯を浴び、駅地下の古びた飲み屋で焼酎の水割りを一杯とおかずを2~3皿。布団に入って文庫本を読み、眠くなったら寝る。
そんなルーチンを崩すような出来事がたまに起きても、最後には元の生活に戻る。今日も仕事に向かう平山の表情は満たされているようでもあり、涙ぐんでいるようでもある。
渋谷にシャレオツな公衆トイレを作ろうというプロジェクトがあり(例の、人が入ると透明なガラスが曇って中が見えなくなるというアレも、このプロジェクトの一つ)、この映画も元々はそのプロジェクトのプロモーションビデオを作ろうと、ヴィム・ヴェンダース監督に発注されたものだとか。
不勉強で申し訳ございませんが、この監督の映画を観たことがありません。シャレオツなプロジェクトのプロモーションに相応しい、ハイセンスな映像を撮る方なのでしょう。
なので、トイレ清掃という素材を取り上げながら、トイレはすべからくオシャレだし、ボロアパートに住んでいても貧相ではなく、当節流行りのミニマリストのような風情であります。
そして決定的なのは、平山がじつはかなり裕福な家庭の出身であり、自らこの生活を選んだということがはっきりと語らているということ。
選べる側の人なんです。低賃金で3Kの仕事を選ばざるを得ない人ではないんです。
役所広司は、そういう人物を実に、存在感たっぷりに演じます。小奇麗なんですよ。そこは認めます。
この映画もそういう、なんというか映像センスの良さを楽しむ映画として観れば楽しめます。
だけどねー。なんかズルいと思ってしまうのよね。
3Kの仕事を選ばざるを得ない人の存在を「無かったことに」出来るほど、私ら市井の人間は安閑として暮らしてはいないんです。
コロナ禍の閉塞感から解放されたと思ったら円安、ウクライナ戦争やらパレスチナ問題やらで物価は値上げ値上げで、ポテチの袋も軽くなったことwww 今の社会のトレンドはむしろ閉塞感とか、日々の生活への絶えざる不安じゃない?
そんな日々でこの映画を観ると、「ちょっと高いところから見下ろしてないか?」と感じてしまう。少々イジケた気分になってしまうの正直なところなんです。
そしてトイレ清掃の映画なのに、ウンコも小便も、便器にあふれる便所紙と黄ばんだ水も、なーんにも出てこない。
見るべきものを見ようとしてない。作り手のそんな意識を感じました。
【映画評】ルックバック アニメでなくアニメーション、見せていただきました。
ルックバックでございます。アマプラで視聴。こういう映画館で上映するには短い、シリーズ物でもない作品は、昔はOVAなんて形で展開されたりしましたが、今時は配信ですねえ。
小学4年の藤野は、学級通信に4コママンガを連載しており、自身でもマンガが上手いと自負していたが、隣のクラスで不登校の京本が、自分より絵が上手いと知りショックを受ける。
それからはひたすら絵を練習する日々。勉強もせず友達とも遊ばず姉にも心配される。
しかし小6の途中で、京本には勝てないと知り、ぱったりと絵を止め、そのまま卒業を迎える。
卒業式の日、藤野は先生から、京本に卒業証書を届ける様頼まれる。
初めて出会った京本に「藤野先生!」と呼ばれ、自身が京本に尊敬されていると知る。
二人ははコンビでマンガを描くこととなり、高校卒業と同時にデビューの運びとなるが、京本は美大に行きたいとの思いを募らせ、二人に別れの時がやってくる。
引きこもりの京本が藤野に手を引かれ、外に遊びに出る。藤野の手が京本の手をしっかりと握って引っ張る。京本の笑顔。でも握った手がアップになる度に、やがてこの手が離れてしまうんではないかと、観る側に不安が募る。案の定、徐々に藤野から心が離れていく様が、表情の変化や、アニメーションならではのデフォルメで示されていく。これは切ない!
京本に尊敬していると言われ、家に帰る藤野のテンションが徐々に上がっていく。丸めた背中がまっすぐになり、歩きが小走りになりスキップになり、動きが大きくなっていく。水たまりの水が跳ねる。アニメーション!
ストーリーはやがて切ないものになっていくが、最後にフィクションならではの、マンガっぽい、アニメっぽい救いがある。実写でやれば「そんなバカな」と言われかねない展開も、マンガならアリかなと思わせる。その絶妙なバランスも上手い。
1時間ほどなのでサクッと観られますが、すごい充実感。これは良いものを見せていただきました。必見!