【映画評】アイリッシュマンと監督マーティン・スコセッシについて
Netflixでございます。
アイリッシュマン。いわゆるマフィア映画であります。
ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシ、監督マーティン・スコセッシと来て、これで面白くないはずがない…
と、書き始めて、実はマーティン・スコセッシについては(名匠とは知っているんであるが)、これまであまり意識してなかったことに気づいたわけです。映画ファンを自認していながら申し訳ございません。。。
んで、改めてスコセッシについて調べたら、結構観とるやん自分。
『タクシードライバー』(1976年)
『レイジング・ブル』(1980年)
『キング・オブ・コメディ』(1983年)
『グッドフェローズ』(1990年)
『ケープ・フィアー』(1991年)
『アビエイター』(2004年)
『シャッター アイランド』(2009年)
『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2013年)
『沈黙 -サイレンス-』(2016年)
『タクシードライバー』は押しも押されぬアメリカン・ニューシネマの傑作。デ・ニーロの出世作にしてジョデイ・フォスターのデビュー作。
『キング・オブ・コメディ』は名作「JOKER」の元ネタになった、スタンドアップコメディアンを目指す男の話。
『アビエイター』はディカプリオのキレ芸が光る傑作。
『ケープ・フィアー』(訳すと「恐怖岬」か?)はデニーロの異常犯罪者ぶりが光る佳作。
『シャッター アイランド』はラストのどんでん返しが見事なミステリーの佳作。
『ウルフ・オブ・ウォールストリート』は口八丁で人をだまくらかして儲ける株屋の話。これまたディカプリオが人間の風上にも置けないサイテー男を演じるのだが、なぜか憎めない、なんか不思議な映画。
『沈黙 -サイレンス-』は他のスコセッシ作品とは毛色の違う、かなり真面目で重い映画で、日本の隠れキリシタンとその弾圧を描く作品。
『アイリッシュマン』まで含めて、スコセッシ作品の特徴を述べるなら、ともかく「人」に尽きる。それも常軌を逸した人の描写。切れたりおかしくなったり追い詰められた人を、徹底的に描く。尊厳すらそぎ落とされた人をカメラが執拗に追う。
アイリッシュマンではパチーノが徹底的にキれ、デニーロが得意の泣きの芝居を魅せる。ジョーペシは役柄通りの終始抑えた芝居だが、この状況で冷静でいられること自体が異常と言える。これもまたイカれてると言えるだろう。
家族を守るために暴力に身を売ったデニーロが実の娘に言われたセリフが、キツい。結局暴力に明け暮れて回りが見えなくなっていた男の末路と言えるだろう。
【映画評】シカゴ7裁判 法廷モノの痛快さ&70's反戦運動
またまたNetflixでございます。
2021年アカデミー作品賞受賞の本作。
洋画は基本字幕で観るんですが、香港コメディ映画と法廷モノは吹き替えで観ることにしております。法廷モノは何せセリフが多い上に、弁護士と証言者の激しいやり取りが肝だったりしますので。
で、本作。ベトナム戦争真っ只中の米国で、反戦デモを先導したとの疑いで8名が起訴、150日以上に及ぶ裁判が始まります(うち一人は早い段階で裁判が分けられたのでシカゴ7となるわけ)。当局と裁判長が結託して、反ベトナム戦争派の誰かをスケープゴートにしてつるし上げてやろうと、やる気満々。あらゆるえげつない手段を使って有罪にしようとするわけです。
法廷モノの特徴として、ともかく合法かつ法廷のルールに乗っ取っている側が勝ちなわけで、検察側弁護側、そして裁判長が法の範囲内で打てる手を使う、反対側はこれまた別の法律を見つけ出して反論する。その丁々発止のやり取りがだいご味で、本作でもその部分は遺憾なく発揮されています。
観客は反ベトナム派の若者たちに肩入れするようになり、決定的な証言があった時は喝采したくなりますし、ラストは拳を挙げたくなります(なぜかは映画を観てね)。
ヒッピーの若者が実は知的であると次第にわかったり、弱腰と思われていた一人が最後には…と、思わぬ展開もあります。
裁判官も実に憎たらしい役を上手に演じています。政治的な題材と見せて、実は映画としてはかなりオーソドックスに、痛快感を追求した作品のようにも思えます。観てスッキリする映画です。オススメ。
【映画評】西部戦線異状なし すべての面で及第点だが、衝撃は、無い(一か所除いて)
配信会社がアカデミー作品賞クラスの映画をバカスカと作るなんて、こんな時代がかつて想像出来たであろうか!?
Netflixの「西部戦線異状なし」でございます。2023年度アカデミー作品賞でございます。
戦争映画では、あまり「意外な展開」というものがありません。戦争で何が行われてきたか、戦争ってどういうものか、戦争の何が困るのか、たいていの人はイメージ持っています。
なので戦争映画では、同じ話でも噺家によって演じ方が変わり別物になるがごとく、ある意味ありふれた話をどう料理し、説得力を持たせていくか、が勝負になります。
「プラトーン」では、これまで米国の戦争映画が第二次大戦モノばかりだった=勝ち戦だったため、英雄譚やら美談みたいなものが多かったのが、初めてベトナム戦争=負け戦を描いたことで観客にショックを与えた
「プライベートライアン」は前線で実際に繰り広げられること、つまりは足が飛び内臓がはみ出すことを赤裸々に描き出した
「フル・メタル・ジャケット」では新兵の訓練で、如何にして人間性が抑圧され、戦闘マシーンが作られていくかを明らかにした
では「西部戦線異状なし」は?
兵隊を駒とか数としか見ていないために、自分の意地やらプライドで多くの兵を死に追いやってしまう上層部
前線で、敵兵に対する恐怖や憎悪と、自らの人間性との狭間で七転八倒する兵士
友達が目の前であっさりと死んでしまう不条理
圧倒的な敵の兵力と、それによる恐怖感
そしてこれらと対比される、嘘くさいほどに美しい自然の風景
どれも高レベルで達成していると言えるでしょう。
でも一生モノの映画かというと…どれも及第点ではあるがこれと言って印象的な場面はないというのが率直な感想です。
唯一、冒頭で大量の兵士の死体について、その始末を描写するシーンがあり…人が死のうがなんだろうが、戦争がシステマチックに運用されていることを象徴的に示すシーンがあり、そこは衝撃でありました。これがテーマならよかったのに…と。