【映画評】ミナリ アメリカ版「北の国から」は上手く行かないのがミソ、だと思う、のだが。
ミナリでございます。ミナリってのは韓国語で「セリ」のことだそうで。セリ、ナズナ、ゴキョウ…春の七草のセリでございます。おばあちゃんが、近所の美しいせせらぎにこれを植える。それがいつの間にか大きく育ち…
韓国系の一家がアメリカの田舎に越してくる。これまで別の場所で暮らし、なにか色々と上手く行かなかったらしく、今度こそ一旗揚げようと、お父さん息まいてます。お母さんちょっとウンザリ。
で、お父さんナニで一旗揚げるのか、はっきり言いません。大きな庭を造るとか言いながら、実は農園作ります。これで儲けようという算段なようです。このあたりから、夫婦のそりが合わないというか、お父さん割とワンマンでお母さんウンザリ、な様子が垣間見えます。
おばあちゃん呼ばれてきます。お母さんほっと一息。これまでなんとなくギクシャクしてた一家が、おばあちゃんによって徐々にまとまって…
まとまらねえよ!www
汚い言葉吐きながら花札するわ、床座りでプロレス観てるわ。これがぜんっぜんキレイなババアじゃないんだ!
孫たちはこれまで、おばあちゃんにあまり馴染みが無かったようで、この孫にとって「ちょっとうざい」ばあちゃん像というのが実に実によく描けていて…昔なら何でもなかっただろう、ちょっとした行動が、今時の子供にはいちいち癇に障る、そんなイラっとした感じが、もう、実にリアルでいいです。
こんな調子で農園の作物の育ちにも一喜一憂。子供の心臓病の心配もあり、ちょっといいこともあり。
事件もいろいろ起きたりうまく行ったり。
順風満帆には進まない。いいこともあれば悪いこともある。これがリアルっていうんでしょうね。
んで、お父さんにちょっといいことがあるんですが、お母さんが「今目の前のことがうまく行ったからと言って、この後も上手く行くとは限らない」と決別を宣言します。
冷静です。正しいですよ。
だからラストは納得いかない。この後最大の危機が起こるんですが、「ホラやっぱり」で、お母さん去っていく流れでしょう?
ところがそうはならない。
ここまでの話の流れが、映画的な、いわば予定調和のような流れになっていないところに、この映画の価値があると思っていただけに、あれは納得イカン…
というわけで誠にオシイ。ラスト除けば80点ぐらい差し上げても良い映画でしたが。「アメリカンドリーム」が大事な米国の方はまた違った見方をするのかもしれません、ハイ。
【映画評】サウンド・オブ・メタル 〜聞こえるということ〜 聴覚障害についての耳からウロコ
サウンド・オブ・メタル 〜聞こえるということ〜 でございます。また映画史に「恥ずかしい邦題」が一つ増えましたでございます。「聞こえるということ」って何?まったく意味不明。
それはともかく、映画は秀作です。まったくチェックしてなかっただけに、得した気分です。これだから映画観るのはやめられない(Amazon限定なようですので注意…)。
ヘヴィメタバンドのドラム(と言ってもドラムとボーカルの二人しかいないのだが…&、厳密にはヘヴィメタでは無いらしいんですが、音楽に疎い私には分からん)やっていた兄ちゃんが突如難聴になってしまいます。バンドに難聴は致命傷なわけで、兄ちゃん荒れます。ボーカルの彼女が、彼氏に立ち直ってもらおうと、聴覚障害者の自助グループに入れようとして、すったもんだの挙句、グループに入ります。ここでは外部との一切の連絡は不可。いつか迎えに行くと彼女に誓いつつ新生活の始まりです。
グループの世話役のオジサンは、「聴覚障害は直すものではない。聴覚障害者の生きる道があるのだ」てなことを言います。
兄ちゃんは最初は荒れてますが、徐々に生活に馴染み、頼れるメンバーになります。
それでも、聴覚を取り戻して彼女を迎え、元の生活に戻ることを捨てきれない彼が選んだ道は…
まず、聴覚障害者と言っても、みんなが全く聞こえないわけではない。聞こえる程度や聞こえ方は様々なんですよね。自分も障害者と少々関わる仕事してまして、視覚障害者と言っても全盲(まったく見えない)から視力が低い人(全体ぼんやりしているとか、拡大鏡使えば見えるとか様々)から視野の一部が欠けている人から状況は様々。聴覚は全く聞こえない人から高い音なら聞こえるとか低い音しか聞こえないとか様々。
それと人工内耳。頭に手術でなにか機械を埋め込むことで聞こえるようになるという代物で、自分は以前からこの存在を知りつつ、手術には勇気がいるけど、これで治るならオッケーじゃんぐらいに思ってました。
で、この映画。この「聴覚障害者に音がどのように聞こえている」「人工内耳の音ってこんな感じ」について、健常者が疑似体験できるように作られている。
この兄ちゃんは、静寂の中にいるわけではなく、常に「ゴォー」という音と、周囲のわずかな音が聞こえている状態。
人工内耳については、なんというかもう…。「サウンドオブメタル」のタイトルがここで生きてくる。ああ~そういうことか、と。
兄ちゃんは健常者の中にいて疎外感を感じ、おそらくは自助グループの世話役の言っていたことが徐々に腑に落ちてくる…二人の顛末は映画で確認してもらうとして。
障害者では無くても、年を取れば出来ることも出来なくなっていく。あの日以来会うこともない思い出の彼女も、ひーふーみーと数えれば、え、もう〇〇歳!!げ!!
失ったものを無いものねだりで求めるより、前を向いて進んでいこう、と。
そんな教訓を与えてくれる映画でありました。
【映画評】シン・仮面ライダー(2回目) 庵野監督のドキュメンタリー見て追記
「ドキュメント『シン・仮面ライダー』~ヒーローアクション 挑戦の舞台裏~」を視聴。
驚きました。
にせライダーがCGなのは予算不足と勝手に考えておりましたが、パンフレットの読み込みが足りなかったです。
ちゃんとスーツ作って撮影までしてるんですね。
それでも必要な品質に達していなかったと全部ボツにして、CGにしたとのパンフレットの記述を見つけました。
なるほど、思い切った決断だと思います。
いや~…それでも本編のシーンは観るのきつかったです。
暗闇で、動き激しくて、ピカピカ光って、何が何だか全く分からない。
それと、にせライダーが機関銃撃つってのは…
戦闘員だったらいいんです。でもショッカーの改造人間が飛び道具使うなよ、肉体で戦えよ。
思い切った決断だったとしても、代わりに提示されたものがアレではなあ。実写の方がよほどひどかったのか。それともCGに切り替えたはいいが、既に時間も予算も尽きてあのようになったのか。
それとチョウオーグとの闘い。
スタッフが「泥仕合」と称する、くんずほぐれつのシーン。
いかに超人的なパワーがあっても、双方が強ければ、闘っても決着がつかず、最後には力果て、こういう流れになってしまうだろうというのは、確かに理解出来ます。
でもしっくりこないなー。なんでだろう?
そうか。クモオーグにライダーキックかました時、コンクリが割れてクモオーグめり込んでた。あれだ。
ターミネーター2でシュワちゃんとt-800がどつき合ってたシーンで、お互いに胸倉つかんで相手を振り回し、体が壁にぶつかった時に、鈍い音たててコンクリの壁が破壊されてた。
普通に床を転げまわってたんではただの人。だから泥仕合でも床やら壁が砕けるとか。疲れてパンチも当たらなくなって、壁とかにあたって壁に穴空いて。最後は穴だらけの室内でお互い膝ついてハアハアやってるとか。
あと、また別のシーンになるけど、一文字が本郷に「俺は誰とも群れない」とか言って去って行ってから、単身でショッカー基地にバイクで向かう本郷を橋の上から見ているんだが、気が変わるの早すぎ。ここ無しにして、トンネルで本郷がやられてるときにいきなり出てきて助けるシーンにつなげればカッコ良かったんだが…
こんな風にラストにかけてイマイチなシーン畳みかけられて、すっかりテンション落ちてしまいました。
ドキュメンタリー見ていると、庵野監督は自分も答えを持ってないのに、周囲が出してくる案にダメ出ししてくるという、上司だったらきわめて困るパターンのお人のようです。でもクリエイターだし、庵野組の皆さんは慣れてるから大丈夫なんでしょう(エヴァのドキュメンタリーでも、ちゃぶ台返ししてたもんなあ)。シンゴジとシンウルはアクションシーンはほぼCGだったけど、生身の人が演じるアクション映画だと、こういうことになるんだなあ。希代の天才作家庵野秀明と、支える庵野組の方々、これからもがんばって下さい(と、なんのオチにもならない終わり方をするのであった)。