【映画評】あのこは貴族 久々に力のある演出家!岨手 由貴子氏の今後に期待!
宇多丸印にハズレ無し!
「あのこは貴族」でございます。
華子は渋谷松濤に居を構える名家の出身。何不自由無く育ちつつも、28歳で働いたことも無く家事手伝いを自称する、筋金入りの箱入り娘。結婚を期待される年齢だが婚約者と別れることになり焦る。イロイロと男性を紹介されるもロクなのがいない中、弁護士の幸一郎と出会い、一発でゾッコンに。一郎は政治家も輩出する名家中の名家の出。二人は結婚を約するが、華子は幸一郎宛の、美紀なる女性からの親し気なLINEを目にしてしまう。
美紀は地方出身者。苦労して慶応大学に合格するも、家庭は裕福とは言えず、水商売で働きながら学費を稼ぐこととなり、結局中退。幼稚舎からの生え抜きの慶応大生との経済格差を思い知らされる。引き続き水商売で生活する中、学生時代に出会った幸一郎と再会し、以後付き合ってるとも言えないズルズルの関係を続けることとなる。
華子の友人のバイオリニストが、幸一郎と美紀の出席するパーティで演奏したことから二人の関係に気づき、後日美紀と華子を引き合わせ、幸一郎と華子が婚約していることを伝える。美紀は、自分はいわゆる都合のいい女、幸一郎とは二度と会わないと話す。そして華子は美紀にこう尋ねる。「幸一郎さんってどんな人ですか?」
やたらとセリフで説明し、分かりやすいが浅いばかりのドラマが横行する中で、久しぶりに力のある演出に出会うことが出来ました。
観客にちゃんと考える余地を与えるし、状況をシンプルなシーンで説明することも上手い。あーそれってあるよね。わかる。ちょっと痛い。っていうシーンがいろいろと。東京のパーティ会場と地方都市のホテルの宴会場が出てくるが、ホントに地方のホテルの雰囲気上手い。あるある。
描かれるテーマは、現代社会を覆う、逃れようの無い格差。学生時代の美紀が体験する「ちょっとお茶」の場面で、まざまざと見せられる隔たり。
上流の中でもさらに格差があり、そのランクに生まれた瞬間に決定づけられた人生。あるものはもがき、あるものは当然のこととして粛々と受け止める。そこで生まれ育った人間にとって、いいも悪いも無い。そういうものだと思っている。だからこそ悲劇的。
唯一美紀だけが、友人の協力も得ながら、自分の生活を、自分の人生を歩んでいこうと決意する。それは散々勉強して有名大学入学を獲得し、それまでも自分の人生を自力で何とかしようと闘い続けてきた美紀だからこそ出来ること。
それだけにあのラストは唐突だぁ~。残念。出来るわけないでしょそんなの。2時間少々の映画の中で何かオチをつけないとならないのはわかるが、それは無理。まあ同情した友達の方に逆に助けてもらってると解釈すればアリか…
【映画評】AIR/エア 王道のサクセスストーリー 王道すぎて普通
1984年、シューズメーカーのナイキはランニングシューズでは成功していたが、バスケットボール用シューズでは、アディダスとコンバースの2社に大きく水をあけられていた。
テコ入れのため雇われたソニーは、バスケットボールに詳しく、試合のビデオを見ては研究に励んでいた。自社製品の宣伝のため、どの選手を契約を結ぶかの会議の中、ソニーはこれまで数人の選手に予算を割り振る従来のやり方を覆し、ある有望選手に全予算を投じるアイディアを持ちかける。その選手こそ後の名選手マイケル・ジョーダンであった。彼に対し、他社をも巻き込む争奪戦が始まった。
アメリカ人の好きそうなビジネスサクセスストーリーです。主役のマット・デイモンはこういった、ひたむきに頑張る人物の役が多いですが、今回もラスト近くで演説ぶつシーンがはまります。
元の話が感動的なんだから、感動的にならないとおかしいし、その意味で実に安定の内容です。逆に言えばこれと言って特筆すべき点も無いなあ。印象に残ったのは最後のプレゼンが終わって電話を待つシーンのハラハラ具合とか。
外しはしませんので、週末のお楽しみにいかがでしょうか。はい。
【映画評】花束みたいな恋をした ありふれた話で作ったありふれてない映画
共に大学生の麦と絹の二人の男女はサブカルの好みがピッタリだったことをきっかけに恋人同士に。やがて同棲に発展しそのまま卒業、フリーターのまま二人の生活を続けることになる。
最初は好みの小説や漫画や映画に囲まれ楽しい日々を過ごすが、麦が目指していたフリーのイラストレータの道が収入面で厳しく、やむを得ず就職する。
仕事中心の生活となる麦と絹には次第に心のすれ違いが生じ始める。
くっついて最後は離れる、恋愛ものとしてごく普通の展開に見え、むしろユニークなのは、映画らしいドラマチックな出来事とか意外な展開が「何もない」ってとこなんですね。
最初は楽しい楽しいでやっていけた二人が、現実社会の厳しさに直面して衝突しはじめるって、ごくありふれてるというか、結婚経験してる人が大なり小なりみんな経験してるんじゃないでしょうか。
それを真正面から描いてきて、これだけ説得力のある映画に仕上げたというのが何よりスゴイ。観てる間身につまされてつらかったもん。
傑作になった要因はいろいろあるでしょうけど、映画の中心的な要素であるサブカル等のディティールの正確さ緻密さ(ちゃんと時系列で、当時流行ったネタを並べている)、ストーリーそのものを際立たせる、あえてのオーソドックスなキャメラワーク、ダレの無い脚本などもさることながら、二人の主人公の演技が大変良い。有村架純の最後のファミレスシーンの延々泣きは、よくあれだけ長い時間、小泣きからはじまって大泣きに至るまで演じきったと感心しました。
ところでそのファミレスのシーン、麦の「もう好きじゃないから結婚しよう」的な物言いは…まあ映画だから、麦が精神的にまだ若くて成長してないってことの描写なのか、それ言われて「はいわかりました」って普通言わないだろ…別れ気分がつらいから現状維持に逃げたってことか…絹も一瞬ゆらいだけど、二人のドッペルゲンガーのごときカップルを見て、ああ昔はあんなふうに仲が良かったのに…と思い出し、あれが戻ってこないなら一緒にいる意味は無いと思ったんだろうね。
この破局をモラトリアムの崩壊と解釈する向きもあるようだが、そう考えると絹の涙は「クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の逆襲」のひろしの泣きと同じ、「あの懐かしい日々には戻れない、現実を背負って生きていく責任がある」と悟った悲しさとも捉えられる。
そうなのかどうなのか知りたいところだが、一年ほどでしっかり二人とも新しい相手を見つけた様子ではあるけど、どんな付き合い方をしているのか、相手は仕事していて生活が安定しているのか、それとも相変わらずサブカル楽しー!だけでやっているのか、映画の映像だけではわかりませんでした。残念。