模型づくりとか趣味の日々リターンズ -14ページ目

【読書記】『銃・病原菌・鉄』モノにはすべて理由があるんじゃ


 

おいおまえwww

 

高校生にしてこの本を「読みやすい」とは。相当な頭の持ち主。しかも「おととい」から読み始めて一気読みwww

そもそも読書量は半端無いし、実は金持ちの娘っぽいし。この人大したものです。


さて。

書評”なぞと書くのはおこがましいので”読書記”としました。

人生の宿題ということで、これまで読もうとして読めなかった本を読む企画です。

 

でー、『銃・病原菌・鉄』です。草思社文庫上下巻で800pぐらいあります。

 

これは学術本なので、読みにくいです。ハイ。

それでもおそらく、学術本としては読みやすい類のものなのでしょう。一応、何が書いてあるかぐらいはわかりました。

 

巷にあふれる自己啓発本の類との違いは、巻末の関連文献(いわゆる参考書籍のようなもの)のボリュームでわかります。ちゃんと研究成果に基づいて、エビデンスを元に語られています。当たり前のようでいて、以外とそうでもない。怪しげな健康本やらダイエット本はこれで区別できますね。はは。

 

で、中身なんですが、「なんで欧州や米国が先進国でアフリカやら南米やらニューギニアのあたりがそうはならなかったのか」というシンプルな問いへの答えです。ものにはすべて理由があるんだ、ということのようなんです。

 

狩猟採集から農耕生活への変化により人類は発達したと言われておりますが、その変化がうまく行くときと行かない時もある。狩猟採集をしていたエリアが農耕へと変化し、その変化が周辺にもジワジワと広がっていくわけですが、その広がり方がどこでもいっしょというわけではない。

 

途中に高い山や広いサバクがあれば広がりは遅くなる。

緯度が近い東西なら同じ作物が育つけど南北ならそうはいかない。だから東西に長いユーラシア大陸では農耕が早く広がったが、アフリカではそうは行かなかった。もちろん海の隔たりがあればさらに広がりは遅くなる。

 

農耕が進むと狩猟採集よりたくさんの食べ物が得られるようになる。そうすれば食べ物を得ることに直接従事しない人を養えるようになる。政治をやる人や軍事をやることに特化した人が出来る。国は大きくなり強くなる。

 

そんなようなことが、食料、家畜、病気、文字などさまざまな要因に関して、また中国、オーストラリア、南米など世界各地について延々と詳細に800P、語られます。

 

さすがに通読は無理で、下巻の16~19章はスルーしてエピローグを読んで終わりました。

 

お勉強にはなりますが、面白いと思うか思わないかは人によりけりでしょう。

日常生活に生かせる教訓としては、「なぜ今それがそうなっているのか、そもそもの原因やら理由やら経緯があるのであって、そこに立ち戻って考えることで問題解決の手段になりうる」でしょうか?


【映画評】ゴジラー1.0(ネタバレ無) ゴジラは120点 ドラマはダメダメ、むしろ不快

ゴジラ-1.0 感想でございます。

いやー! 特撮はアガるねー! ゴジラやっぱいいねー!

いいところもダメなところも、全部合わせてゴジラさいこー!

もう、書きたいこといっぱいあるもん!うおおおおおー!!!

 

【ぼくの考えたゴジラ-1.0】

戦後、廃墟となった東京にゴジラが現われ蹂躙、破壊の限りを尽くしただけでなく、都の中心部は放射能汚染により人の居住は不可能となる。

歴史が変わった。もはや日本に価値無しと考えた米軍は早々に撤退。しかし日本人はあきらめなかった。首都は大阪に移り、ここから日本は奇跡の復興を遂げる。復興のモニュメントとして建てられた太陽の塔に隣接して議事堂と中央官庁街が形成され、甲子園で日本初のオリンピックが開催される。高度成長を謳歌する日本。しかし再びゴジラが現われ…

 

予想は大外れでしたwww

 

【ホントのゴジラ-1.0】

終戦も間近となった1945年。特攻として出撃した敷島は機体が不調と偽り、整備員のいる大戸島に不時着、その夜ゴジラと遭遇。恐怖に怯え機銃を打てず、整備員多数が犠牲となる。日本に戻った敷島は、赤ん坊を抱える典子に家に転がり込まれ共同生活を営むことになるが、大戸島での出来事がトラウマとなり連日悪夢にうなされる。典子が銀座に働きに出るが、ゴジラ来襲の報がラジオから流れ…

 

まずゴジラの出てくるシーンは(冒頭を除いて)120点!差し上げたい。水面ギリギリで浮かぶゴジラが木造船を追ってくるシーンは迫力満点で、これはその場にいたらかなりビビるわ…と思わせる。かつて平成ゴジラで検討されたという「ゴジラ対戦艦大和」の夢の実現もある(大和じゃないけど)。その後の銀座上陸シーンはまさに圧巻。音もいい。ゴジラの鳴き声とズシンズシンと響く足音。新録されたゴジラのテーマが流れた時は鳥肌立ちました。火を吐くシーンはさらにものすごく(背びれのアクションはどうかと思ったが)、その威力をビジュアルで強烈に表現しており、あらゆるゴジラ映画を凌駕したと言って良い。初代ゴジラのオマージュも盛り込まれ、ファンサービスも十分。後半ではゴジラとの闘いシーンが迫力のうちに展開され、見ごたえ十分。さすが白組。面目躍如。ゴジラ・ザ・ライドを演出した監督だけのことはある。

 

でもねえ…

 

人間ドラマがダメダメなんですわ。

 

まず戦後のバラックで暮らす敷島と典子のシーンですが、戦後のリアリティが感じられない。服を汚したりはしているけど、あくまでドラマの中にしか見えない。顔は化粧バッチリで眉毛バシバシ描いてるし。なんかこー、NHKの朝ドラみたいなんだな。

 

ドラマ自体もどうにも。この映画の根底に流れるテーマの一つには、明確に「戦争で生き残った人間の立ち位置」というのがあるわけですけど、死んだ方が良いのか生きぬくべきなのか、死にたいのか生きたいのか、死んでほしいのか生きててほしいのか、全編を通してブレブレなんですね。敷島は最終的にはもちろん、どっちかになるわけですが、なぜ最終的にそれを決断したのか、それはどのタイミングで何が理由なのか、全くもってハッキリしない。他の人たちにしても、ある時は「誰も死なない作戦としたい」と語らせ、またある時は「戦争で生き残った連中が今度は役に立てると喜んでる」的なセリフがあり。ここには「生き残った=役に立てなかった」の等式が成立し、すなわち「役に立つ=死ぬ」なわけで… 一方で「生きるべき」と言いながら一方で「死んで役に立て」と言ってる矛盾は映画の中では解決されず曖昧なままに終わってしまう。


なおですね、タイトルの-1.0の由来でもある「戦後の焼け跡にゴジラが現われ、さらなる破壊を行う」というコンセプトは、ストーリーになんっっっにも関わって来ませんから!それで戦後になにか影響を与えるとか復興がどうにかなるとか歴史が変わるとか、何にも無いっす!ただ戦後にゴジラが来たってだけ。

 

山崎貴監督ですが、この人は多分、細かいことを気にしない人なんですね。
「永遠の0」はヒットして、この映画のテーマは「なるべく死ぬな、死ぬなら効果的に死ね、無駄死にはするな」であって、そこは明瞭なんですが、おそらくは原作のおかげ。VFXのプロであり、描きたいビジュアルありきの人。欧米に似たようなタイプの人がいる(ザ・クリエイターのギャレス・エドワーズとか)。娯楽映画を程よくまとめる監督として、これからも東宝には重宝されるんでしょうけど。

 

先ほどゴジラのシーンは冒頭以外は120点と書きましたが、冒頭の大戸島のゴジラ出現シーンは、いきなりゴジラの全体を遠景で撮っちゃうんです。ええ~!! そこは一部だけ大写しにするとか、暗くて全体が良く見えないとかしろよ!恐怖感出なくて台無しじゃん。

 

いろいろ書きましたが、ゴジラの出てくるシーンだけIMAXかDolbyCinemaで観直したいと思うぐらいで、ホントにそこは良かったです。映画館で観るべきだし、楽しめた部分も多い映画でした。いやでもあの作戦でゴジラ死ぬかどうかまるでワカランまま実施するってのはどうにも…(以下、延々と続く)

 

【映画評】空白 暴走中年に甘すぎる

空白でございます。

宇多丸印からの視聴。

 

漁師の添田は粗暴で独りよがりな性格のせいで周囲から疎まれ、嫁とは離婚、同居する娘の花音は添田を怖がりロクに話も出来ない。ある日スーパーで万引きを疑われた花音は逃亡し、追う店長から逃げる途中で軽自動車とダンプに衝突し死亡する。添田は怒り、スーパーの店長に付きまとい、学校には「いじめがあった」と難癖をつけるなど暴走を始める。

 

「空白」というタイトルはなかなか上手いです。添田はやがて自分が娘のことを何も知らないことに気づき、知るための努力を始める。娘との溝=空白を埋めようとする。心を壊し店も何もかも失い、埋めがたい大きな空白を作ってしまう店長、自身の心の空白を埋めようとするが、方法が間違っているために埋められず途方に暮れるスーパーのパート従業員と。皆が持ってる空白についての物語なんですね。

 

なんですけど、添田はさんざん周りに迷惑かけといて、急にしおらしくなったからって、自身が新たに作った多くの空白は埋められるものではないし、本人も別れた嫁さんに謝ったぐらいで他に贖罪をしてないし。添田さんいい人になりましたメデタシで終わっていいはずはない。

あれスーパーの店長に責任があるって、作り手は思ってるんですかね?店長に責任ありという観点なら、最後の添田とのやり取りはああいう描き方もアリだと思うけど、万引きをしたのかしてないのか、はっきりさせてないので、その辺が見てる側には判断つかない。そこは観客に判断投げていいところじゃないでしょ。

 

それと、日本映画だから低予算だし、ロケ中心だからしょうがないかもしれないけど、なんか絵作りがテレビドラマみたいで、あまりにチープ。添田の家の中も、一般家庭のリアルな室内の再現ではあるんだが、何の意図も感じられない。「プロダクトデザインの出来てない映画はダメ」と某監督が言ってましたが、その部分は実に物足りない映画でした。

 

あー悪口ばっかりになったけど、ボランティアおばさんのキャラクターは秀逸。痛い!キツイ!こういう人いそうだなあ…