【読書記】『果てしなき流れの果に』
小松左京氏の小説は学生時代から結構読んでるつもりだったんですが、これは未読。氏の最高傑作と絶賛されてもいるようで遅ればせながら読ませていただきました。
なんと書かれたのが1965年!「2001年宇宙の旅」公開が1968年、アポロの月着陸が1969年と考えると、感慨深いものがあります。この当時にして時間も空間も超越した世界観を構築して小説にするとは。私はSF小説マニアというわけではないので、この作品の前後に同様の着眼点を持つ作品があったのかどうかは存じませんが、少なくともこの世界観が映像化されるには「インターステラー」を待たねばならなかったハズ。
中盤、時間も場所もバラバラの様々なエピソードが同時進行で語られます。登場人物も多く、各々のエピソードにつながりがあるのかどうか、わからないまま進んでいき、最後の最後にドーン!と種明かしするという構造。第四の次元として時間を設定し、さらに五次元六次元…と、時間も物質も存在すら超越し、もはや人類の理解を超えた世界で宇宙を俯瞰、さらに第二第三の宇宙が存在する…という大風呂敷に大風呂敷を重ねたオチは、前述の2001年やインターステラーの世界観よりさらに高次の概念であり、かの三体のスケールすら超越する。これを最初に考えたとしたら、やっぱ小松さん天才だわ…とうならされます。
まあそれだけに、中盤何が何だかわからない個別のエピソードを読み進むのはいささかしんどく、対立する二つの勢力のうち一方はその正体も行動の理由もわかったのですが、もう片方については、やってる方もなんでやってるのかわからんと。さらに高いところにいる誰かさんの意思によるもので自分は従ってるだけだと。というのはさすがに広げた風呂敷を閉じられなかったなあと。
それはあるにしても、この巨大すぎる世界観、概念は当時のSFファンの度肝を抜いたことは想像に難くありません。
現在ではSFファンには馴染みのある、平行宇宙とか多元宇宙とかの概念も、ここが元ネタ?それはともかく、SFファンの基礎教養として読むべき一冊。自分にとって「ページをめくる手が止まらない」というような本ではありませんでしたが、私の教養が足らないんでしょ(´・ω・`)
【読書記】『銃・病原菌・鉄』モノにはすべて理由があるんじゃ
おいおまえwww
高校生にしてこの本を「読みやすい」とは。相当な頭の持ち主。しかも「おととい」から読み始めて一気読みwww
そもそも読書量は半端無いし、実は金持ちの娘っぽいし。この人大したものです。
さて。
書評”なぞと書くのはおこがましいので”読書記”としました。
人生の宿題ということで、これまで読もうとして読めなかった本を読む企画です。
でー、『銃・病原菌・鉄』です。草思社文庫上下巻で800pぐらいあります。
これは学術本なので、読みにくいです。ハイ。
それでもおそらく、学術本としては読みやすい類のものなのでしょう。一応、何が書いてあるかぐらいはわかりました。
巷にあふれる自己啓発本の類との違いは、巻末の関連文献(いわゆる参考書籍のようなもの)のボリュームでわかります。ちゃんと研究成果に基づいて、エビデンスを元に語られています。当たり前のようでいて、以外とそうでもない。怪しげな健康本やらダイエット本はこれで区別できますね。はは。
で、中身なんですが、「なんで欧州や米国が先進国でアフリカやら南米やらニューギニアのあたりがそうはならなかったのか」というシンプルな問いへの答えです。ものにはすべて理由があるんだ、ということのようなんです。
狩猟採集から農耕生活への変化により人類は発達したと言われておりますが、その変化がうまく行くときと行かない時もある。狩猟採集をしていたエリアが農耕へと変化し、その変化が周辺にもジワジワと広がっていくわけですが、その広がり方がどこでもいっしょというわけではない。
途中に高い山や広いサバクがあれば広がりは遅くなる。
緯度が近い東西なら同じ作物が育つけど南北ならそうはいかない。だから東西に長いユーラシア大陸では農耕が早く広がったが、アフリカではそうは行かなかった。もちろん海の隔たりがあればさらに広がりは遅くなる。
農耕が進むと狩猟採集よりたくさんの食べ物が得られるようになる。そうすれば食べ物を得ることに直接従事しない人を養えるようになる。政治をやる人や軍事をやることに特化した人が出来る。国は大きくなり強くなる。
そんなようなことが、食料、家畜、病気、文字などさまざまな要因に関して、また中国、オーストラリア、南米など世界各地について延々と詳細に800P、語られます。
さすがに通読は無理で、下巻の16~19章はスルーしてエピローグを読んで終わりました。
お勉強にはなりますが、面白いと思うか思わないかは人によりけりでしょう。
日常生活に生かせる教訓としては、「なぜ今それがそうなっているのか、そもそもの原因やら理由やら経緯があるのであって、そこに立ち戻って考えることで問題解決の手段になりうる」でしょうか?
【映画評】ゴジラー1.0(ネタバレ無) ゴジラは120点 ドラマはダメダメ、むしろ不快
ゴジラ-1.0 感想でございます。
いやー! 特撮はアガるねー! ゴジラやっぱいいねー!
いいところもダメなところも、全部合わせてゴジラさいこー!
もう、書きたいこといっぱいあるもん!うおおおおおー!!!
【ぼくの考えたゴジラ-1.0】
戦後、廃墟となった東京にゴジラが現われ蹂躙、破壊の限りを尽くしただけでなく、都の中心部は放射能汚染により人の居住は不可能となる。
歴史が変わった。もはや日本に価値無しと考えた米軍は早々に撤退。しかし日本人はあきらめなかった。首都は大阪に移り、ここから日本は奇跡の復興を遂げる。復興のモニュメントとして建てられた太陽の塔に隣接して議事堂と中央官庁街が形成され、甲子園で日本初のオリンピックが開催される。高度成長を謳歌する日本。しかし再びゴジラが現われ…
予想は大外れでしたwww
【ホントのゴジラ-1.0】
終戦も間近となった1945年。特攻として出撃した敷島は機体が不調と偽り、整備員のいる大戸島に不時着、その夜ゴジラと遭遇。恐怖に怯え機銃を打てず、整備員多数が犠牲となる。日本に戻った敷島は、赤ん坊を抱える典子に家に転がり込まれ共同生活を営むことになるが、大戸島での出来事がトラウマとなり連日悪夢にうなされる。典子が銀座に働きに出るが、ゴジラ来襲の報がラジオから流れ…
まずゴジラの出てくるシーンは(冒頭を除いて)120点!差し上げたい。水面ギリギリで浮かぶゴジラが木造船を追ってくるシーンは迫力満点で、これはその場にいたらかなりビビるわ…と思わせる。かつて平成ゴジラで検討されたという「ゴジラ対戦艦大和」の夢の実現もある(大和じゃないけど)。その後の銀座上陸シーンはまさに圧巻。音もいい。ゴジラの鳴き声とズシンズシンと響く足音。新録されたゴジラのテーマが流れた時は鳥肌立ちました。火を吐くシーンはさらにものすごく(背びれのアクションはどうかと思ったが)、その威力をビジュアルで強烈に表現しており、あらゆるゴジラ映画を凌駕したと言って良い。初代ゴジラのオマージュも盛り込まれ、ファンサービスも十分。後半ではゴジラとの闘いシーンが迫力のうちに展開され、見ごたえ十分。さすが白組。面目躍如。ゴジラ・ザ・ライドを演出した監督だけのことはある。
でもねえ…
人間ドラマがダメダメなんですわ。
まず戦後のバラックで暮らす敷島と典子のシーンですが、戦後のリアリティが感じられない。服を汚したりはしているけど、あくまでドラマの中にしか見えない。顔は化粧バッチリで眉毛バシバシ描いてるし。なんかこー、NHKの朝ドラみたいなんだな。
ドラマ自体もどうにも。この映画の根底に流れるテーマの一つには、明確に「戦争で生き残った人間の立ち位置」というのがあるわけですけど、死んだ方が良いのか生きぬくべきなのか、死にたいのか生きたいのか、死んでほしいのか生きててほしいのか、全編を通してブレブレなんですね。敷島は最終的にはもちろん、どっちかになるわけですが、なぜ最終的にそれを決断したのか、それはどのタイミングで何が理由なのか、全くもってハッキリしない。他の人たちにしても、ある時は「誰も死なない作戦としたい」と語らせ、またある時は「戦争で生き残った連中が今度は役に立てると喜んでる」的なセリフがあり。ここには「生き残った=役に立てなかった」の等式が成立し、すなわち「役に立つ=死ぬ」なわけで… 一方で「生きるべき」と言いながら一方で「死んで役に立て」と言ってる矛盾は映画の中では解決されず曖昧なままに終わってしまう。
なおですね、タイトルの-1.0の由来でもある「戦後の焼け跡にゴジラが現われ、さらなる破壊を行う」というコンセプトは、ストーリーになんっっっにも関わって来ませんから!それで戦後になにか影響を与えるとか復興がどうにかなるとか歴史が変わるとか、何にも無いっす!ただ戦後にゴジラが来たってだけ。
山崎貴監督ですが、この人は多分、細かいことを気にしない人なんですね。
「永遠の0」はヒットして、この映画のテーマは「なるべく死ぬな、死ぬなら効果的に死ね、無駄死にはするな」であって、そこは明瞭なんですが、おそらくは原作のおかげ。VFXのプロであり、描きたいビジュアルありきの人。欧米に似たようなタイプの人がいる(ザ・クリエイターのギャレス・エドワーズとか)。娯楽映画を程よくまとめる監督として、これからも東宝には重宝されるんでしょうけど。
先ほどゴジラのシーンは冒頭以外は120点と書きましたが、冒頭の大戸島のゴジラ出現シーンは、いきなりゴジラの全体を遠景で撮っちゃうんです。ええ~!! そこは一部だけ大写しにするとか、暗くて全体が良く見えないとかしろよ!恐怖感出なくて台無しじゃん。
いろいろ書きましたが、ゴジラの出てくるシーンだけIMAXかDolbyCinemaで観直したいと思うぐらいで、ホントにそこは良かったです。映画館で観るべきだし、楽しめた部分も多い映画でした。いやでもあの作戦でゴジラ死ぬかどうかまるでワカランまま実施するってのはどうにも…(以下、延々と続く)
