仏教の五蘊と現代心理学 マインドフルネスの気づき | 元極道の僧侶+整体師 玄龍

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マインドフルネスの気づき。

 

整体操法するときに「天心」で愉気をすることや

 

夢を叶える方法の中でも目標を定めてから、信頼してゆだねる時

 

どのような思考や感情があるのかに気づくことが大切です。

 

合掌行気法や脊髄行気法などの実践などでも

 

集中が求められるときに、マインドフルネスの気づきを使いながら

 

思考や感情と戦わずに(非暴力)の状態で在るということが

 

どういう心の状態なのかを本記事ではお届けしたいと思います。

 

 

天心について 野口先生曰く

 

いろいろな雑念(を無くし)、意識を閉じて、体の自然に任せればいい。

意識を閉じて整う。無心になって整う。

 

知識を全部捨ててからっぽにして、生まれたままの心(天心)の状態で、ポカンとしていると、ひとりでに整うのです。

 

 『月刊全生』1969年5月 活元指導の会

 

 

そもそも五蘊とは、人間は1つの肉体的要素と、

4つの精神的要素の、合わせて5つの要素で構成されていると説く

仏教の思想。

 



その5つにはそれぞれ専門的な名称がつけられているので、

少し難しく感じると思いますが名称を一応確認しておきたい。

色しき(ルーパ)

受じゅ(ヴェダナー)

想そう(サムジャナ)

行ぎょう(サンスカーラ)

識しき(ヴィジュニャーナ)



仏教の知識がなければ完全に意味不明。

これは(  )の中に書いてあるサンスクリット語(インドの言語)の言葉を、

中国で漢字に訳した結果であって、ほとんど中国語なんですね。


なのでこの中国語を日本語に直してみると。。

色 → 物体
受 → 感受
想 → 表象
行 → 意志
識 → 認識


先ほどよりかは多少意味がわかるが、

それでもまだ何のことだかよくわからない。

なので次に、これら5つの要素がどのように関係し合って

人間という生き物を構成していると仏教が考えたのかをみていきたい。



【五蘊,簡単に説明】

 

 



色 → 受 → 想 → 行 → 識

色、受、想、行、識の5つのうち、「色」だけは物質的なもの、物体を意味する言葉である。

人間でいえば肉体

つまり人間の形をなしているものはすべて「色」に分類される。

なので、体や髪の毛、爪や血液など、物体として存在するものはすべて「色」となる。


残りの受、想、行、識はすべて精神的な作用を意味している。

精神的な作用を4つに分類するという考えが、聞いただけでは理解しづらいところかもしれないが、順を追って説明するのでご安心を。

「色」は物体

まず、物体としての人間が存在する。

物質的な母体がなければ、精神的な機能もなくなってしまうので、どうにもならない。

なので人間という物体、つまりは「色」が、まずはある。


それではここで
バイト先の店長から休日出勤の連絡がきた例で考えてみる。


その「色」であるところの人間が、休日に部屋で過ごしていた。

 



すると突然「何らかの音」が耳を通じて入ってきた。

※LINEのメッセージ着信音 




この音も、分類上は「色」になる。

物体はすべて「色」。

人間に限らず。

皆さんもお馴染みの般若心経にも「色」とか「空」がよく出てきます。


それで、人間という「色」の「耳」に、音という「色」がぶつかった。

ここで「色」と「色」がぶつかり、人間が音を認識していくことになる。

マインドフルネスでは「これを第一の矢の譬え」で表現したりすることがあります。

簡単にいうと「避けられない環境」「避けられない状況」



「受」は感受

耳に音がぶつかったことに気付いた理由は、

 

音が耳を通じてきたことを鼓膜の振動が感知したから。

「うるさい」とか、「あれ?」とか、

どのように感じるかは人によっていろいろあるだろうが、

とにかく耳が音と思えるものを感知したので、人は音が鳴ったことに気づく。

 




このように、感覚器官が「色」などの外的要素を感知することを「受」と言う。

「受」は日本語で感受。

「色」を感受するから「受」というわけである。


しかしこの段階ではまだ、「何か聞こえた」というだけで、

それが何であるかには気付いていない。

頭のなかに「特定した音」というイメージはまだ生じていない段階。

「おやっ?」

というくらいのもの。

ここからがマインドフルネス実践者が大切にすること。






「想」は表象

すると人間は、「音」が何であったのかを確かめるべく、

とっさに音が聞こえてきた方向を見たり、瞬時に過去の経験と照らし合わせたりして、

その「何か」の正体を特定しようとする。

そして次の瞬間には、「何か」の正体がおそらく「LINEの着信音」であることに気付く。


この「何か」が、頭の中で特定のイメージに変換されることを「想」という。

「想」は日本語で表象。

頭のなかの膨大なデータベースと照らし合わせて、

「何か」が「音」と照合され、頭のなかに「LINEの着信音」というイメージが生じた段階といえる。

これが「想」である。

 

またポイントとして「想」は次々にLINEの着信音という特定した

ものから、自動思考を膨らませることが多い。

 

「もしかしてバイト先の店長かな」

 

「明後日のLive行く約束した友人かな」

 



マインドフルネス実践者はここで

「頭のなかの膨大なデータベース」だけに

判断を任せると「自動操縦状態」になり「先入観」から逃れられないことを理解している。

だからこそ「マインドフルネスの気づき」の力で

浮き上がってきた「頭のなかの膨大なデータベース情報」に気づく練習をする。






「行」は意志

LINEの着信音に気付いたら、次にどんな精神的作用がはたらくだろうか。

たとえば「バイト先の店長なら拒否したい」という思いが生まれるかもしれない。

つまり「LINEの着信音」というイメージから自動思考が

 

次々と生まれてくる。

そのイメージや自動思考に対して何らかの意志が生まれるのである。

この意志が「行」の指すところ。


「行」というのは「こうしたい」「ああしたい」という意志のことである。

「店長かな?面倒くさいな。放置しよう。」不快

「友人かな。早く出なきゃ。」快


こうした意志を指して、仏教では「行」と呼んでいる。

 

また苦しみの始まりでもある。

 

※ここでいう苦しみとは仏教の貪瞋痴による

 苦しみであり、快や不快に対する無自覚な反応


ここが自動操縦状態の一番危険な段階であり

自然に反応してしまい「喜怒哀楽」に左右され

今までの習慣や癖により行動がワンパターンになる。


そして本人ですら「想」→「行」から移るスピードが速すぎて
自覚できないくらいだ。

ここで「マインドフルネスの気づき」が起こると

自動操縦状態から「ハッ」と目を覚ますことができる可能性が高まる。

だからこそ

マインドフルネス実践者は「この自動操縦状態から起こされた行動」に気づき

新しい判断の幅が広がり

自分自身で選択することができるようになりやすい。

ここで誤解ないように付け加えるが

「気づき」とは学問的な意味を理解するということではなく

「今読んでいることを理解した」

「新しい知識を得た」という「気づき」ではない。

マインドフルネス実践による

「体感、体験、理解、智慧」による「気づき」である。








「識」は認識

これら一連の精神的作用は、ほとんど瞬間的に行われるものであって、

時間的間隔はほとんどない。

音を感受(受)してから、

脳内に「LINEの着信音」が表象化(想)され、自動思考が足されていき

「音」に対する意志(行)が生まれる。

それはほとんど瞬時に連続して起きる精神的作用なので、

通常はこれを分けて考えるということはほとんどしないでしょう。

例えると

「扇風機を見たことがない人に、スイッチを入れている状態の

扇風機を見せたら円盤があるようにしか見えない」

しかしマインドフルネス実践により

「扇風機の羽の構図が見てきて、円盤ではないことに気づく」

 

 



不思議なことにマインドフルネス実践をすると

心の中のこのような作用が「通常よりゆっくり」と見えるようになる。



そして最後の「識」だけはこれらの精神的作用とはちょっと性質が異なる。

「識」というのは認識のことで、

わかりやすく言えば記憶とか知識といったものに近い精神作用である。


音の話でいえば、

 

「休日出勤のお願い。やっぱりバイト先の店長だった、あの店長は最悪」

とか、

「休日のときはスマホ電源OFFにしとこう」

とか、

といった、経験や体験によって増殖していく認識を「識」と呼ぶというわけだ。

 

 




ここで「自動操縦状態から起こる」「先入観」などが強化される。

 



そうすると「何をするにしても」自分の癖や先入観で物事を判断することになる。

あるがままに物事を見れなくなり、偏った見方や偏った行動につながる。

これは人間の争いの原因であり、自分の成長どころか人間の意識の進化を妨げる。






それぞれの感覚器官と五蘊

LINEの例は、人間の感覚器官のなかの聴覚による知覚の精神作用の話だった。

これはもちろん、他の感覚器官でも同じことが言える。


たとえば視覚で説明すると……

まずは物体である人間が外を歩いていたとする(色)。

すると道端に何かがうずくまっているのが見えた(受)。

何だろうと思ってよく見てみると、寝ているネコだった(想)。

起こさないようにそっと傍を歩き(行)、

ネコという生き物はやっぱり可愛いなという思いが強くなった(識)。



このような一連の精神作用(認識過程といったほうがわかりやすいかも)が

五蘊という言葉の意味するところである。

ブッダはこんなふうに認識の過程を細分化して、

人間は五蘊によって構成されていると考えたのだった。





五蘊とか、色・受・想・行・識といった言葉を聞くと、

それだけではまったく意味がわからないので難しい話に聞こえてしまうが、

何も特別なことを言っているわけではない。

認識の過程を細分化しているだけで、普通、人はそこまで細かく考えることはないだろうが、

確かにこのような精神作用によって我々人間は外界を認識している。





そして現代の心理学(認知行動療法やマインドフルネス認知療法MBCT)なども

驚くべきことに、このような理論をもとに活用され

数々のエビデンスが示されている。

 

 

 

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