5月11日 月曜日 雨
昨夜は土佐大規模公園で一宿の供養を頂きました。
ここは文字の通り大規模で様々なキャンプ場やグランドが併設されています。
土佐大規模公園を通過するだけで一時間はかかる程です。
(我々の野宿場所)
我々が目指すは足摺岬にある38番札所金剛福寺(こんごうふくじ)
37番札所岩本寺からは札所間で最長距離の約88㎞でお遍路さんには畏怖される霊場であります。
高知県足摺岬の名前の由来は様々な説がありますが
弘法大師を追い掛けたお遍路さん達が、道なき道を行脚して、長距離の道中にて爪は剥がれ、マメは潰れて血だらけで足を引き摺りながら歩いたことで足摺岬(あしずりみさき)という地名がつけられたとのこと。
これまでの人生の中で、足を引き摺りながら歩いたこともなかった我々が本当に足を引き摺りながら必死に歩くのですから地名というのは面白いものであります。
さて我々は、いつものように一宿の報恩のために懺悔清掃奉仕活動をしていました。
そしたら愚僧に声を掛けてくれる中年の女性が。(佐藤さん)
「あら、お遍路さん奉仕活動?今時珍しい。もし良ければ途中まで乗っていく?」と
佐藤さん。
愚僧 「奉仕みたいなものです。乗せて頂けるなら有り難いです」
四国遍路巡礼では道中に一度は必ずお大師様(弘法大師)が巡礼中に現れると伝えられています。
お接待や様々な形で不思議なことが起こると。
我々は何度そのような、お接待を受けたか数えきれません。
そういう意味では、何度も弘法大師にお会いさせて頂いた。
また本日も我々の自然無為の奉仕活動に仏の光明が照らされて佐藤さんとの仏縁が成就したのです。
喜んで我々は乗財を頂きました。
ヒッチハイク托鉢も金銭の施しに代えれば相当な浄財になります。
辻立ち托鉢や門前托鉢だけが托鉢ではありません。
なので愚僧の表現では乗り物には浄財を乗財にするわけであります。
車中の我々は小話を。
佐藤さん曰く。
地元の木材を扱う会社の社長であること。
若い頃に世界(特に西洋)をヒッチハイクで旅したこと。
四万十川などでカヌーやイベントの主催をしていること。
お接待を日常的にしていること等々を教えて頂きました。(先日もフランス人のお遍路さん3人を送迎)
車中では四万十川のことや中村市(現四万十市)の歴史等を教えて頂きました。
昔に一条公が京都の戦乱を避けて中村市(現四万十市)に住んで京都と同じ町作りをされた。
東山、祇園、鴨川等の地名が実際にあります。
写真の大文字山の送り火も有名ですね。
佐藤さんは、南国気質そのもので明るくてサバサバしていて接していて気持ち良い。
そして歴史も詳しくてまるでガイドのようでした。
あっという間に四万十市の目的地へ到着。
土佐大規模公園からは15㎞くらいでしょうか。
我々は御礼を伝えて納め札を渡して別れました。
いつも別れは寂しいものです。本当に一期一会だからこそ。
それが縁の嬉しさと儚さであります。
それはそうですが、我々は歩かねばいけない。四万十川沿いを少々歩いてから
葛篭山を横切りながら天候の悪い道を歩きました。
暫く歩くと道沿いにはテレビでも報道されたことのあるレストランが。
メニュー表を見ると鰻定食が4000円・・
高すぎるので諦めて土産物等を冷やかして出ました。
四万十川の漁の方法が紹介されていて勉強になりました。
(マンガの美味しんぼに紹介されいます)
そんな寄り道をしながらトボトボと歩いていたら突然大雨に。
足摺岬迄は相当な距離です。
しかも道中で野宿が出来そうなところがない。(軒下がありそうなとこ)
計画性がない、我々はいつも行き当たりバッタリです。四国遍路野宿行脚の、お遍路さんの為の資料には足摺岬前の津呂にしか善根宿はありません。
狭い山道でヒッチハイク托鉢を行いました。
始めに河村君が30分で駄目。
続いて愚僧が始めて10分くらいでレンタカーを運転してる一人のお遍路さんが停車。
有り難く乗財を頂きました。
女性で若く見えたけど歳を聞けば初老の方でした。
足摺岬迄は車で1時間以上掛かりました。
その車中ではいつものように小話を。
千葉県在住の野尻さんということ。
真言宗寺院の家に産まれて幼い頃から弘法大師への信仰が篤いこと。
とても自分の信仰に揺るぎない精神を持ってること。
人は生かされてる、という悟りを御自身の交通事故による九死に一生の経験で得たこと。
初回の歩き遍路では歩きに自信があったのにも関わらず怪我をして完治までに半年間を要したこと。
宗教について。四国遍路巡礼について。
人生について。日本について。実に様々なことを語り合いながら、教えて頂きました。
野尻さんは歩き遍路の方には好意的じゃありませんでした。
というのも野尻さんが親切に歩いてる方を見かけて声を掛けると迷惑そうに断られると話してました。
そういえば、これは今までのヒッチハイク托鉢で乗財を頂いた方々が声を揃えて言ってたことでもあります。
各自が決めた各々の四国遍路があります。
それは本当に心から理解できるし尊敬の念を抱きます。
愚僧のように不真面目な姿勢で寄り道をしたり、時には飲食をしたりすることをせずに本当にただ一心不乱に行脚される方も少なくありません。
愚僧の行脚はとても誉められたようなものじゃありません。
でも自分が決めた我を貫くのは本当に四国遍路なのでしょうか?
お接待を受けても時には愚痴をこぼす方と出会います。欲しくもない物を貰って迷惑だとか。
激励の挨拶が長過ぎるとか。
車で送ろうか?というお接待を喧しく感じるとか。
四国遍路とは感謝や奉仕の精神を忘れた日常の何かを見つけたいから、わざわざ利益にもならないことを、するのではないのでしょうか?
世の中は皆一様に私が特別だ。私は賢い。私は凄いんだ。という我の張り合いであります。聖徳太子が17条の憲法で説かれています。
十曰。絶忿棄瞋、人皆有心。心各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理(言+巨)能可定。相共賢愚。如尤端。是以彼人雖瞋。還恐我失。我獨雖得。従衆同擧。』≪十にいわく。
心の中の怒りを断ち、表情にも怒りを表さないように。
他人と自分が違っていても怒ってはならない。
人の数だけの違う考えがあり、他人は他人でこうだと思っていることがある。
彼は自分ではない。
自分もまた彼ではない。
自分は必ず聖人で、相手が必ず愚鈍だというわけではない。
皆共に凡人である。
そもそも、是非などというものの判断を誰が出来るのだろう。
だれでも皆、賢くもあり愚かでもある。
ちょうど耳輪(ピアス)に端っこがないようなものだ。
だからこそ、相手が怒っていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかと顧みなさい。
自分一人はこうだと思っていたとしても、みんなの意見にしたがって行動しなさい。
(第十条)≫
このように皆共に凡人ではなかろうか。
四国遍路をそんなに急いで結願したから偉いのでしょうか?
一日40㎞を歩いて行くことがそんなにも素晴らしいことなんでしょうか?
四国遍路にまで競争という概念を持ち込み霊場を蹂躙する方々が愚僧には悲しく見える。
同行二人のお大師様を急ぎすぎて落っことしていく方々の後ろからトボトボと歩きながら愚僧はお大師様を拾って歩きたい。
お接待の心さえ有り難く受けれない方々が何の巡礼であろうか?
断るにも断りか方があろうというものであります。
況してや歩き遍路は偉い。
車は横着だ。
観光バスなどもっての他だ。
歩き遍路でも一日40㎞を休むことなく歩き40日で結願すれば偉い。
そういう己と違う行をする方々への非難が充満しているのが悲しい。
同じ四国遍路巡礼の縁を持ちながらも御互いに己がしてることが正しいという傲慢さが悲しい。
愚僧も時には車遍路の方々が悪意はないのでしょうが、すれ違い様の笑顔を見ると怒りが込み上げてきてしまう。
愚僧がヒッチハイク托鉢で乗財を頂いて車内から眺める景色は、なんだか歩き遍路が道路を我が物顔で歩いていて交通の邪魔をして横着なようにも見えなくもない。
共に凡人であります。
愚僧などは凡人以下の愚か極まりないものです。元極道の元囚人であります。
世の中が皆一様に偉くなれば日本は転覆するのであります。
だから愚僧みたいな夢も希望も金もなく、懺悔清掃奉仕や下座の雑務をさせて頂くものが居て丁度良い気もします。
我々も人の行より己の四国遍路巡礼の姿勢を心して精進して行きたいと、こう考えている訳であります。
でも考えてるより実際の事実に真理があるのです。これは掃除が気持ち良いものですと語っても分からないようなこと。
そんな理屈は本当はどうでも良いのです。
喜んで生きれれば、それに尽きます。
何故ならば喜びこそが祈りだからです。
喜んで楽しいときには我はありません。
喜んで楽しいときには「私」は不在なのです。
苦しい時にこそ「私」は現れます。
苦しいから「私」に執着するのです。
「私」が不在な時は神仏と共にいるのです。
宇宙一体の永遠なる真の我が鎮座しているのです。
野尻さんと共に38番札所金剛福寺を打ち終えました。
足摺岬も散策しました。
(天候が悪いので残念)
ジョン・万次郎の銅像もありました。
(河村君と共に)
ここで野尻さんとはお別れです。
本当に遠い距離を乗せてくれて色々なお話を学べて感謝しています。
それからが我々には艱難辛苦が待ち受けていました。
期待してた善根宿の連絡先に電話すると使用されていない・・
大雨に台風の影響で風が吹き荒れています。
岬ですから当然といえば当然です。
辺りは野宿する場所などありません。岩山と森だらけ。
しかもこの看板。
蛇もウヨウヨしています・・
津呂善根宿までは6㎞あります。歩いて一時間半。
しかも急坂で山道。
善根宿まで1時間半も歩いて仮にやってなかったらどうするか?
他には本当に何もありません。
善根宿まで行って更に土佐清水市の町に行くには約2時間・・
台風はどんどん近付いてくる。
こんなことを考えれば考えるほど人間は苦しくなって疲れます。
もう前進あるのみ。
歩いても歩いても山ばかり。
峠を下りながら金剛杖が地面を衝く音と鈴の音だけが鳴り響く。
焦れば鈴の音色が変化します。
足早になるから鈴の揺れる音が変わるのです。
チリーン。チリーン。チリチリ。チーン。チリ。チーン。
後方から一台の市内バス。
バスは突然停車して運転手が「連れていきますよ」と声を掛けてくれる。
我々は何が何だか訳が分からない。
でも喜んで飛び乗りました。
車中で運転手と話したら我々が足摺岬の観光ステーションで話した事務の方が困っていたのでお願いしますと伝えたとのこと。
バスがバス停以外で停まることを誰が予想しましょうか。
いくらお接待の文化の四国と言えども、これには本当に驚きました。
我々以外には乗客は誰もいませんでした。
しかも、我々が目指す津呂の善根宿前で停車してくれたのです。そこはバス停前ではありません。善根宿の中を確認すると一人のお遍路さんがいました。
「オーナーさんはいらっしゃいますか?」
緊張しながら伺う愚僧。
定員一杯だとか何らかの形で断られたら最悪です。
「オーナーさんは不在ですが宿泊しても大丈夫と言ってました」とお遍路さん。
その言葉の瞬間に肩の力が抜けて安堵感と共に疲れが一気に押し寄せた気がしました。
(津呂の手作り善根宿金平)
生きるとはなんのことか――生きるとは――死にかけているようなものを、絶えず自分から突き放していくことである
ニーチェ
華やかな知識
なんくるなさ~