四国遍路17 遍路ころがし太龍寺 | 元極道の僧侶+整体師 玄龍

元極道の僧侶+整体師 玄龍

三重県伊勢市 整体道場 愚狂庵
薬に頼るのは嫌い。病院の検査で異常なしだったが
辛い症状がある。
一度、整体をしてみませんか?
気の力で導く痛みの少ない整体。

~健康で美しく元気な体を~
諦めかけていた症状の最後の砦
当院の整体はこんな方にオススメです。

昨夜は20番札所 鶴林寺の遍路ころがしを疲労困憊でなんとか打ち終えて


21番札所 太龍寺へ向かう途中の廃校した小学校跡地へ一夜の供養を頂きました。




周囲は峻厳な山に囲まれてるので
夜は野犬と猪等に注意しながら寝袋で休息しました。(河村君は便所で蛇と遭遇)

我々が目指す21番札所 太龍寺は
若き日の弘法大師が修行した聖地であります。

弘法大師の著書に弘法大師が修行された特定の場所として記述しているのは太龍寺と室戸岬のみであるようです。

21番札所 太龍寺は弘法大師が 虚空蔵求聞持法を厳修したことでも有名な聖地であります。

因みに
虚空蔵求聞持法とは 
「時に一沙門有り。虚空蔵求聞持法を呈示す。其の経に説く。
若し人法に依りて此真言一百萬遍を読めば、即ち一切経法の文義の暗記を得ん。
是に於て大聖の誠言を信じ、飛焔を鑽燧に望み、阿波國大瀧之獄にはんせいし、土佐國室戸之崎に勤念す。幽谷は聲に応じ、明星は影を来す。」 
 山中に篭もり、虚空像菩薩の真言(ノウボウアキャシャキャラバヤ・オンアリキャマリボリソワカ)を百万遍唱えれば一切の経典の意味が心の中にはいり、その智恵を得ることができる。
という教えを聞き、大師は太龍の岳や室戸岬に篭もりました。 
太龍の岳というのが21番札所 太龍寺に隣接する峻厳な岳であります。

愚僧も本日は山を下る際にロープウェイに乗車致しましたが(強風や大雨で警報が出てたために)
その道中ロープウェイから眺める太龍の岳は
峻厳としか形容できない岩山でありました。




 
(昔は日本狼もいたとのことでした)


「大聖仏陀の神聖な言を信じ、木鑽によって火をおこす時のように休まずに努力し、阿波国の太龍寺(徳島県阿南市加茂町丹生谷)の山にのぼり、土佐の室戸崎(高知県安芸郡室戸崎)に修禅した。
幽谷は私の声に応じて響き、明星は空に出現した。」  太龍の岳は四国の深い山の中にあります。
捨心岳からは淡路島本州を望める高台であり、室戸岬は太平洋の怒涛の激しい絶勝の地です。
 弘法大師は山岳で苦行練行する近士(ウバソク)として虚空蔵求聞持法を行い、自然の中に宇宙の生命と交流し、大日如来と入我我入し、仏教の真髄を極めようとしたのでした。
 遺告諸弟子等にいう。「近士(ウバソク)と成って名を無空とす。
名山絶之処、嵯峨孤岸の原、遠然として独り向ひ、淹留苦行す。
或ひは阿波の大瀧嶽に上って修行し、或ひは土佐戸門崎に於て寂暫す。
心に観ずるときは明星口に入り、虚空蔵の光明照し来て菩薩の威を現わし、仏法の無二を現ず。
厥の苦節は則ち厳冬の深雪には藤衣を被て精進の道をし、炎夏の極熱には穀を断絶して朝暮に懺悔すること二十の年に及べり。」 

愚僧の懺悔とは比較するのも烏滸がましいですが本当に弘法大師を含め古人の先達や宗教の開山は畏敬する次第であります。

そんな西の高野と畏敬される21番札所太龍寺を打つために最高のコンデンションで挑みたいのは行脚する道程もこれ又お遍路さん泣かせの遍路ころがし。




一に焼山 二にお鶴 三に太龍と古来から畏怖される遍路道なのであります。
(上記写真に詳細を記載されています)

我々は一の焼山 二のお鶴はなんとか死に物狂いで泣きべそをかきながらも行脚させて頂きました。

そして太龍寺を打てば徳島の遍路ころがしは一応は通過させて頂いたことになるわけです。

しかし昨夜の真夜中2時頃から横殴りの暴雨に目が覚めた愚僧は深く溜め息をつかざる得ない状態でした。

我々が野宿してる場所の近隣は大袈裟ではなくて売店も販売機もありません。
先日購入してきた食料や水も尽きてしまいました。

水が僅かに残っているのと後は大量のゴミだけです。

これでは前進しなければどうにもならないのです・・

6時頃に我々はとりあえず起床。

雨は弱まるどころか逆に風まで勢いを増してきたように思えます。

近くのダムは氾濫して自治体から警報装置が鳴り響くのがなんだか癪に触って仕方がありませんでした。





昨夜の大量の洗濯物も手洗いで疲労困憊のなか時間をかけて洗い終り干しましたが
横殴りの暴雨で水滴が滴り落ちるくらい濡れていました・・

運動場跡も本来は水捌けが良いのでしょうが
水溜まりが出来るほどに・・




本日は特に愚僧と河村君の起床後に会話が終止ない状態でした。

それは雨天の日に野宿した者にしか分からない陰湿な空気。

身体がベタベタで寝袋と皮膚の感覚が気持ち悪いこと。

本日の遍路ころがしを連日の蓄積された疲労を残した身体で挑めるかの不安。

そんな様々な妄想が過りながら出立の準備をしている我々でありました。

そして大雨のなか出立しました。

本日は本当に大雨と暴風で写真など撮影してる余裕がありませんでした。

もうポンチョ(雨具)を着込んで汗だくです。下着も水を被ったように濡れて
歩いてる時は蒸し暑さと蒸れで狼狽して
少し休めば暴風で体温を奪われてしまう。



(蒸し暑すぎて上半身着てるのを脱ぎ捨てる愚僧)


足場は最悪のコンデンションだし
どれだけ長いのだという石段に愚僧は本当に嫌気がさして俺は何をしてるんだと無力感にも何度も襲われました。

菅笠は何度も暴風に飛ばされそうになり
その度に狼狽して・・

そういう愚かな我々があーでもないこーでもないと愚痴を言いながら泣き言を晒しながらも弘法大師は背中を押して常に目的地まで支えて運んでくれるのであります。
その力が愚僧自身のものではないことを知ってる抱けでも愚僧は幸せです。





(ポンチョの揺れかたが強風を物語る)





(河村君も一心不乱に山を登りフラフラの状 態でした)

なんだか四国遍路野宿行脚の記録を書くと
常に似たような稚拙な文章で恐縮してしまします。(誤字脱字も多いし)

どうしても言葉や文章の表現は真理から遠ざかります。
なんだか薄ぺらに見えます。
生きてる躍動感と感動が表現してしまうことでそれを捕まえてしまい停滞して腐ってる気がしないでもない。           (愚僧の表現力の問題もあります)

これは托鉢や所有しない生活というものも同義であり
やってみないと分からないのであります。

さて我々は21番札所 太龍寺を打ち終えました。


大師堂では本当に長い間祈りを捧げました。それは理由もありません。祈る内容もありません。ただただ弘法大師と向き合わせて頂き合掌しました。
騒がしい世俗的な問題や混乱は愚僧の祈りへ収斂されていくようでありました。

今朝の氾濫した川が大河へと流れていつかは収斂されていくように。


太龍寺迄の間にある渓流


太龍寺遍路ころがし前の川


本堂では愚僧の親父の供養のため読経しました。親父の死について愚僧は今でも懺悔することが多々あります。
そういうものや(数々の親不孝を含めて)成仏してくれるように供養しました。

この愚かな息子がこのような荒行に挑む姿を親父はどう見てるのでしょうか。

祈る行為は不思議なものであります。

どんなに疲労困憊でも信じられない落ち着きが涌き出てくるのです。




(太龍寺本堂にて)

それからロープウェイで下山しました。

本日はロープウェイも登りや下りの運転はすべて強風と暴雨のために運転中止でした。
(それくらいの悪天候でした)

文明の利器とは素晴らしいものであります。
我々が2時間以上もかけて万難を排して行脚したつもりの峻厳な山道をロープウェイは15分其処らでガイドがついてお喋りをしてくれるのです。

弘法大師が修行した岳も霧曇るロープウェイから垣間見ることが出来ました。





ガイドさんは弘法大師の修行のことや色々なことを話してくれてました。
それはそれで大変結構なことではあります。
お年寄りや女性の方々は足腰が弱いので弘法大師の軌跡を文明の利器を駆使して疑似体験出来ます。

でも愚僧はロープウェイから弘法大師の鎮座された岩山を眺めていることに落ち着きを得ませんでした。
非常に懺悔したい気持ちに襲われました。
丁度それは愚僧が神風特攻隊の若者に対する懺悔と似ていたような感じがします。

話が逸れました。
ロープウェイを降りた道の駅近くのコンビニで21番札所太龍寺の山を見上げたら感慨無量でありました。同時に我々が万難を排してあの山を登れたことの力が信じられませんでした。




(頂上が21番札所太龍寺)

我々が山を降りてコンビニに到着した頃は
3時30分くらいでありました。

朝から何も食べてない我々は道の駅近くの
中華そば たく味という店を見つけて入りました。

店内は店主のみ。
我々は足を引き摺りながら汗だくの遍路姿で入りました。
注文すると店主は「あと20分で店を締めるのでそれまでに食べてくれますか?」と話しました。
それを聞いて我々は足を引き摺りながらその店を出ました。

コンビニでもなにか寂しいような人情が廃れたような態度の店員が居たように感じました。河村君が弁当を購入してスマホの充電を30分だけお借りしたいとお願いしたのに対して「充電くらいならいいよ」とどこか高飛車でありました。

愚僧が「弁当を軒先で頂きたいので宜しいでしょうか?」と尋ねると
「食べる間なら」という返事でした。

愚僧は別に偉そうなことをしてるつもりもないけれども何だか浮浪者を扱うような態度に憤慨を抑えたからか惨めになりました。

でもそれで愚僧は良いと思います。
そういう時が我々が懺悔する絶好の機会だと思います。

四国遍路では徳島はお接待が盛んだと言われています。
それは一概には言えないようでもありますし
我々の態度の達成感に驕りがあったのかも知れません。

それは愚かな我々には断定出来ません。

それでも野宿の一夜の供養を頂くために近隣のコインランドリーで愚僧が申し出たところ
オーナーさんは気持ちよく快諾してくれたのでした。



(コインランドリーの前で)

終りよければ全て良しであります。
徳島は一日中雨天です。

雨風凌げるところで休息できる我々は幸せであります。
感謝合掌です。




(太龍寺の巨大なる松は圧巻である)



歩行  21331
距離  15,5㎞
消費㌍ 672㌍


なんくるないさ~