剣の形代(つるぎのかたしろ) 78/239 | いささめ

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 ただし、源頼朝にしてみれば高階栄子に対する接近は必ずしも最良とは言い切れない。高階栄子は九条兼実に対抗する勢力の中心である土御門通親こと源通親と親しく、この頃には既に高階栄子が九条兼実に対抗する勢力の一員と見られるようになっていた。土御門通親の妻は後鳥羽天皇の乳母である藤原範子であるため、後鳥羽天皇に自分の娘を紹介することを考えたときの選択肢として不合理には一見すると感じられないが、土御門通親は既に義理の娘を後鳥羽天皇の後宮に送り込んでいたのである。藤原範子は土御門通親のもとに嫁ぐ前は僧侶である能円の妻であり、娘をもうけていた。その娘が後鳥羽天皇の後宮に入った娘である。藤原範子が前夫と別れたのは能円が平家の都落ちのときに平家と行動を共にすることを選んだからであるから、藤原範子にしてみれば土御門通親と再婚することは国家反逆者とされる人生を脱するチャンスであり、娘が後鳥羽天皇の後宮に入ったのもまた人生一発逆転のチャンスである。

 ゆえに、高階栄子と接近することは土御門通親を通じて後鳥羽天皇の後宮に対する口利きを得る筋道を獲得できることであるものの、肝心の土御門通親が問題なのだ。土御門通親に対しては同じ源氏であるという接近方法など通用しない。土御門通親こと源通親は源氏の中でも名門中の名門と自負する村上源氏、源頼朝は村上源氏がそもそも同格とは考えていない清和源氏。土御門通親にとっての源頼朝は、源平合戦に勝利し、奥州藤原氏も滅ぼし、正二位の位階を獲得し、鎌倉幕府を構築したことは知識としては知っているものの、鎌倉幕府のことを、平家と同様にいきなり現れた、そして、すぐに消滅するであろう新興勢力としか捉えていない。土御門通親にとっては、その源頼朝が自分のライバルになるなどおぞましいとする感情なのが正直なところであった。しかし、その一方で土御門通親にとっての最大の敵とすべき九条兼実の最大の協力者と見做されていたのも源頼朝だ。その源頼朝を自派に取り込めるのであれば、九条兼実に大打撃を与えられると同時に自派の権勢を強大化できるというメリットも無視できるものではない。

 後白河法皇亡き後も組織としての後白河院は存続しており、後白河院の持つ所領の管理監督の最高責任者となっていたのが高階栄子である。その権勢を土御門通親も源頼朝も認めている。高階栄子個人にしてみれば、土御門通親の娘であろうと、源頼朝の娘であろうと、大きな違いはないし、極論すればどちらでもいい。要は九条兼実の権勢を弱める入内が実現すればそれでいい。

 土御門通親にしてみれば、自分の娘のライバルの登場であると同時に、それまで九条兼実と協力的であった源頼朝が九条兼実を捨てて自分を選んだことになるのだから、好意的とまでは言い切れないものの、否定的な感情を生むものとは言い切れない。

 そして、高階栄子は大姫の入内に何ら異議を唱えることはない。

 つまり、源頼朝としてはここではじめて朝廷関係者に大姫を顔合わせすることができたこととなったが、残念ながらそれで大姫の入内に話が進行することはなかった。

 その答えと言えるのか、三月三〇日に源頼朝が内裏にて九条兼実と会ったことの記録がある。ところが、九条兼実は日記に源頼朝と会ったことは「雑事を談ず」としか書いていないのだ。本当に雑談だけで終わった可能性もあるが、少し穿った考えをすると、九条兼実にしてみれば会ったこと自体は認めるもののその内容は日記に書き記すまでもないこと、あるいは書き記してはならないこととでも考えたと言える。

 

 

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