平時忠卿及び其の一族の墳
上時国家から車で東に20分
大谷峠の手前、則貞のバス停に能登平家の郷のモニュメントがあります。
その脇から、下に下る階段を降りていくと、平時忠卿及び其の一族の墳と、平時忠の館跡があります。
上時国家の時国は、平時忠が能登に流されたこの地で作った子の名前で、平時国(たいらのときくに)の時国を名字にしたとの事です。
平時国はこの地から、上時国家のある町野町に移ったのでしょうか。
一族の墳は柵と門で囲われて中には入れませんでしたが、外からお参りしてきました。
館跡も柵がしてあり、立ち入り禁止。残念!