🌸神社で拍手は打つな1
⛳黒澤明の『姿三四郎』にみる美しき祈りの姿
☆神社で二礼二拍手一礼という参拝の作法
*浸透したのは平成の時代になってから
*昭和の時代には、まだそれほど広まってはいなかった
*以前は、両掌を顔や胸の前で合わせて拝む「合掌」であった
☆黒澤明監督の戦時中に撮影したデビュー作、『姿三四郎』
*娘は、着物姿で、下駄を履き、からだをその上に沈め
*目をつぶり手を合わせ、懸命に祈っていた
☆神社に参拝するときには、合掌したことがそこからうかがえる
*娘の祈りの姿は美しく、所作を意識してのことではなく
*祈りにこころを込めたからだ
⛳明治時代以前まで、神社と寺は一体だった
☆合掌が、神社で祈るときの基本的な作法だった
*日本が近代社会に入る前には
*日本人の宗教世界において「神仏習合」が基本的なあり方だった
☆明治に入る際、明治政府のなかに
*神道を国家の基本に据えようとする国学者や神道家が含まれていた
*彼らは、外来の宗教である仏教を嫌い
*神道を仏教の影響下から引き離そうとし「神仏分離」が推し進められた
☆僧侶は還俗して、仏像を神体とすることも禁じられた
*神社の境内にあった仏教の寺院は破壊された
*神仏分離は、仏教を排斥する「廃仏毀釈」に発展した
*明治の神仏分離が、日本における宗教のあり方を大きく変えた
☆近代以前の神仏習合の時代
*神道と仏教、神社と寺院とは密接な関係を持っていた
⛳神道は、今は宗教とされてるが、神道「宗教にあらず」と言われていた
☆神道には、開祖、教祖というものがいない
*開祖がいなければ、教えを説く者はなく
*教えを記した教典もなく、神道はないないづくしの宗教
*神道は宗教なのかどうか、判断が難しくなる
*明治以降、戦争が終わるまで
*神道は「宗教にあらず」と言われ宗教の枠から外されていた
☆明治以前の神仏習合の時代に
*神道と仏教が密接な関係を結んだが
*神道がないないづくしの宗教であったことが関係している
☆神仏習合の理論の代表となったのが、「本地垂述説」である
*日本の神々は、仏教の仏がその姿を仮に現したという考え方
*仏が「本地」で、神が「垂述」とされた
*仏を神の上に位置づけるわけだから、仏教優位の考え方である
☆仏教の世界には、教えを学ぶ僧侶が数多くいたのに対して
*神道の世界には、それに匹敵する人材がいなかった
⛳浅草寺に神仏習合の痕跡を探す
☆仏教優位の考え方はさらに進む
*日本の神々は、神として生まれたことを
*前世の報いによるものと考え
*解脱を求めているのだという理論にまで行き着いた
☆こうした考え方が生まれたことで
*神社には、「神宮寺」と呼ばれる仏教寺院が設けられた
*寺にいる僧侶が、神の前で読経し
*神の解脱を助ける体制が作られた
*神宮寺は多くの神社に建てられた
*神仏分離によって、それが一掃されてしまった
☆東京浅草寺の場合、本尊は聖観世音菩薩で
*「浅草の観音様」として知られている
*浅草神社は、浅草寺の本堂、観音堂のすぐ横にある
(敬称略)
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⛳出典、『神社で拍手を打つな!』
「二礼二拍手一礼」「神道は宗教?」「神宮寺」「神仏分離」
(ネットより画像引用)