「天地降臨地」「上野原遺跡」「桜島噴火」「火」 | けいきちゃんのブログ

🌸高天原は高千穂峡1

くつがえる常識
 ☆津田は、古事記が天孫降臨の地としたことを地に関して述べた

 *今の日向に大古の皇都が有った話も容易には信じられない

 *歴史上から、今の日向・大隅・薩摩は九州に於いて最も遅く開けた土地  

 *後々まで皇室に服従しなかった國であった

 ☆地理上からいへば、海にも陸にも交通の極めて不便な位置である
 *上代に於いて大なる勢力をもつ根核地としては何一つ其の資格が無い
 ☆今日では首を傾げる人が少なくないはず

 *薩摩に住む人びとは、強い疑問を禁じ得ない


⛳最古最大級の上野原(鹿児島県)遺跡
 ☆筆者が、上野原遺跡を訪ねた

 *9500年前の日本最古最大級の定住集落跡が発見される2年前

 *そのときすでにこの遺跡の凄さは、身に染みて実感された
 ☆上野原で発掘された縄文早期の壺型の大型土器

 *最初に写真で見たときは、弥生時代のものかと思われた

 *縄文文化は北から南へ波及したという学界の定説を一変させた

 ☆専門家も弥生時代のものと見紛う大型の壺型土器

 *下層の桜島大噴火による薩摩火山灰にパックされた状態で出土した
 *約7500年前のものと推定された
 *おなじ地層から発掘された縄文早期の土偶

 ☆上野原は、縄文の早期、高度の精神文化をもって定住する社会だった

 

「天地降臨地」の発祥地は火山地帯桜島でないか?
 ☆津田左右吉は、天孫の日向降臨説を徹底的に批判した

 *交通が不便な未開地で物資の供給が乏しく

 *文化の発達も遅れていた僻陳の疫せた荒蕪の土地である日向大隅薩摩

 *どうして皇室の発祥地であり得たか
 ☆皇祖を日の神としたため

 *日に向かうという意義に解し得られるヒムカという土地の名が

 *日の神の子孫として皇室が初めて都を置く土地としては

 *もっとも適当であったからである
 ☆『古事記』神代篇の早期の叙述と

 *活火山島である桜島を取り囲む湾岸一帯から

 *火山群の霧島山にかけての地形とのあいだに

 *切り離せない関連があるように感じられる
 ☆日本人の原母ともいうべき伊邪那美命が

 *火の神を生んだことで御陰を焼かれて病み亡くなる
 *早い段階で、現世から姿を消し、黄泉国に去ってしまう
 *夫伊邪那岐命が、黄泉国で見た妻伊邪那美命の姿から

 *大噴火のあと、溶岩流や火砕流が幾筋も流れ下る山容を象徴している

 ☆高天原から天降った天孫邇邇芸命が

 *国津神である大山津見神の女、木花之佐久夜毘売を娶って

 *作った二人の子が、火照命、火須勢理命、火遠理命と名づけられた
 *木花之佐久夜毘売は、婚姻で懐胎した子を邇邇芸命に疑われたのに

 *激怒し、自分が籠もり産殿に火を放たせ、猛火の中で火照命を出産する

 ☆上野原遺跡は、桜島の噴煙を対岸に望み

 *いまより気温と海面が高かった、海に違いなかった国分平野に面する

 *広大な台地の上にあって、たいへん見晴らしがいい
 ☆天を突き刺す円錐のような形の高千穂峰
 *その姿が、信仰心の篤い敬虔な古代人の目には

 *神が天降る依代にしたという想像と伝承の神話を育むのに

 *まことにふさわしい山容に映ったのではないだろうか

 *上野原台地の横を通って、鹿児島湾に注ぐ下流は

 *その名も「天降川」と呼ばれている
 *その水路は『古事記』が天孫降臨の地と伝える

 *竺紫の日向の高千穂のくじふる嶺のすぐ近くにまで達する

                       (敬称略)

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「天地降臨地」「上野原遺跡」「桜島噴火」「火」

(ネットより画像引用)