人と会うことが億劫なのは?
ぼくは人に会いたがらない。それが自分でも不思議でたまらない。というか、周りの人が、誰かと会いたがっているのを見て、『なぜこの人は休みの日にわざわざ誰かと会うのだろう?』となり、『ぼくはなぜだれとも会わないのだろう?』となる。
一つの解答をだした。
ぼくは、小さな頃から、相手への要求が異常に高い厄介な人間だ。相手に過度に期待を寄せる。無意識に。その結果、誰かと会うと不満が確実に残る。
それは、ぼくが期待を勝手にかけているからだ。ハードルを勝手にこちらで設けて、「はい、飛んで」と言う。で、相手はハードルがあることも知らないから、飛ばないし、そもそも飛ぶ義理もない。結果、ぼくは
このハードル飛べないの~
となる。このひん曲がり性格が治らない。人と会うと必ず負の感情と戦うことになるわけで、それはぼくにとってもしんどい。相手にとってもしんどいだろう。
だから、嫌なんだな。
実は、性格の面で、もうひとつ人と会うのが嫌な理由がある。ぼくは自他ともに認める、優柔不断なのだ。彼女には、
ぼくになにかの選択権を与えるのはやめてほしい
と常々頼んでいる。優柔不断ということは、なにかを決断するのにフルパワーを使うことになる。人間、一歩外に出たら、選択選択選択…選択の雨あられ。
特に、人と会うと、相手のことを気遣いながらも、選択しなければならない。イメージとしては、ぼくは人と会っているときはスーパーサイヤ人になって、思考を続けている。スーパーサイヤ人になるのは、疲れるのだ。イメージが鮮やかに湧いたでしょ?
今のところ、人と会うのが嫌いで、家にずっといる というパーソナリティを持った人と会ったことがない。会って、「お前もそうか!!」と盛り上がりたい。でも、お互い部屋にいるから、ついぞ交わることはないだろう。さよなら、未来の親友。
謙遜病
謙遜もほどほどに。
謙遜は、知性とか寛容とかを表現する効果がある。でも、やりすぎるとまじでアホに見える。
また議論の際に、謙遜は要らない。あってはならない。
自信はありませんが…
確証はありませんが…
勉強不足で申し訳ありませんが…
こう来た瞬間に答える気が失せる。すると、自分でも驚くほど適当な言葉が口をついてでる。
ぼくも実際よくわかってないんですよね!笑
的なことを言ってしまう。なんだこれ?おままごと?仕事しに来て、おままごと?
ふーん
数学おしえて思った
数学の授業やってて、最近、心がけてやってることがある。
それは、数学に感情を押し込めるということ。
数学は、数字と記号の羅列にすぎない。それが、嫌いな人には嫌われる。無機質で、面白みに欠ける。新聞のようだ。
でも実際、数学に触れてみると、同じ問題でも、解き方は少なくても2つはあるものだということに気づく。2つあると、なにが起こるか?比較が起こる。こっちが良いとか悪いとか。
数学の解き方の優劣は、残った余白の多さで決まると思う。つまり、いかに少なく書けるか。
書く量が少なければ、クール、スマート、きれい、と言う。ごちゃってると、なんか気持ち悪い、ださい、と言う。
こうして、別に数学が劇的にできるようにならなくても良いから、せめて、数学の中にも『感情』がこもることを知ってほしいと思う。
作ってワクワク、壊してガクガク
作る勇気と壊す勇気と両方いる。
第一関門は、作る勇気。
作るのに勇気がいるのは、作るのは大変だから。疲れるし、金も時間も金もかかる。それでも作る勇気を持てるか。消費側より生産側に回ることを強く望めるか。
第二関門が、壊す勇気。
せっかく作った。疲れた。金もかかった。時間もかけて。でも、欠陥が、あった。それもごまかそうと思えば、余裕でごまかせる。誰もそんなに注目してないだろ。
そこで、壊せるか。消しゴムを手に取れるか。黒く塗り潰せるか。
これがないと、さらに上にはいけない。
壊して、また作ったものは、絶対、前より良いものだ。
人間関係も同じかも。作る勇気を持ってる人もすごいし、壊せる勇気がある人は強い。
明日からは理想の自分
ぼくには苦手な思考パターンがある。
それは、逆算思考。
最強、最高の理想状態を思い描き!そのために今!何をすべきか!?考える!
というように、未来から今にさかのぼることがどうも苦手。
だから、結局、目の前に見えるものをてぇ~い‼︎って倒してしまう。
MPのことを考えず、ボスのいる洞窟に入ったとたんに「ガンガンいこうぜ」にして、マダンテを使う。
今しか見えない…刹那的。。せつない。
長期で見よう、長期でみよう!!
明日から長期でみよう!明日から逆算思考に変えよう!明日から!!