フランシスコ法王と聖マラキの預言
ローマ・カトリック教会の第266代教皇フランシスコは、2025年4月21日(復活祭の翌日)に88歳で亡くなりました。フランシスコは、アルゼンチン出身で、2013年にイエズス会士として初めて教皇に選ばれた人物です。フランシスコ教皇は、貧困層の支援や環境問題への取り組みを重視するだけでなく、カトリック教会の改革にも尽力しました。2015年に発表した回勅「ラウダート・シ」は、気候変動と社会正義の関係を強調し、世界の指導者達に環境保全の重要性を訴えています。この回勅は、パリ協定の採択にも影響を与え、多くの環境活動家や政治家が、彼のメッセージを支持しました。また、カトリック協会の内部改革にも取り組んでいます。バチカンの執務機関にも調査のメスを入れ、聖職者による児童虐待問題に対して、外部有識者を含めた委員会を設置するなど、教会の信頼回復に努めました。さらに、国際政治にも関与し、米国とキューバの国交正常化交渉の仲介を行ったほか、イスラエルとパレスチナ自治区の指導者をバチカンに招いて中東和平問題にも関わりました。彼の質素な生活は広く知られており、教皇専用車ではなく一般車を利用し、宿泊費を自ら払うなどの逸話が残っています。日本の国会議員達とえらく違いますね。また、復活祭の足洗いの儀式では刑務所を訪れ、イスラム教徒や女性受刑者の足にも口づけするなど、従来の慣習を超えた行動をとることで注目を集めました。創価学会や仏教、神道など日本の宗教界で、こんなことをする指導者はいますかね?教皇が亡くなったのは、バチカン市国のサンタ・マルタ館内にある住居でした。死因は脳卒中と心不全と伝わっています。遺言によると、ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の地中にある、簡素な墓に埋葬されることを希望されています。死後9日間の喪が丁度明けましたので、日本の連休が終わったころから、新しい教皇を選ぶ教皇選挙(コンクラーベ)が始まると見込まれています。フランシスコの最後の公の行事は、復活祭の日にサンピエトロ広場で行った祝福でした。教皇は、ガザ、ウクライナ、スーダンでの戦争終結を求める講話を準備していましたが、衰弱のためすべてを読み上げることができず、側近が代読しています。彼の死後、世界中の指導者や信者が追悼の意を表し、葬儀にはトランプ大統領をはじめ、世界中の首脳が参列しました。フランシスコ教皇は、カトリック教の枠を超えて多くの人々に影響を与えた人物です。質素な生活、大胆な行動力、そして社会正義への強い意志は、世界中の人々に大きな共感を呼んだのです。日本の天皇は、歴史的に宗教・精神的な側面が強いため、プリースト・キングとも言われています。 現在の我が国の皇族や宗教指導者で、フランシスコ教皇のような人物はいますかね。閑話休題。ここから話は大きく変わります。ノストラダムスに先行する大予言者として、アイルランドの聖マラキがいます。聖マラキ(Saint Marachy,1094-1148)は、カトリックの司教で多くの奇跡を行った聖人とされています。彼はアーマー大司教を務め、アイルランド教会の改革に尽力しました。しかし、彼の名を今に残しているのは、その著作「教皇の預言(Prophecy of the Popes)によります。この予言は、112の短いラテン語の詩句からなり。1139年にローマを巡礼で訪れた際に受けた神秘的な啓示と云われています。それぞれの詩句は、歴代のローマ教皇の特徴や治世を象徴的に表現しているとされています。聖マラキの予言では、最後の教皇は「ペテロ・ロマヌス(Peter the Roman)とされています。実は、この最後のローマ教皇が、亡くなったフランシスコ教皇ではないかと噂されているのです。予言の解釈によると、最後の教皇の治世の間に「大いなる試練」が訪れ、ローマが崩壊するとされています。新型コロナの大流行やウクライナ戦争が、この大いなる試練に当たるわけですね。フランシスコが最後の教皇であれば、この後世界にはローマが滅びるような大変動が発生します。米国には、トランプタワーの狂人大統領。ロシアには、暗黒面の皇帝プーチン大統領、イスラエルの虐殺者ネタニヤフ首相、中国では南シナ海の覇王習近平主席などなど、危ない指導者が林立しています。今後の世界情勢は不気味ですね。聖マラキの予言は、曖昧な表現が多く、解釈は人様々です。そんな訳でフランシスコ教皇が、最後の教皇かどうか、確実な証拠はありません。そうは云っても、コンクラーベが終わって、新しい教皇が決まるまでは、安心できませんねぇ。ここで、聖マラキの予言と過去の教皇について、いくつかの例を挙げてみましょう。ヨハネ・パウロ2世(1978ー2005)ー「De labore Solls(太陽の労苦)」この予言は、ヨハネ・パウロ教皇の誕生日と亡くなった日の両方で日食が起こったことから関連づけられました。彼はまた、広範にわたる教会改革と各地を巡礼をしたことが、「労苦」の象徴とされたのです。もう1人は、ヨハネ23世です。ヨハネ23世(1958ー1963)ー「 Pastor et Naura (牧者と船員) ]ヨハネ23世はカトリック教会の指導者(牧者)でありながら、第二バチカン公会議を開き、教会を大きく方向転換させた(船を導いた)ことから、この詩句を結びつけられました。聖マラキは、アーマー大司教として協会改革を推進し、信仰を広めるために尽力し、アイルランドをカトリックの国にするよう宗教的な統一を図りました。また、その生涯には多くの奇跡が伝えられており、信者の間では聖人として尊敬されていました。その結果死後に、彼の徳と教会への貢献が認められ、1190年教皇クレメンス3世によって正式に助聖されました。聖マラキの作とされる「教皇の予言」は、後世に作られた可能性があるため、カトリック教会では公式の予言として認められていません。ご注意してください。