今日は昭和の日ですね。

 

こんな日に、昭和の忘れられた思い出をひとつお届けします。

 

昭和生まれの人のほとんどが知っていて、平成5年以降に生まれた人が、ほとんど知らないのが、ノストラダムスとノストラダムスの大予言です。

 

とは言っても、ノストラダムスとその大予言が、我が国で知られるようになったのは、1973年にルポラーター兼小説家の五島勉が発表した「ノストラダムスの大予言」からでした。

 

当時の日本は、高度経済成長の副作用・公害問題の悪化や、オイルショックによるインフレ・物不足に、苦しんでいました。

 

蔓延する社会不安を背景に、「ノストラダムスの大予言」は、大ベストセラーとなったんです。

 

1973年は関東大震災から50年目にあたり、この年の大ベストセラーには、小松左京の「日本沈没」があります。

 

これら終末・世紀末ものの大ヒットは、1970に行われた大阪万博の「アンチテーゼ」だ、とも評されました。

 

五島の話はさておいて、まずはノストラダムスからお話していきましょう。

 

 

ミシェル・ノストラダムス(1503~1566年)は、ルネッサンス期フランスの医師、占星術師、詩人そして預言者として知られる人物です。

 

フランス語名は、ミシェル・ド・ノートルダームで、ノストラダムスは姓をラテン語風に表記したものです。

 

以後、ノストラダムスと表記しますが、ユダヤ人を祖としてプロバンスでうまれました。

 

幼少期からラテン語や数学に秀でており、医学はモンペリエ大学で学びました。

 

若い頃は医師として活躍し、南仏でのペスト流行時には積極的に治療に当たっています。

 

その後、1050年頃から占星術師として活動を始めます。

 

代表作となった、「ノストラダムス師の予言集」などを著し、フランス国王のサロンで、大いにもてはやされることになります。

 

1564年には、フランス国王シャルル9世により、常任侍医兼顧問に任命されました。

 

代表作の、ノストラダムス師の予言集は、四行詩(クアトレイン)形式で表記されています。

 

シノ内容は曖昧で象徴的な表現が多く様々な解釈が可能でした。

 

こうして詩と後世の出来事と結び付けられて、的中例が喧伝されたため、大予言者として祭り上げらルことになりました。

 

ノストラダムスは、様々な予言をしています。

 

その中の「1999年7の月に恐怖の大王が来るだろう」と云う詩句を、人類滅亡を予言したものだと解釈し、「ノストラダムスの大予言」として出版したのが、五島勉です。

 

 

彼は、恐怖の大王の候補として、環境問題、核兵器、彗星の衝突などをあげて、その妥当性などを検証しています。

 

最初の出版は1973年ですが、オイルショック、昭和天皇の崩御、バブル崩壊、などの暗い世相の変化と1999年が近づくにつれ、終末論は大ブームとなりました。

 

オウム真理教や統一教会などのカルト教団が勢力を伸ばしたのも、ノストラダムスの大予言による終末・世紀末ブームが影響していると云う論評もあります。

 

特に、1995年の神戸・淡路大地震やオウム真理教事件は、1999年終末論に一層拍車をかけました。

 

「ノスロラダムスの大予言」は、ノストロダムスとその予言に関する学術書の様に書かれています。

 

しかし、その資料の大半は創作で、実態は五島勉による小説でした。

 

 

注目された1999年の夏は、何事もなく、平穏に終わりました。

 

1999年の7月、恐怖の大王が訪れたのは、五島勉だけだったようですね。

 

こうして、平成の世が続くにつれて、ノストラダムスも五島勉も忘れ去られて行きました。

 

五島の予言があたっているとすれば、平成の失われた30年でしょうか。

 

ノストラダムスの大予言は映画にもなっていますよ。

 

 

最後にノストラダムスの大予言の四行詩を全文紹介します。

 

”1999年7の月、天から恐怖の大王が降ってくる。

 

アンゴルモアの大王を蘇らせ、

 

マルスの前後に幸福に支配されるために。”