自分の本音と繋がったと思ったら、大事件発生。

職場でうっかりミスしちゃった結果、もんのすごい大問題になり、「長」がつく人達が集まって、総務の人が深夜残業して始末書案を作って、みんなで大騒動。

その原因となった私はというと、

特に普段と変わらない日常。

先週末の綿本彰先生のプチ断食合宿に参加してたおかげか、

Mastersmapでバウンダリーのことをたたき込まれて、他人の感情に責任を持つ必要は一切ないってことがちょっと身についてきたからか、

驚くほどに落ち込まなかった。
もちろん後処理でで時間を割いてる皆さんには心からお詫びしたい。
でも、ブラインドスポットすぎて自分では防げないうっかりミスだったし、何重にも用意されてたチェックが機能しなかったから、こうなったことにはなんか意味があるって感じた。

この状況で一番印象的だったのは、私が席を外した隙に陰口みたいに話してる人達や、噂話の状況を私に報告してくる人。彼らのことを観察して軽蔑してる自分が不思議だった。

これはなんの意味?って考えた。
そしてこんなふうに意図してみた。


今私は人間関係の強制リセット中で、でもそれは距離を置くというよりも、自分の足で立つタイミングなんだと思う。

これまでの馴れ合いの関係では、嫌われたくない&嫌いたくないから、相手を肯定したい、そのために都合の悪い現実から目を逸らしてた。つまり良い人のふりをしてた。表面的に相手を全肯定して、表面だけの関係を築いてた。だから私のことよく知らない表面的な批判にもとても苦痛を感じてた。

これからは目を逸らさないで人をそのまま見ようと思う。相手がどうする・感じるかはバウンダリーの向こう側だから相手に任せる。人間関係の構築をdoingじゃなくてbeingでやるイメージ。そうすると自分の中にちょっとスペースが生まれるから、このスペースを大事にしてく。


これまで求めてたdoingな人間関係は
自分の甘えを許してくれて「大丈夫だよ」「そのままでいいよ」って言ってくれる人達
そのために相手の甘えを許して「大丈夫だよ」「そのままでいいよ」って言ってた。
私のこと好きでいてくれたら、離れないでくれたらそれでOK。

そんな人間関係を維持するために私はいろいろ見て見ぬふりをしたし、自分にたくさん嘘をついてた。見たい物だけ見て、聞きたいことだけ聞いてた。でも、実は全部聞いてるし見てる。だからたくさん嘘をついてファンタジーの世界に居た。


これから構築したいbeingな人間関係は
全部みる。見なかったことにしない。
全部見てももう大丈夫だから。
私のこと好きな人がいてもいなくても、
私のこと馬鹿にしてる人がいてもいなくても
それは外側の世界だから、外側の人達に任せる。
私が反応して腹が立ったり嬉しかったり、感情が生まれたらそれを感じたらいい。
その感情を伝えてもいいし、伝えなくてもいい。
すべてをそのまま受けとめる。

例えば誰かが私を嫌いでも
私は私が好きだから大丈夫

この気持ちをもっともっと育てていこう。

@白石島





先日ダイエットしたいって書いたばっかりだけど、

言わないで我慢してた本音を言葉にする度に体重が減る今日この頃。

やっぱりそっちか。

職場の若者が、かなり丁寧に伝えたアドバイスを無視して完成度低いままに書類を提出したことに、私はすごくがっかりした。

だからその書類提出のお祝い会に私は参加したくないと思った。

こんなことをお祝い会主催者の先輩にそのまま伝えてみたところ、いろんなコメントをもらってとても勉強になった。

先輩は参加するように強く勧めてくれて、今までの私ならそのアドバイスに従ってた。断るのが悪いし、場の空気を壊すのが悪いから。でも今回は断ってみた。結果、なんの問題もなかった。

それどころか、晩ご飯がパスタだけでも朝ごはんがドーナツだけでも、体重が正常値に近付いてきた。気分良く本音に従えば大丈夫ってことかな。


そして今日、記念すべき日。

今まで本音を抑え込んできた私のインナーチャイルドと話が出来ちゃった。

6、7歳ごろのある日、本音を言ったことで傷ついた出来事があって、そのショックでフリーズしてた子供の私が感じてた氷がずっと横隔膜辺りにあった。その氷が溶けて、私の本音は今の私を支える原動力だ、とても大事な軸だってことが感じられた。
子供の私は、今の私に、遠慮しないでもっとどんどん行きなよーって言い始めた笑。

うん、そうする。

遂に私は本音と繋がったっていう喜びがここにある。

 

本当の私の力をめいっぱい発揮するためには自分の影の部分も受け入れなきゃねって、よく言う。

 

自分のすべてを否定しないこと。

 

自分の欠点をなくそうとしないこと。

 

 

 

それがむずかしい今日この頃。

 

やっぱり、太ってる私はあんまり好きじゃない。

 

おばさん度があがるし

 

ハッピー感が減る感じする

 

 

でも、太ってる自分が嫌いだからダイエットするのは違うんだって。

 

影から光に逃げ込もうとすることだから。嫌いな自分を見たくない、好きな自分だけ見てたいってことだから。

 

理屈としては分かるんだけど。

 

 

 

 

太ってる私はあんまり好きじゃないって私を受け入れる。

おばさん度が高い自分を好きじゃないって自分を許す。

ハッピー感は減らしたくないって私を認める。

好きな自分だけ見てたい自分を許す。

 

ってことで、またダイエットしてもいいですか??

 

 

 

 

 


女性性の否定に関するカルマをテーマに瞑想したら、幼稚園の時のこと思い出した。通学路で会う小学生のお姉さん達に「ほっぺたがかわいい〜!」って騒がれるのがいつも恥かしくて苦痛だった。幼稚園では年上の男子に赤いほっぺが原因で縄跳びで縛られたりしていじめられてたから。
「ああこれかぁ」って思いながらそのまま瞑想してたら、青と緑のオーロラみたいなのが身体の周りに広がって、それにくるっと包まれて、上を見たら宇宙みたいな星空が遠くまで広がってた。
今はほっぺたが真っ赤な小さい私が嬉しそうに笑ってる気がする。

瀬戸内の島に大好きなおばあちゃんちがあって、初めて一人で泊まりに行ってみた。

そしたら海で泳ぐどころか大雨で、しかも夜にお化けが出てきた。

なんか悲しかった。
ここを終の住処にしようと思ってたから、お前はお断りだって先住お化けに拒絶された気がした。


今回の帰省でも、家族とのバウンダリー問題を感じてる。母は父のことをケチだとか、たくさん文句言ってくる。母にとっては単なる毒だしなのだけど、私はそれを聞くたびに父をジャッジして、父を嫌いになってきた。おそらく子供の時からずっと、父はどこかで私の敵だった。

とはいえ、父のことは好きだ。
二人で話すのは好きだし、愛情も感じる。

つまり表の関係と裏の関係がある。
この両面性をお互いに分かっていて、だから多分深いところでは信頼し合ってない気がする。

そんな気持ちの状態で両親と一緒に暮らすことは、なんだか健やかじゃない。いっそ今からでも遠くの新しい世界で冒険した方がさっぱりするかもしれない。

別に親子だからって信頼し合う必要はない。
問題なのは、私が私の男性性と信頼関係を結んでないってことかもしれない。
私が男性を信頼してないってことかもしれない。

かと言って、男性と信頼関係を結ぼうと努力する必要もない。こういうタイプの信頼関係は作ろうとするよりもできるものだと思う。
私が人生を楽しんでたら、そのうち、そんなことはどうでも良くなってる気がする。
私の人生が愛で溢れてれば、それで良いのだ。

明日はどんな楽しいことしようかな。
早く海で泳ぎたいな。