風の時代は女神の時代

 

 

私うっかり「男性みたいに力仕事ができない自分は役に立たない」と思ってしまいました。

 

なんてうっかりな思い込み。なんて素晴らしい気付き。

 

役に立たなくてもいいですよ。

 

好きなことだけやってれば良いってことですよ。

 

もちろん役に立てるなら立てばいいけど、

 

立たないとしても、別にいいじゃないですか。

 

 

 

それよりももっと素敵なことは

 

私が女神みたいにどっしりと自分で居ること

 

そのことで私の周りの世界がどれほど安定するか。

 

私は私が楽しいことをして、そんな自分で居られることに感謝していよう。

 

そう思いました。


私のインナーチャイルドからのメッセージ





「簡単に言わないで I’m still here
ここで今すぐ抱きしめて
いつまでも私だけ夜の中置いてかないで」


今までどれだけ自分を置き去りにしてきただろう。
理想の自分になりたくて、光だけ追い求めたくて、自分の陰を否定して、本当の気持ちと今の自分を見ないでいた。


そんなことしたらもっと寂しくなるだけだって気付かずに。
だって、本当の私が置いてけぼりになってるんだもん。
そりゃ嫉妬するよ。
執着するよ。
依存するよ。


私に見てもらえない私が、どうやって幸せを感じればいいの?
どうやって満たされればいいの?
私は私に愛されたいだけなのに。



そりゃそうだ。
そんなのしんどすぎる。
今まで私は私になんてひどいことしてきたんだ。
もう一人にしないよ。
もう一人にしない。

私は私の存在を愛するよ。




 

久しぶりにここに戻って来たくなりました。

 

約2ヶ月ぶり。

 

最近は、引越しのことであたまがいっぱい。

 

コロナ騒動が始まる頃、屋久島で自然のなかで自然に暮らしてる人達に衝撃を受けて以来

 

私も自然を感じながら毎日を丁寧に暮らしたいって思い始めた。

 

コロナのステイホーム期間にはいろんなこと試していろんなこと感じた。

 

屋久島でもらったトゥルシーを植えて、雨が入らないベランダだとあんまり成長しないと感じたり

 

ベランダコンポストを始めてみて、とっても楽しいけどやっぱり土のうえがいいって感じたり

 

寒い日はやっぱり薪ストーブが幸せだと感じたり

 

山暮らしもいいけど海辺に住みたいって感じたり。

 

 

それで瀬戸内の古民家を探し始めた。

 

そしたらいろいろの願望がまとめて叶うお家が見つかりました☆

 

お家と一緒に素敵な人達のつながりも出来てきて、

 

屋久島で出会った素敵な人達みたいな自由で自然な暮らしをしている人達とたき火を囲むようになった。

 

 

こないだ大家さんと打ち合わせしたときは、大家さんが縁側でひなたぼっこしながら待っててくれて、おやつ食べながら人生について大いに語りました。こういう暮らしがしたかったの。

 

 

新しいお家でしたいこと。

 

毎朝ビーチに行く

 

壁を抜いて、かまどで薪を焚いて、ご飯を炊くとか染め物をする

 

お庭でヘチマを育てて化粧水と台所のたわしを作る

 

月桃とローゼルとパクチーとネギとズッキーニも植える

 

満点堂ちくりんぱとおる君のバイオトイレを入れる

 

薪ストーブを囲んでみんなで温まる

 

蔵を改造してイベントスペースにする

 

いろんな人がふらっと遊びに来るお家にする。私が忙しくても勝手に来た人達同士で遊んでもらう

 

客間では、ヨガとかチネイザンとかアクセスバーズとかシンボルゲームとか、あんなこともこんなことも、いろんな人が来て気持ちよくなったり嬉しくなったり、癒やされたり、喜びの涙を流したりする

 

海が見えるロフトを素敵なゲストルームに改造して、いろんな人にたくさん泊まってもらう

 

私の寝室にする奥納戸の床下に、竹炭を敷き詰める

 

 

そうやって私が暮らしを楽しむことで、

 

お家もこの新生活を喜ぶようなそんな暮らしをします。

 

 

 

 

 

 

 

 


ここ最近、とても不思議な理由で心がザワザワしてました。

一つ目は、誰かの邪気をもらった時。どうにも人間関係がうまくいかず落ち込んでたら、お世話になってる整体で「松果体に邪気が入ってるので取っておきますね」と言われてびっくりしたものの、実際に施術後は、その悩みがまったくどうでもよくなった。

もう一つは、リトリートの帰り際。たくさん感情を解放した後の帰り際には、原因不明のザワザワがよく起きるんだそうです。

いずれも、そんなこととは知らずに、頭が納得できる理由を探して、自信喪失するような変なこじつけをしてた。

でも、実はザワザワの原因は予想とは全然違うところにあって、なんだ〜そんなことだったのかぁって納得したら、自信喪失してたことがばかばかしくなる。

今までずっとこんなふうに自信喪失してきたのかなって思う。理解出来ない心のザワザワを頭が受け入れられなかった。

だけど今回のことで、自分の特質が一つわかった気がする。私は自分では何だか理解できないことに敏感に反応しちゃうんだなって。そして、そのことで自分を責める必要は全然ないよね。

今回は説明してくれる人がいたから頭が納得したけど、今までもこれからも、そういう説明が得られない場合っていっぱいあると思う。その時に、「単に頭では理解できない原因かもよ」って思うと、スペースができる。自信喪失するような原因の解釈は必要ないんだよね。

心で起きてることを頭がいつも説明できるわけじゃない。感情がザワザワしてても、そこに執着して原因を探るんじゃなくて、それをただ心で感じながら俯瞰してればいいんだなって思った。





自分の足で立つことは

自分で責任を負うこと


馴れ合いの関係では頼り頼られて

甘えて甘えられて

自分だけが悪いわけじゃないって感じてた。

だから、私のミスについて陰口や文句を言う人に対して腹が立ったし反論したかったし言い訳したかった。


でも、自分の足で立つって決めたら

私のミスは私の責任だって分かった。私が自分の本分を果たしてれば起きなかった。ゆるゆるのバウンダリーで、自分の本来の仕事とそうじゃない業務とを区別しないで抱え込んでた。

そう気付いたら、周りがどんな態度かなんて100%どうでも良いことだ!って、一気に感じ方が変わった。愚痴も陰口も言う言わないは全部彼らの自由だ。

そして、とっても辛くなった。
申し訳ないし、ちゃんと謝りたいって思った。

私は今までずっと、この辛さに向き合うのを避けてたんだなぁって思う。

自分の好きなことを好きな方法で実現するには

自分の足で立つ必要がある

うまくいってもいかなくても誰のせいにすることなく

それぞれが自由に

私も自由に。

きっと慣れないうちは、人に寄り掛かれないことが辛く感じるんだろうけど

これはこれでじっくり味わえばいい。

新しい常識、新しい自分、新しい普通に向かう途中なのだから。