今日知り合いの主催するブラックライブズマターのマーチに参加した。そしてめっちゃ感動した。

差別だけじゃなく、日常には嫌なことってたくさんあって、交通事故に遭うみたいに偶然かつ理不尽に起きる。

私はこれまで、そういう嫌な経験や感情に蓋をしてきた。少なくとも本人に文句言ったりしなかった。麹町でOLしてた時お昼休みに新宿通りを歩いてたら知らないおじさんが私の足にツバかけたことがあった。その時は悲しくて可愛そうな被害者の気分になって、なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないんだと思いながら、そのおじさんを怒るっていうエネルギーはなかった。

今日のマーチは、その真逆だった。

怒りからくる大きなエネルギーが放たれてた。
掛け声に参加しながら泣きそうだった。
エネルギーにはポジティブもネガティブもなくてはただあるのは大きいか小さいかだけ。みんなの放つエネルギーはとても大きかったのだ。

本当の言葉で本当の気持ちをみんなとシェアしてた。自分達を差別するのはやめてほしい。傷つくからって。本物のニーズに根差した言葉と行動ほど大きなエネルギーを生んで、強く心に響くものはない。

私は、なかったフリしてエネルギーを閉じ込めるのが得意だ。
自分の本当の気持ちをそのまま表現することはとても怖い。だって丸裸の自分を見せると、誰かが攻撃してくるかもしれないから。言い換えると自分の本当の姿を露呈するのは脆弱になるということ。

つまりね、逆説的だけど、大きなエネルギーを生み出すには、脆弱になる勇気、脆弱な自分を受け入れる強さが必要。脆弱な自分を受け入れず、いつも幸せ、誰も悪くない、嫌なことなんて何もないってフリをしてたら(もちろん本当にそうなら別)、一生大きなエネルギーを創造することなんてできっこないのだ。

だって嘘ついてるんだもん。
嘘からは、人の心を動かすような壮大なエネルギーなんか出て来はしないのだ。

だからもうなかったふりはやめよう。
少なくとも、嫌なことは嫌だってちゃんと感じよう。
だって本当は嫌なのだから。
そして、ちゃんと相手に分かるように伝えよう。
私は嫌です、やめて下さいって。


昨日あたりから、なんか自分がめっちゃかわいいです。

今まで自分にデブでブスだと言い聞かせて、「そんなことないよ」の言葉を外部に求めちゃってたんじゃないかと思う。

すんごく自意識過剰なわけですよ。
自分の見た目とか他人にどう思われるかが気になり過ぎて、変にエネルギーの浪費をしてる。

だけど、私は実はかわいいんですよ。
普通にかわいい。
世の中のすべての人とおんなじくらい普通にかわいい。



人は一般に当たり前だと思うことにはフォーカスしない。
車がない時は車が欲しい
だけど車が手に入ればもう車は欲しいものじゃない。普通にそこにあって便利に役立ってくれる相棒。満たしたい物欲は消えてる。

きっとかわいいってのも同じだ。
自分はかわいくないと思うと、可愛くなりたい欲望に支配されて一喜一憂しちゃうけど、私は当然にかわいいってなる。そしたらもう誰にもかわいいって言われる必要がなくなる。だってかわいいんだもん。

大事なのは意識の矛先ですよね。
私は当然かわいいって

準備が出来たと思った途端、ものすごい学びの波が押し寄せてきて、完全に圧倒されてしまった6月でした。

今まで蓋してた親子関係や恋愛関係のブラックボックスがぱっかり蓋を開けて、見て見て〜って押し寄せてきた。え?まだこんなにあったのか?ってくらい。
周りにいる人達から見たら因果関係や私に必要な学びも明らかなんだろうけど、そしていろいろ分析やアドバイスをもらったのだけど、心と身体がフリーズしておりました。きっと「まだこんなにあったのか…」という現実にがっかりしたのが大きかった。

私は停滞期=安眠出来ず寝起きの気分最悪=体重増量期=「私はこの世で最低のダメ人間だ。。」というパターンがあって、今回もそのパターンを卒業しなかった。

もしかしたらこのパターンを一生卒業しないのかもしれない。

でもまあいっか。
卒業しなくていっか。
なんとなく眠れるようになって元気が出てきた今は、そう思う。

私は陰陽五行では、圧倒的に火が強い。
火の人はアップ&ダウンするものなんだそうだ。
そして、ゴムボールのように、ダウンした後はものすごくアップ⤴️することができる。
だから、重くて跳ねないボーリングの球じゃなくて、びよーんと飛び上がれる柔軟なボールでいることが大事だって、マウイのしんぞーさんが教えてくれた。

ダウンする時には、死にそうな気持ちになるけど、その後には実際のところものすごいアップが待ってる。

だから、思いっきりダウンしてみよう。
ダウンする自分をジャッジして罵ったりしないで、そんな時こそ自分を慈しんで大切にする自分でいよう。

そして思いっきりジャンプアップしよう❣️

 
続投中です。
 
昨日?書いたばかりの言葉だけども
 
 
足るを知るってこと。
ここに居るってこと。
 
今日は、昨日とはすでに違う響き。
 
 
自分を受容すること。
この自分をそのまま愛するってこと。
 
身体が教えてくれることに耳を傾け
何かに導かれてる感じに身をゆだねて
自分が本音で生きること
 
その状態であり続けられたらそれでいい。
 
 
言葉にすると、うんうん。そうだよね、知ってるよって感じだけど
 
だからもう自分の理想に執着する必要はない
可愛くなろうとしなくてもいいじゃん
体重にこだわらなくてもいいじゃん
食べたい時にラーメン食べてもいいじゃん、あ、やけ食いとかじゃなくて本当に食べたかったらね、
てか、なんなら、やけ食いしたかったら別にすれば良いよ
 
ってこととつながってなかったよねー
 
全然つながってなかった。
 
なんで私50キロにならないんだよ!
どうしてバックベンドできないんだよ!
もっと仕事頑張ってよ〜
また食べるのぉ??
だめだ眠たい、まだ1ページも読んでないのに、、、
 
って、自分に言ってた。めっちゃ言ってた。
 
 
昨日彰先生が言ってた。天然物の伸びと無理やり作った伸びの違いについて。
 
私めっちゃ頑張って人工物の伸びを作ろうとして限界を迎えてた。見た目は途中まで一緒だけど、軸がぶれない感じとか、優しさ、愛情、ワイルドさ、しなやかさ、魂が全然違うんだと思う。使ってる筋肉がインナーマッスルかアウターマッスルかで言えば、実は違いは一目瞭然。
 
天然物の私になろう。
養殖物の50キロには、たとえ成れたとしても心がついてかない。まあ私の養殖物の努力ではそこまでたどり着けない。
 
 
今日は1日バタバタで、でも自分を責めずに、自分のための選択を勇気もって出来た。
 
おばさんでもブスでもデブでも、四十肩でも癌でも大丈夫だ。
 
だって私が大丈夫なのだから。
それだけのことなのだ。
 
 
 

卒業だなって思ってから

身体中がめっちゃ痛い。

パソコン打っても、車運転しても、納豆混ぜても激痛。

おそらく肺経、金の要素で過去の手放しに対する葛藤が起きてるのかも。


そんな痛みが不安で、またbeingからdoingに向かっちゃう。痛みをとる対処法は何?私には何が足りないの?何を間違ったの?どうしたら良い?どんなdoが必要なの?って。

痛みがどんなメッセージを伝えようとしてるのか、そのままを受け取るのが難しくて、そうこうしてるうちに気付いたら動けないレベル。


この状態で突入した綿本彰先生のプチ断食オンライン合宿の恩恵が素晴らしい。

徹底的にbeingへと導いてもらってる。

beingの状態でいると、それだけで心がふかふか柔らかくて、幸せが溢れてくる。

そうそう。
この感じですよともこ。

もしこの先一生肩が痛くてダウンドッグさえ出来ない人になったとしても、このbeingであり続けられるならそれで良いじゃない。

これが有るってこと。
足るを知るってこと。
ここに居るってこと。


銀竜草っていうキノコみたいなお花みたいな不思議な植物見つけたよ。