10年前の私が、私を信頼しなくなったことで
それまで保たれてた均衡が崩れ、
自分を探し始めた。
そして今日までの私の探究の日々が続いた。

やっと卒業の日が来たらしい。
今までよく頑張った。
たくさん頑張った結果、頑張らなくて良いってことを学んだ。

あの日があったから今がある。
あの日がなかったら、多分今も頑張ってた。

いや、今もまだ頑張ってる。
だけど、大きな違いは「信じられる」ってこと。

私、卒業おめでとう。
大事なものは全部私の中にある。
さあ、この生命を楽しもう。





自由に楽しそうに踊って

鳥のように羽ばたきさえずって

今日作ったヨーグルトケーキとコーヒーみたいに甘くて幸せな気持ちで満たされてて

広くて

寛大で

許されてる


そんな感じです😆



 

今この瞬間を生きるってことと、今は長いプロセスの中の通過点だってことがやっと両方理解できた気がする。

 

私達が生きられるのは今だけだし、ここだけ。それ以外では私は生きてない。
私達の人生は今の連続で、今っていう点が線に見えるくらいにたくさん繋がってる。その瞬間を慈しみながら大事に生きることで、次の今が導かれていく。

 

だけど同時に、今の時点が完璧かどうかなんて問題じゃない。それはまるで、私達の体毛一本一本に完璧さを求めるくらい、こだわり始めたら疲れちゃうこと。だから、今が素晴らしくて理想的な状態じゃなかったとしても、そんな自分を許して慈しむ。まあいいじゃないか😊って。

 

私達は常に自分が進みたい方向に歩いていて、一進一退する時があったとしても、それも含めて前に進むプロセスにいる。だから、今はゴールが遠く感じられても、今という点がいつか線になって、毎日を大切に重ねていくことで私達が心から望む方向へと導いてくれる。

 

私は私を信頼している。そして、そんな自分を全面的にサポートしている。

そのことが私を構築していく。

こういう日々の積み重ねをしていきたいと思うのです。

 

少し前までの私は、「どうして私は理想の体重になれないんだろう」、「どうして私はいつまでたってもバックベンドが苦手なんだろう」、「どうしてもっと仕事頑張らないんだろう」って、自分を責めて、コンディションの良し悪しで一喜一憂してた。理想と現実のギャップに落胆してた。他の人に対しては絶対に面と向かって言わないような失礼な言葉で、自分を責めてた。

 

そりゃ苦しいですよね笑。ずっと意地悪な上司と一緒に24/7を過ごしてるようなものですもんね。

先日、肯認学の二三さんとお話しして、とても素敵なアドバイスをもらいました。

 

例えば、大切な人が「今日はやる気がしない」って言ってる時に、なんて言葉をかけてあげるか?

「大丈夫だよ、きっとできるよ、今はたくさん寝たらいいんじゃない?」っていう言葉でも悪くないけど、それよりは

「やる気がでるようにあなたが大好きな食べ物を作ってあげるよ」とか、「一緒に海に行って気分転換しない?」って言ってくれたほうが、優しさと思いやりを感じられて私は嬉しいし、その人のこと大好きになっちゃう。

 

どんなふうに自分に話しかけるか。

自分に対する無意識のジャッジにどこまで気付けるか。

今すぐには素敵な言葉はかけてあげられないかもしれない。

でもだんだん上手になってくから、安心して楽しみながら待っててほしい。

そう。なぜなら、それはテクニックじゃないから。もっともっと自分自身と愛し合うことで上手くなるから。

毎日毎日ますます自分を好きになっていこう。




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「好きでいることとリスペクトすることは違うんだよ」ってあさみさんが教えてくれた。

すべての人を好きになることなんて出来ないんだからねって。



私、すべての人から好かれることはないって知ってたけど、でも、無意識にすべての人を好きでいたいって思ってた。
だってそれって美しい世界だと思いませんか?


でも、実は嫌な事や嫌な人はたくさんいる。
明らかに嫌な場合は、明らかに嫌なんだけど、そうじゃない場合に、嫌だなって思うことに躊躇があった。

私の心が狭いかも
私の偏見かも
誤解かも
単なる嫉妬?…ってふうに。


つまり自分の感情をちゃんと受け止めないで、なかったことにしたり、理屈でねじ伏せて消化したふりしてたかもしれない。

これ要らないんですね。
なんか嫌い。
なんか嫌。

それでいい。それが今の私。
私はそう感じた。


そっかぁ。ともこはなんか嫌なんだねー。
じゃあ仕方ないね。
やるのやめようか。
会うのやめようか。
それでも大丈夫よ、と受け入れる。


その奥に、私の鏡さんたちがくれてるヒントやメッセージがある。それは、嫌を感じ切ったらちゃんと来るから、慌ててそっちに行かないで良いんだと思う。
慌ててそっち行こうとすると、ちゃんと受け止めてもらえずにコントロールされちゃった感情が暴走する。感情が暴走した時、私は無気力になります。もし今無気力な人がいたら、その人は本当の自分の声を聞かないようにしてるからかもよ。




相手を好きにならなくてもリスペクトすることはできる。
相手がそのままの自分でいることを尊重する。
そっか、あなたは今そう言いたいんだね。
そういう気分なんだね。
いいよ、あなたの自由だよ。

好きでいたいから、どうにか手伝ってあげたい、もっと良くなってほしいって、なんかコントロールが入ることがよくある。でも、それは私のエゴだから、私のもの。相手の自由に干渉する権利は私にはない。

もちろん、本当に大好きな人にはそんなふうには割り切れないかもだけど、どんなに大切な人でも相手の自由は大事にしてあげれる私でいたいな。

好きになる必要はないから、「この人なんでこんな残念なんだろう?どうしてあげたらいいの?」ってもう思わなくなる。そしたら私の人間関係がちょっと軽くなる気がする。








ちょっと腑に落ちてきたのだけど、仕事って愛のエネルギーを循環させる手段なんだよね💡

今まで全然理解してなかったことにやっと気付いた。仕事=義務とか責任だと勘違いしてたことにやっと気付いた❗️

バンザーイ。

ここからだぁ〜