好きなことをちゃんと選ぶってめちゃ大事。

それはこの前覚悟したとおりなんだけど、

今ふと理解したこと。

それよりももっと大事なのは、今どんなエネルギーを発してるかってことかもね。

例えば、今やってる締切の原稿。
嫌々やることもできるし、何ならやらずにドタキャンするってこともできるけど、

もうやるって決めたなら、その過程で最高のエネルギーが発せられるようにすべきじゃない?

そう思ったら、日常の細かいエネルギーチェックが全然出来てないって分かる。

食べ過ぎてみたり

目の前のことから逃げてみたり

ただぼーっとしてみたり。

そういうのもたまには良いし、

たまには楽しい。


だけど、頑張らないっていうのは何もしないことじゃなくて

ただ待ってることじゃなくて

何かにフォーカスすることで他のことがどうでも良くなるっていうことだって気が今はしてる。

もしかしたら、最初は怠けたい(=エネルギー停滞状態)の現状維持欲求が何度もやって来たとして、そこにちょっとした意図を乗せて、自分を集中の方に持っていくことは、我慢じゃない気がしてきた。正確には、同じ方向付けでも、そこにあるエネルギーの質によって、我慢にもなれば、ますます良いエネルギーにもなるんじゃないかと思う。その時はきっと頑張ってるって言わないかもしれない。

自分がときめく方向付けができたら、そこに良いエネルギーが溢れるんだと思う。

まだうまく表現出来ないけど、いつもみたいにちょっとずつ本当の気持ちに近い表現に変えていきますね。

出張中の飛行機より。誰かがパミール高原って言ってた気がする。

 

ここ数日仕事に追い立てまくられていて、自信なくすわ太るわで、ぶぅぶぅ言ってる私です。

 

そんななか、すごいことに気付いてしまいました。

 

経緯は、私が去年までメインでやってた仕事の人達が、急遽シンポジウムを開催することになって、断れずそこでプレゼンしたところ、準備不足な状態に自分で情けなくなり、「もう私何やってるんだよ。。。」と落ち込みつつ、、

 

あれ?もしかしてこれタイムスリップ???

1年前に逆戻りじゃん…一昨年の年末と同じこと言ってるじゃん😱という驚愕の事実。

私、まだ好きじゃない仕事に忙殺されている。。

 

てか、実はこれを何度も何度も繰り返していて、このテーマで初めてブログを書いたのは、、実に3年前😱しかも同じく2月😆。


 

一昨年の年末には、情けない自分を卒業しよう、本当にしたい仕事に集中しようと固く心に決め、次年度は彼らとの仕事はお断りするはずだったのに、その業務がらみで南の島国への出張を思いついてしまい、「南の島国に行きたい」という誘惑に駆られて結局今年度もその仕事を続けてしまったのです。ええ、南の島は楽しかったですよ。

 

でも、南の島に行くだけで仕事が終わるはずもなく、原稿依頼が特に年度末の予算消化でどんどんやってきて、「ともこさん以外に頼める人がいないんです、忙しいのは承知ですがそこをなんとか」とかって、便利に人を使う人の常套句に断れず(断れよ私😭)、今月はもうあり得ない業務量になってしまったわけです。しかも年度末の予算消化の原稿なんて誰が読むんだよ…_| ̄|○と思いながらも、チキンなので手を抜けず、頑張るって楽しいじゃん!って自分に言い聞かせながらも実はすごい不機嫌という。。

 

原因は・・・

 

そっか、あの選択ミスか!と今分かった。

部分的(南の島)にはウキウキしてたけど、プロジェクト全体としてはもう嫌気がさしてた。そんな仕事を敢えて選んだ1年前の私よ。

おかげで今、、ビックリするくらい幸せじゃないぞ(笑)。

 

このロスはダメージが大きいけど、その分来年度はとことんストイックに、大事なものをめっちゃ大事にする。本当にやりたいことに向き合う一年にしようと心に誓ったのでした。

なので手始めに、毎日少しずつでも、本当にウキウキする本や雑誌を読んで、そっちに向かっていく準備することにしました。

 

軌道修正できて良かった☆

ここからが勝負だぞ私。ストイックに楽しむぞ。

 

 

 

 

疲れた時やがっかりした時って

 

自分にとって快適で安全な空間に逃げ込みたくなる。

 

ほっとして、緩むようなこと。甘い蜜みたいなこと。

 

例えば、甘いもの食べたり、辛いもの食べたり、ドラマ見たり、ゲームしたり

 

考えてみると私の甘い蜜は、刺激が強くて、思考を麻痺させて、自分から離れることが多い。

 

確かに、思考がぐるぐるしすぎてる時って、離れたくなるよね。ちょっと落ち着こうか私、ってなる。だから離れることはたぶん正解。

 

でも、それって本当に私にとって快適で安全な空間なのかな?って疑問がわいてきた。

 

背徳感を感じつつ、それを正当化で覆い被すんだけど、でもどんなに隠したところで背徳感がじわーっとにじみ出る。

 

だから、本当の本当は快適でも安全でもないのかも。実際、結果機嫌が悪くなることがままある。

 

楽しいはずなのに楽しめない。美味しいはずなのに美味しくない。そんなふうに思考がさらにぐるぐるしちゃう。

 

目を背けたくなる現実があって、そこから離れるために甘い蜜を求めてたら、私はふわふわ浮かんでしまって、どこに行っちゃうんだろう。

 

それよりも違う一歩がある気がする。

 

それとは違う選択が出来る気がする。

 

 

 

 

 

それってなんだろう???

 

 

💡

 

 

 

なんだよおい。考えてみたら、結局出てきた答えは瞑想じゃないですか。

 

何にもしないこと。

 

無になること。

 

またそこから始めてみましょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご飯はエネルギー摂取なので

 

食べる側の私も良いエネルギーで食べ物を迎え入れたいと思う。

 

そしたら食べ物が私の身体の中でテンション高く馴染む感じしませんか?

 

だからめっちゃウキウキしながら「頂きます♥️」と言ってご飯を食べる。

 

とはいえ、気付いたらネット見ながら無意識に食べ物を口に運んでる時がある(!)

 

そんなときは、気付いたタイミングでにっこりと手を合わせて「いただきます」と言ってみる。

 

そしたらなんか良い感じで消化する気がする。不思議だけど美味しさもアップするような気がする。

 

いいんですよ気のせいで。世の中大体気のせいですから。

 

ずいぶん前に友達が教えてくれた食事の偈。

 

こんな気持ちで日々過ごしていたい。

 

 

 

 


エゴや欲を土台とする言動と、本当の自分と繋がってる言動って別モノだと思ってたけど

それって単にその時の私がスネてるかごきげんかていう違いだけなんじゃないかって気がしてきた。



エゴが暴走する時って

心がレスキューサインを送ってる時。

もう無理、これ以上我慢したくない🤮って


エゴが生成されるのは、我慢する→すねる→反動で暴飲暴食したりイライラしたりとエゴまみれの行動をする→罪悪感を感じる→「どうせ私なんか」と言いながら自己否定をする→自信なくて断れずに新たな我慢をするという無限ループ。

この無限ループから抜け出すために

エゴが顔を出したら

自分をいっぱい慈しもうって決めたよ。

自分のエゴが苦しい時、そこにもう「エゴ」って認識できるものが存在してる時、その存在を許す。

だってもうそこにあるんだもん。ないフリしたら余計に苦しい。

そして、ああ、私なんか変な我慢しちゃったんだなぁって認める。もし暴飲暴食したければする。だって我慢したくないから。締めちゃったら緩めたいのは当然でしょ?大事なことは、それを後悔しないこと。

満たされて幸せな気持ちでいる時は、全然暴飲暴食したくないし、グチもない。そこを目指すために、なんだったら今は喜んで暴飲暴食しちゃおう。必要ないって感じられるまで、我慢しないで飲んじゃおう。


トイレに行きたいけどあと30分なら我慢できるかなとか
私がやると速いからと、下っ端の作業引き受けて疲れちゃうとか

そういうちょびっとの我慢を経験してる時の体感が意識できるようになってくると、この体感を無意識にかつ継続的に味わってるってことが恐ろしくなる。

ずっと足枷をつけ続けてたせいでもう足枷を重たいと感じなくなるような

奴隷でいることに慣れちゃうような

DVが日常化して麻痺しちゃうような

そんなくらい怖いことだと思う。



何かを無我夢中で頑張りたいから

爆発的なエネルギーを発したいから

そのためにはエゴがない満たされた状態を作りたい。




でも、もし今がそうじゃなかったとしたら?

エゴまみれの私がここに居るとしたら?


そんな今ここから出発する最初の一歩は、キャパが無いちっちゃな私の器をまずは満たしてあげることからだと思う。

大丈夫。ちっちゃいからすぐに満たされる笑。

器の小ささに嘆いて、そのちっちゃな器をガマンでいっぱいにしていつまでもカサカサに干枯らびてるんじゃなくて、

とりあえず満たす→気分が上がる→なんか楽しい→なんか感謝のスパイラルに変えていきたい。


一昨日ね、久しぶりに散髪して、勇気を出してブリーチしてみた。そしたらめっちゃ嬉しくて自己愛を感じた。

塩イワシを買って焼いてみたら美味しすぎてめちゃ幸せだった☆

信用してない編集者のところで2年前に書いた原稿、今さら出版するからアップデートしろって言われたけど、無理って断った。

そうしてるうちに、ちょっとずつ仕事も楽しくなってきた。いやいや病が落ち着いてきた。