疲れた時やがっかりした時って
自分にとって快適で安全な空間に逃げ込みたくなる。
ほっとして、緩むようなこと。甘い蜜みたいなこと。
例えば、甘いもの食べたり、辛いもの食べたり、ドラマ見たり、ゲームしたり
考えてみると私の甘い蜜は、刺激が強くて、思考を麻痺させて、自分から離れることが多い。
確かに、思考がぐるぐるしすぎてる時って、離れたくなるよね。ちょっと落ち着こうか私、ってなる。だから離れることはたぶん正解。
でも、それって本当に私にとって快適で安全な空間なのかな?って疑問がわいてきた。
背徳感を感じつつ、それを正当化で覆い被すんだけど、でもどんなに隠したところで背徳感がじわーっとにじみ出る。
だから、本当の本当は快適でも安全でもないのかも。実際、結果機嫌が悪くなることがままある。
楽しいはずなのに楽しめない。美味しいはずなのに美味しくない。そんなふうに思考がさらにぐるぐるしちゃう。
目を背けたくなる現実があって、そこから離れるために甘い蜜を求めてたら、私はふわふわ浮かんでしまって、どこに行っちゃうんだろう。
それよりも違う一歩がある気がする。
それとは違う選択が出来る気がする。
それってなんだろう???
💡
なんだよおい。考えてみたら、結局出てきた答えは瞑想じゃないですか。
何にもしないこと。
無になること。
またそこから始めてみましょうか。