挨拶まわりが無事に終わった。

この周辺に小さい子供はいないらしい。

まだその頃は幼稚園生だったので(待機だったけど)、

泣く声や大声で叱る声に驚かないよう、お願いをした。

 

そして挨拶まわりを終えたその日の午後、4軒先のご主人が訪ねてきた。

 

ご近所さん『次年度の交通指導役員をお願いします。』

 

私 『え…っと…越してきたばかりなので仕組みもわからず、役員が出来る状態ではないのですが。』

 

ご近所さん『2年間、数回の会議出席と年2回所定の場所で朝旗持ちすればいいから。手当も出るよ。』

 

私 『小さい子を一人で家に置いていくわけにはいかないので、私には出来ません。』

 

ご近所さん『けどね、あたらしく入った人から順番でやっていくルールなんだよ。』

 

さっきさ、ひとり親家庭でって挨拶したよね?何かあれば協力するとか笑顔で言ってたよね?

けれど結局、自分が次の人を探すのが面倒だし、新しい人は何もわかっていないから丁度良いとでも思ったのでしょう。

私に押し付けてきた。 後々知る事実からも、”押し付けられた”は間違ってなかった。

 

自治会に入ったとたん、〇日に集会所で行政区会議、〇日は交通委員会議、〇日は環境整備会議、〇日は総会…。

会議のオンパレード。

とにかく、早くこの土地になじまないとと思っていた私は、全て出席した。

 

◎出席した感想…

・終わり時間を決めないからダラダラ長い

・無駄な話し合いが多い

・議題がそれる (戻ってこない)

・お年寄りが好き勝手言いたい放題

・絶対的権力者がいる(長年この土地に住み、区長を何年もやっていた方だそうだ)。

・権力者の取り巻きが6人いて、権力者をもちあげている。

・予算削減の議題に対して意見を述べたところ、権力者他とりまき数人に反対され罵声を浴びせられた。

・『権力者が言うことは絶対!』『権力者万歳!』…どこかの国に迷い込んだと思った。

・ひとり親だということをいじられる

・権力者にペットボトルの底で胸をつんつんされる(驚いて開いた口が塞がらなった)

・権力者に膝の上に座れと言われる

・権力者に"膝もっておしっこさせてやるからこっちこい”と言われる

上記セクハラ中、まわりの年寄りは笑っているだけ。男性も女性も権力者のとりまき。

全て断ったので被害はペットボトルつんつんだけで済んだ。

 

汚い言葉でごめんなさい。

くたばれ。

心の底からそう思った。

 

私はこの土地で生きていけるのだろうか。

いろんな気持ちでこの土地に住むことになったけれど、この自治会で早くも引っ越しをしたくなった。

女性(60歳以上)は噂好きだし、男性は昭和育ちの老害だらけ。

世帯主では一番私が若いそうで、あれこれ仕事を押し付けられそうになる。

もちろん、生活をするうえで必要な事(ゴミ収集所清掃当番やゴミ拾いなど)はやるし、

自治会費1万円だって支払うけれど…最低限の関わりで、お会いしたら挨拶のみを徹底しようと決めた。

 

つづく

 

私にとっては試練だった。

それは、近所付き合いと自治会。

 

結婚する前は都会で一人暮らし。

自治会なんて話すらない生活だった。

隣の部屋に住んでいる方の顔も名前も憶えていない。

結婚してからはマンション暮らし。

多少近所付き合いと自治会はあったが、特に干渉されることなく

スマートに生活が出来ていた。

 

けれど、今回は違う。

田舎の古い一軒家に 子供と二人。

ゴミ捨て場を使うには自治会に入らないといけない。

住み始めると同時に地区の班長宅へ挨拶へ行く。

すると、班長さんから『〇〇日に一緒にご近所まわりをしましょう』と。

私は急いで箱入りタオルを大量に購入し、”御挨拶”の熨斗をプリントして準備した。

その後、班長さんに連れられご近所へ挨拶まわり。

 

班長さんがとても親切で丁寧で、1軒1軒紹介をしてくれる。

 

『この人は母子家庭なの。子供と二人暮らしだから、何かあったら助けてあげて。』

 

それ、全員に言うの?

私、この人たちのこと知らないのに。

 

地方によってなのだろうか。私の意識がおかしいのか。

ひとり親というと、相手の表情が変わる気がする。

 

つづく

 

離婚して約5年。

元旦那様からの養育費は一度も振り込まれていない。

ここ最近は電話も出ない。

折り返しもない。

LINEは既読になるまで3日はかかる(もちろん敬語で会話)。

 

調停離婚をしているので、養育費の催促が出来る。

といっても、取り決めた月額は1万円。

安いと思う。

けれど、離婚当時借金があった&無職だった元旦那から

設定出来る額は1万円がやっとだった。

それすら振り込まれない。

離婚後、元旦那は自己破産をしていた。

 

けれど、私は知っている。

元旦那は離婚してすぐに新古車のハリヤーを購入していることを。

親名義で。

子供に会いに田舎へくる時にはピカピカのハリヤーにBMWの自転車を積んでいた。

車内の設備も充実していたし、身なりもきちんとしていた。

あの、離婚当時もめた際に逃げた義理親は、息子に車を買っていた。

怒りよりも、呆れた感が強かった。

 

その当時、子供に会いに来たのだからと腹がたつ気持ちを抑えて

何も言わなかった。

 

けれど、時間が経つにつれてむかつきが止まらなかった。

市の弁護士無料相談にも行った。

弁護士様の見解は、

『催促しても、無理でしょうね。』

との一言。

 

住所不定、職業不明、本籍地に居ない等、本人を探すことが難しい。

電話番号はわかっても、書類の送付先は不明。

 

会社員として働いていない限り、給与差し押さえは出来ない。

役所へ届けている住所に住んでいない場合、財産差し押さえが出来ない。

そもそも、預金なんてないだろうから、銀行は期待できない。

車も親名義だし。

最終的には元旦那の親に請求が出来るとも言われたが…関わりたくない。

 

月々1万円×12カ月 12万円×5年 +滞納金

その他、調停離婚の際、元旦那の借金返済の為、解決金として取り決めた金額が同額ある。解決金の時効は10年(現在は5年だそうだ。当時は10年だったので、よかった。)。

解決金の時効は、10年経つと一気に無くなるわけではなく、

1か月毎に時効をむかえるとの事。

あと5年。

何としてでも回収してやろうと思う。

けれど、その嫌な気持ちを抱えたまま、生活を送ることは難しい。

 

私にもっと貯金があったなら…

私がもっと働けたなら…

なんて思ってしまう。

 

離婚したときに未就学児だった我が子は、あと一年で小学校卒業。

 

明るい母子家庭を心掛けて毎日を過ごしているけれど、

我が子が大きくなるにつれて、ひとり親って難しいなと感じる。

”子どもが大きくなって楽になったでしょ?”

なんて他人に言われるけれど、

“楽”になんてひとつもなっていない。

むしろ、出費は増え=働く量を増やし、家事が疎かになりがちだ。

 

当たり前なのかもしれないけれど、お母さんは忙しい。

ほっと一息入れるのは、いつも夜中の1時過ぎ。

眠れないから導入剤を服用して布団に入る毎日。

明日は6時に起きないと。

 

再婚しているお父さんお母さん、いつその出会う時間があるんだろう?

私はWEB系の自営業なので、基本人には会わないし…。

マッチングアプリなんてやっている暇が無い。

きっと、うまくその時間を作っているのでしょうね。

 

何事もスマートにこなしてみたい。なんてね。

 

いつも思う。

休みの日、リビングで我が子が騒いでいても、

大声で音痴な歌声を披露していても

ボカロ曲を、舌を噛みそうなくらいの早口で歌っていても

元気だから歌える!し、健康だから遊んで騒げる!と思って

ニコニコするようにしている。

 

やることをやっていれば、遊んで良しの我が家。

健康に、すくすく大きくなっていることが、私の幸せの一部。

 

辛いこと苛立つこと苦しいことばかりではないってことかな。

 

好き勝手書いてしまったので、まとまりのない、読みにくい長文で

失礼致しました。

 

 

 

 

新しく住む古い家。

新しい場所はいつも、心が躍っていた。

けれど、今回は違った。

 

虫は?蛇は?ねずみは?と、不安だった。

昭和生まれで良かったとも思った。

田舎生まれ田舎育ちの私は、ある程度自然の生き物へ対処が出来る。

大っ嫌いだけれど。

 

夜になり我が子とお風呂に入ることに。

湯はりは自動ではないので、タイマーをセットしてためる。

シャワーは水圧が弱いので、低水圧用のヘッドに取り換えた。

もちろんホースも。

無我が子の洗髪を先に、湯舟へ入れている間に私の洗髪を。

ここで信じられないことが。

お湯が出ない。

私の頭は泡だらけ。けど今は3月。水で流すには寒すぎる。

パニックになるかと思ったが、色々と諦めて毎日を過ごしていた私は

以外と冷静だった。

泡だらけの私の頭をタオルで巻き、我が子を湯舟から出し服を着させる。

その後、私も服を着て車で実家へ。

 

実家でお風呂を借りた。

足を延ばせる湯舟、水圧の強いシャワー、明るい浴室内、スイッチで回る天井の換気扇。

どれも羨ましかった。

 

翌日、設備屋さんへ連絡をすると、ボイラーの故障とわかった。

また出費。

そして、その日から直るまでの1週間とちょっと、温泉へ行く毎日となった。

(田舎は銭湯なんてないから、温泉になるのかな)

また出費。

 

 

*****

2024年4月

現在もそのお風呂に入っている。

銀色の浴槽、ヒビ割れたタイル壁、砂埃の入る大きい窓。

低水圧のシャワー。

足は延ばせない。

 

 

 

 

 

 

いいなり の続きの前に、思い出したので残します。

 

義理の父母について

 

元主人の父は、本当の父ではない。再婚だそうだ。

そして、現在はアル中だ。

義母も一緒になってアル中。

手は震えているし、廊下で用を足す。

飲んだら最後、記憶が全くない。

2人とも、良く似た夫婦だと思った。

 

主人が失踪したときや借金が分かった時など

決まり文句のように言われた言葉がある。

 

義母『私たちは〇〇〇さんの味方だから。信じていいし、頼ってもらっていい。』

義父『マンションから出たら、うちにおいで!〇〇〇さんなら大歓迎だよ!』

義父『何かあったらここに逃げてくるんだよ』

義母『お金は私たちがなんとかするから。あなたは心配しないで。大丈夫。』

 

こんなこと言われたら、素直に嬉しい。

けれど、調停離婚の際や引っ越し費用、私の両親が心配して遠くから来てくれたときも

ラインは既読スルー、電話は繋がらなかった。

そして、返答はこないまま、顔を見ることもないまま遠い田舎(実家)へ帰ることになった。

 

あれから5年、連絡はない。

 

義父母のいうことなんて、信用してはいけない。

結局自分の子供が一番かわいい。何をして、他人を傷つけていたとしても、息子の味方。

そして、自分の得になること(将来くる介護のこと)しか考えていない。

色々と文句も言いたかったが、義父母にまで逃げられてしまった。

親も親なら子も子。

呆れた。

疲れた。

 

あの、熟年アル中カップルは きっと 今も 飲んでいることでしょう。

手を震わせながら、酒臭い息を吐きながら、コンビニの店員をしていることでしょう。

 

◎現在

最近、ママ友が離婚したいと相談してきた

義母には私が以前言われた事と似た文句を言われているという。

 

信じるな。そいつは逃げるぞ。感謝なんてするな。騙されるぞ。

 

ママ友は涙を流して『そんなこと言ってくれるお義母さん、いないよね。嬉しくて。』

とか言っている。彼女を見たら、言い出せなかった。

けれど、私の場合は という前置きをしてから、泣き止むころに伝えた。

 

 

つづく