「よく似た」と感じる事案に出くわしたとき,結論・結果も前と同じようになる,と思い込まないことは重要です。

どんなケースでも,様々な要因が重なり合って一定の結果が発生するのですから,それらの要因のごく一部でも異なれば,結果も違ってきて当然でしょう。

 

交通事故の事案でも,「(同じような負傷,治療経過なのに)どうして後遺障害等級が認定されないのか?」,「(被害者の属性や後遺症の程度が同じようなのに)どうして判決がここまで違うのか?」というような場合,見落としている相違点が必ずあります。

そのような相違点を早期に見つけるよう努めること,見つけるごとに方針も少しずつ修正しながら進めていくというやり方が,最も現実的で間違いの少ないものではないかと思います。

交通事故の民事事件を幾つも手掛けていると,よく似たケースを同時期に複数手掛けることもあります。

例えば,当事者の属性,事故状況,争点などが共通した事案を幾つも同時並行的にやるということが少なからずあるのです。

 

そのような経験を通じて,いろいろな事案の類型化を行い,筋道を立てて進めることが容易になるというメリットがあります。また,そのようにして経験の蓄積を図っていくことは非常に重要でしょう。

ただ一方で,事案の個別性を軽視し,「ああ,またこのパターンか」などと先入観をもって安易に見てしまうのは非常に危険ですし,そもそも依頼者の方に対して失礼でもあると思います。

仕事としてやっている者にとってはいくつもある事件の一つですが,依頼者の方にとっては,二つとないものであり,しかも一生がかかっていることさえ珍しくないからです。

 

まったく同一の事案は絶対に存在しないことを改めて肝に銘じ,誠意をもって仕事に当たりたいと思うものです。

 

防衛行為の相当性に関する問題てしては、攻撃者を死に至らしめた場合でも、これを認めた裁判例が幾つかありました。
私が法科大学院生時代に調べたものですが、実際にそういうこともあるのだと興味深く感じました。

昭和後半期の事件ですが、一つは小島にキャンプを張っていた若者たちが夜間、いわゆる愚連隊グループの襲撃を受けたもの、もう一つは暴力団事務所に拉致された一般市民が、拳銃や刃物で攻撃され、負傷もさせられたものです。
救助を求める手段もなく、強い反撃に出ないと危難から逃れることができなかったことが重視されたと思われます。

防衛行為の相当性については,「武器対等の原則」の観点から評価されると論じられることがあります。

これは形式的に,「素手対素手」,「鈍器対鈍器」といったものではなく,攻撃者の攻撃に対して,防衛者が実質的にみて,それと同等を超えるような手段に出なかったかということだといえます。

 

「武器対等」というキーワードはわかりやすく,かなり説得力のあるものだと思われますが,具体的な場合に「対等」といえるかどうかは,諸事情を丁寧に判断していかなければならないことが少なくないでしょう。

攻撃の執拗性,防衛者の心理状態,他に取りうる手段などが十分考慮される必要があります。特に,攻撃者の死亡や重傷といった重大な結果が惹起された場合になお,防衛行為が相当なものだったと評価されるかどうかの判断には,実質的な観点からの慎重なものが求められるでしょう。

なお,最高裁判例が「刑法三六条一項にいう「已ムコトヲ得サルニ出テタル行為」とは、急迫不正の侵害に対する反撃行為が、自己または他人の権利を防衛する手段として必要最小限度のものであること、すなわち反撃行為が侵害に対する防衛手段として相当性を有するものであることを意味するのであつて、反撃行為が右の限度を超えず、したがつて侵害に対する防衛手段として相当性を有する以上、その反撃行為により生じた結果がたまたま侵害されようとした法益より大であつても、その反撃行為が正当防衛行為でなくなるものではないと解すべきである。」(昭和44年12月4日刑集23巻12号1573頁)と判示していることは大変重要です。

 

わが国において、防衛行為の相当性がかなり厳格に解され、正当防衛の成立が制限されてきたのには、歴史的な背景もあるのではと思います。
現在の法体系は基本的に、明治以降欧米諸国から輸入されたものでしょうが、それ以前からの経緯も、こと正当防衛に関してはかなり影響があると思われます。

わが国においては、秀吉の刀狩り以降、私人が自力救済に出ることをかなり厳しく制約する傾向があるといえるでしょう。
江戸時代には、仇討ちもそう簡単に許されたものではなく、また江戸城内での抜刀は切腹、さらに辻斬りは士分でも斬首というふうに、公権力によらない暴力が厳罰をもって禁圧されていました。庶民は旅行の際の脇差などを除いて、武器の携帯が禁止されていました。
このような法制度は、番屋(現在の交番の前身)に象徴される警察組織の存在、それと関係するであろう当時の世界では珍しいほどの治安の良さと相まって持続したのではないかと思われます。
そして、その中で、私人が暴力を振るうことは、理由の如何を問わず、基本的に良くないことだというような観念が形成されていき、明治以降に繋がっていったのでしょう。