正当防衛が成立するためには,その防衛行為が「やむを得ずにした」と認められることが必要とされます(刑法36条1項)。これは防衛行為の相当性という言葉で表現されることがよくあります。

この防衛行為の相当性について,従来の裁判例はかなり厳しく解し,ある程度大きな力を加えた場合や,攻撃者が重傷や死亡に至った場合,これを否定して過剰防衛と認定する傾向が強かったともいわれます。

 

しかしながら,あまりに相当性を厳格に解しすぎると,攻撃者と防衛者のどちらが被害者か分からなくなってしまい,善良な市民の自己防衛の道を閉ざすことになりかねません。また,被害者以外の第三者による救済を躊躇させ,そのために不法な攻撃による被害を拡大しかねないという問題も起こりえます。

そもそも正当防衛が問題になるような状況というのは,緊急事態の最たるものです。そのような状況下,攻撃者に文字どおり「必要最小限の」損害を与える限度の行為で防衛を達成できるような人はまずいないでしょう。

 

防衛行為の相当性を論じるにあたっては,そのような状況の特殊性を十分に考慮しなければならないのはいうまでもありません。さもなくば,刑法36条1項は実効性のない死文となってしまうでしょう。

先日、誤想防衛について書きましたが、誤想防衛の成否についても、またそもそも正当防衛についても、わが国はややその成立要件を厳しく解する傾向にあるのでは、と思われます。
特に、「やむを得ずにした」といえるか、防衛行為の相当性が認められるかという問題に関し、ある程度強度の手段を取ったり、重い結果が発生したような場合、これを否定する傾向が見受けられます。
この問題について、これから少し考えてみたいと思います。

会社員の男性が,交際女性が勤める会社の上司である男性を,(実際は酔った女性を介抱していたのを)女性に性的暴行を加えていると誤信して殴り,重傷を負わせたとして傷害の被疑事実で現行犯逮捕されたという事件が最近ありました。

重傷を負った被害者は,一命をとりとめられたとのことですが,被疑者の男性も交際女性を守ろうと考えての咄嗟の行動だったと思われます。勘違いが生んだ悲劇ですが,30年余り前に起こった通称「勘違い騎士道事件」と呼ばれる誤想過剰防衛の事案を想い出します。

 
昭和56年のある日,道で男女が絡み合うのを見た空手有段者(かなり大柄で,柔道や居合などもしていたそうです)の英国人男性が,女性が暴行を受けていると勘違いして,傍らにいた男性(体格は男性としては小柄だったようです)に回し蹴りを加え,死亡させてしまったという事件です。実際は泥酔した女性を介抱していただけだったようですが,女性が冗談で「ヘルプミー」と叫んだこと,傍らの男性が両腕を出した動作をファイティングポーズと勘違いしたことなどから,英国人としては女性を守らねばという気持ちになり,そのような行為に及んでしまったのでしょう。
一審は誤想防衛を認定して無罪としましたが,高裁で誤想「過剰」防衛とされ,執行猶予付きながら傷害致死罪で有罪となり,最高裁でも維持されました。大柄な武道有段者が,はるかに小柄な人物に対して回し蹴りを加えることは,防衛行為としても過剰だと考えたのです。
 
酔った女性を介抱していた男性が誤解されて被害に遭ったこと,かなり危険な行為がされていることの両面で共通する事案です。
今回のケースが最終的にどのような判断になるかは分かりませんが,手を出す前に何か言葉でワンクッション置けなかったのかなと残念に思います。
 

 

「司法修習生に実質的な給与として月額約20万円を支給する給費制を廃止したのは憲法違反だとして、返済義務がある貸与制の下で修習を受けた九州の弁護士50人が、1人1万円の賠償を国に求めた訴訟の判決で、熊本地裁(小野寺優子(おのでら・ゆうこ)裁判長)は16日、請求を棄却した。

 全国7地裁の同種訴訟で、判決は6例目。いずれも元修習生側の敗訴となった。」

 

共同通信社の本日のニュースでした。

予測していた結果とはいえ,給費制の1年延長で救われた身としてはやはり残念です。今,給費制が一部復活しているものの,それで良いとはいえません。

残り1つの地裁判決,それから今後の高裁・最高裁,どのような判断になるのか注目したいところです。直接かかわっているわけではないので,口を差し挟むべきではないのかもしれませんが,われわれの心にぐっと響くような判決を書く裁判官がおられることを切に希望します。

 

司法の判断と一般市民感覚にずれが生じるという現象はしばしば論じられますが、その問題の背景には、ひょっとしたら「一般市民」の方々が、事案の全体を見ることなく判決を批判しているということがあるかもしれません。
裁判官、弁護士、そして刑事事件の場合の検察官は、その事件に関係する資料全体を読み、いろいろな角度から検討した上で主張をし、あるいは判断を下します。

例えば、刑事事件の場合、被告人の生い立ちや事件当時の生活、事件に至る流れなどを知り、今後の更生への意思や、更生に活用できる社会的資源を考慮することは必須です。
そのような諸事情を総合考慮した末に判決をする訳です。

これに対して、一般市民の方々は、事件の残虐性や被告人の身勝手さなど、被告人にとってマイナスになる情報ばかりを(主としてマスコミの発表から)知り、無意識的に重罰を望んでいるということがないでしょうか?
マスコミのあり方を議論する趣旨ではありませんが、一面的かつセンセーショナルなマスコミ発表だけで事案の全貌を知ることは不可能ではないかと思います。