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リハビリのこと、庭のこと、コペンのこと

ある著名な臨床心理士に質問したことがあります。

<全て拒絶するうつの方にどう接したら良いでしょうか>

先生曰く、

「その人の文脈で、その人の世界観で、話をしましょう。」

「肩こりがあるんですね、『あなたはそれをどうしたいと思ってるの?』とかね」
「机にしがみついているなら、『そこを持ったままでいいから少し前に動かせる?』とか」

なるほど~と思い、言われたとおりにやってみるのですが、うまくいきません。同じようなことを当院の臨床心理士が言うと、すんなり患者様に受け入れられます。



「文脈」「世界観」というのが、わからなくなりました。



先日、デイケア内の勉強会で、虐待についての話題が挙がりました。

「車椅子に長時間座らせておくのは虐待にあたるという考えもあります」

一般的に、「車椅子は移動の手段であり、長時間座るのには適さないので、椅子に座りかえるように」と言われています。

認知症が進行し、コミュニケーションがとれない方を、不快な車椅子に座らせておくのは虐待だというわけです。

デイケアに勤務するまでは、私もそう思っていました。

しかし、姿勢や筋緊張という観点からその人のリラクセーションを評価していくと、必ずしも椅子が良いと言いきれない人が、デイケアには多いということに気付きました。

長年車椅子で生活している方の中には、車椅子が身体の一部のようになっている方もいます。

身体をみればわかります。スリングのたわみと骨盤・脊柱・頭部の位置・重心位置がぴったり合っていて、異常な筋緊張がない場合、車椅子でリラックスできています。(拘縮予防・褥創予防が必要な場合は椅子に座りかえる必要があります)

健常者が不安定だと思う薄いスリングシートが、その人にとっては絶妙にフィットしていると感じていることがあるのです。

「その人がそれをどう感じているのか」を理解して接することが、その人の世界観で接することだとするならば、姿勢・動作分析の手法からその人を評価することも世界観を理解することにつながるんだと思います。

心身両面からの分析ができ、よりその人の世界観に近づけるようにがんばっています。
先日、ご家族からこんな相談を受けました。
「歩き始めるとスムーズに歩けるんですが、歩き始めの一歩が出ないんです。」

こういう場合、何とか片脚を前に出させようと介助しがちなのですが、そうすると余計脚が出なくなります。

こうなる原因は、両足に体重が乗ったまま歩き始めようとしていることにあります。

どうすれば良いかというと、身体の片側に体重を寄せて、頭と腰と片脚が垂直に並ぶようにしてあげれば良いのです。寄せるといってもほんのわずか、数センチです。

そうすることで、片脚が体重を支え、もう片方が自由になるので、あとは身体を前に数センチ引いてあげれば自然に歩き始めます。この方の場合、極端にスタンスが狭く両足がほとんどくっついていたので、立ち上がった時にスタンスを広げてから歩き始めの介助をすることでスムーズに歩き始められました。

介助方法というのは、ポイントがわかってしまえば何てことないものです。少し練習すれば誰でも出来るようになります。

しかし、ポイントがわからなければ非常に苦労するものでもあります。

理学療法士の仕事として、介助のポイントを見つけて伝えることは非常に大切です。高齢者の在宅生活を支援する上では、個別のリハビリよりも重要かもしれません。

同様に作業療法士は、認知症やうつの高齢者の在宅生活を支援するために、より良い支援のポイントを見つけて伝える仕事をしています。

私たちの仕事は、リハビリテーションの枠組みでいえば、そういう感じになるのでしょう。
危機的状況を回避するために全力で取り組み、改善のきざしが見えるとホッとします。

次の困難にも必死で対応して何とか乗り切り「よし!やった!」と、達成感が得られます。

行動することは、物理的状況を変えるだけでなく、次の危機を乗り切ろうと思う心のエネルギー源にもなるので、非常に重要です。


しかし、その場の状況に反応することを繰り返しているうちに、問題の本質を見失う危険があります。例えば、放射能汚染を、未曽有の大地震のせいにして、原発の問題をすり替えるように。


医療の現場にも、そういう危険があります。

医療とは、医学を利用してヒトの問題を解決することだと思うのですが、医学的に処置してもらったただけで満足して、その人の真の問題が解決されないまま退院する場合、豊かな在宅生活が送れないことが多いようです。


内臓機能、運動機能、ADLなど、目に見える問題は誰にもわかりやすい指標で、そこの改善は、次へ進むエネルギー源にはなりますが、それだけでは「医療サービス」とならない場合もあるんだと、ふと思う今日この頃です。
最近、「身体リハビリをどう進めたら良いですか?」という問い合わせが数件あったので、お勧めの本を紹介します。

「要介護3・4・5の人のための在宅リハビリ―やる気がでる簡単リハビリのすすめ 」/飯島 治著/医歯薬出版



在宅でのリハビリを、非常にわかりやすく、具体的に説明してあるので、お勧めです。

とても便利で現場ですぐに役立つ本なのですが、この本を「リハビリ技術本」として捉えてはいけないと思います。

本の中にも、「リハビリの本というと、リハビリ技術の方法論のみが重要視されすぎているため、大切な何かが忘れ去られている」と述べられています。

大切なのは、なぜこういうリハビリが効くのか、なぜこうするとやる気が出るのか、の部分です。

私自身まだまだ不十分なのですが、「在宅リハはこうすればOK」と思う前に、障害を負って在宅生活を送っている方、そのご家族の「世界観」を感じたり、想像したりすることから始める必要があります。

リハスタッフが関わることで、対象者さんやご家族からは、対象者さん本人が変化することを期待されていますし、リハスタッフ本人もそれを期待しています。お互いが、リハビリ実施後にどれだけ良くなるのか、期待と不安が入り混じった状態で数十分間を過ごす…なんて場合もあります。そういう状況では、ついつい「これが効きそう」という思いが先に立ってしまい、スタッフ本位のサービス提供になりがちなのです。

気をつけましょう。

私も、気をつけます。
先日、パーソナルトレーナーの中野ジェームズ修一さんが主催する研修会に参加した際に、「OK牧場」についてお話がありました。

OK牧場というのは、西部劇の話ではなく、ガッツ石松さんのギャグでもなく、有名な心理学用語なんだそうです。

「交流分析」という心理分析法で使われる指標で、人が、自分自身や他人をどうみているのか、それを振り返る時にわかりやすい表現方法ということです。



人は誰もが、
①自分も他人もOKだと思いたいものですが、時として、
②他人を見下したり、
③自分を卑下したり、
④自分も他人も信じられなくなったりするもので、
その時の心理状態によって、四つのエリア(牧場)を行ったり来たりするものだと。
セラピストは、自分がクライエントにどう接しているのかを意識しなければならないということです。中野さんの言葉で非常に印象に残ったのは、

「OK牧場に入れない状態は最悪です」ということでした。

「自分はOKだが、相手がOKなのか、NOなのかには興味がない」

そんな状態は確かに最悪だなと、その時は思いました。

仕事にもどり、当院の臨床心理士に「ところで、その対応はOK牧場に入っているんですか?」と問われて、びっくりしました。



牧場に入っていなかったのです。


患者さんが今の状況をどう感じているのか、患者さんの心理状態を推し量りながら、患者さんと一緒にリハビリを進めていくということがいかにできていないのか、痛感しました。

理学療法に限らず、看護も、介護も、より良い医療を「与える」「施す」側面が強くなりがちで、それに慣れてしまうと、患者さんがOKなのかNOなのかに注意が向かなくなる危険があるのです。患者さんがNOである状態は、どんな高等なサービスも良いサービスとはいえなくて、患者さんのOKを引き出す努力こそが、医療従事者に必要なスキルであると、今更ながらに気づきました。

まずは「OK牧場」に入れるように、頑張ります。
認知症を患っている方の歩行の介助方法について質問されることが良くあります。

「歩く気がない人を歩かせるにはどうすれば良いですか」
「歩かせようとするといやがって引っ張るんですけど」

歩けない原因となる障害は山ほどありまして、原因によって介助方法も変わるのですが、上記のようなお話しの場合、まず確認しなければならないのは、

「ほんとうに歩く気がないのか」
「ほんとうにいやがって引っ張っているのか」

ということです。もちろん本人の意図があってそうなっている場合もありますが、歩こうとしても一歩目が出ないで身体が固まってしまうとか、前に進もうとしているのに身体は後ろに傾いているという可能性も大いにあります。

このような場合、介助の際に気を付けることは、次のようなことです。

①まずは安心感を与えること …… これから「私と一緒に」歩くことを理解して頂くのが大切です。また、両手を持ったり、腕を引っ張るのではなく、両脇に手を入れたり後方から胴体を包み込むようにしたり、しっかり身体を支えることも安心感を与えます。

②前に引っ張らない …… 立ち上がりは体重を前方に移動させる必要があるので、上半身を前に倒して立ち上がるように介助すべきですが、こういったケースは前方移動を最小限にする必要があります。基本的に、本人が動かせる範囲以上に前に動かすと途端に後にのけぞります。

③立ったら一呼吸おく …… 立ち上がったら5秒程度そのまま動かずに待つことが意外と重要です。「上手に立てたね」とか、「さて歩きますか」など話しながら姿勢の準備が整うのを待ちます。

④脚を出すことよりも軸足に体重を乗せることを優先する …… 脚が出ないのは脚を出す力がないのではなく、軸足に体重が乗っていないのに片足を前に出そうとしているのかもしれません。両脇を持ったり腰を持ったりしながら、左右にゆっくり少しだけ揺らして、片脚に体重を乗せて見て下さい。それだけで歩き出せる方もいます。

⑤かけ声をかけながら歩く …… 「せーの、いち、に、いち、に…」 「よーいしょ、こーらしょ、どっこいしょ」 「わっせ、わっせ、わっせっせ」などは、雰囲気を出すため、笑顔を引き出すためだけに行っているのではありません。歩き出せない方の多くは、歩行するために必要なリズムを自分の脳内で作り出せないので、リズムを耳から取り入れることで歩き出すきっかけを作っているのです。



もしかしたら、「わざと歩かない」のではないかもしれません。そう思えたほうが、介護する方も、介護される方も気が楽なような気がしますが、いかがでしょうか?
今朝のニュースです。

「わがままかなえます」というテーマ。

DIYで壁の色を塗り替えようと思い立った夫婦。ペンキを選びにペンキ屋へ。
何千種類もの色見本から一色を選ぶと、その色を機械が調合してくれます。
実際にペイントした見本を、様々な光に当てて選び、ペンキを調合。
「思い通りの壁の色になりました」

このサービス…私には無理だな、と思いました。
どんな色がほしいのかわからない、部屋の明るさを聞かれても思い出せない…
イメージが具体的でないとダメです。


「選択の自由」がどの業界でも重要なキーワードになっていると思います。
「自分らしさ」「わたし好み」「ニーズの多様化」「自己決定」…
「選択の自由」は人間が生まれながらにして持っている「権利」です。
自由に選択し続けることは良いことで、人生を豊かにするのだから、そうしましょう。


こういう風潮に、「不自由さ」を感じることはありませんか?

選択することにウンザリしたり、プレッシャーを感じたりするのは間違っているのでしょうか?


例えば、部屋の壁色を選ぶ時「明るい雰囲気」「落ち着いた雰囲気」などのイメージはあっても、具体的に何が良いのかわからない状態でお店に行って、何千種類もある色見本の中から「どれでもお好きなものをお選び下さい」と言われて放置されたら、困ってしまいます。自分のイメージや好みを聞き出して、何となく感じていた雰囲気を、具体的にしてくれる店員さんがいてくれたら助かるし、一人で選んだ場合でも、その選択が正しいということを、店員さんがうまく説明してくれたら、何となく安心だったりします。イメージが漠然としている場合、店員さんに助けてもらいたいですが、だからと言って「あなたにはこれが一番です」といきなり言われると、それが正しかったとしても何となく不満が残ります。

自分で選択したという実感がないのは不満ですが、「選択」には正しい選択をするためのスキルが必要だし、「自由」であるが故の不安定感をなくす「支えになるもの」が必要だと思います。

「選択のスキル」「支えになるもの」それが「専門家」だと思うのです。

人間が正確に選択できる選択の幅には限界があるそうです。心身を病んだ状態にある人が正確に選択できる選択の幅は、健常な状態より狭まっていることが予想されます。

専門家である私たちは、専門的な知識でより良い選択をしつつ、利用者様が自ら選択したと思えるようにしつつ、「不安定な自由」にならないように支えていく必要があるのだなと感じました。
「自分が放った一言が患者の人生を変えると思って会話しなさい」と、就職した際に教わりましたが、たった一言がそんなに影響するはずがないと思いました。

看護師から「PTさんが歩行練習してくれてから、〇〇さん歩けるようになりました!」と言われることがありましたが、たった一回の歩行練習で歩けるようになるはずがないと思いました。



しかし、たった一言、たった一回が強く影響する場合がたしかにあるんだと、最近思います。


注意深く見ないと見落としてしまうような僅かな変化でも、タイミングを合わせて軽く後押しすると、変化は爆発的に大きくなる。そんな印象があります。


誰にも口を開かず目も合わせない患者が、
初対面の臨床心理士と長々と会話する場面や、

部屋に閉じこもって全て拒否する患者が、
ホールで作業療法士と楽しげにゲームする場面や、

かなりの介助量の患者が理学療法士と手をつないで歩いている場面などは、

とらえようによっては「先生という肩書があるから・男性だから・白衣を着ているから、患者がその気になった」といえるかもしれませんが、もしかしたら、それぞれの専門分野の目で僅かな変化を見落とさず、タイミングを合わせているからできることなのかもしれません。患者に変化する兆しがあれば、専門家の出番ということだと思います。

例えるなら、古いバイクのエンジンがどうしてもかからず、バイク屋に持っていったら「このエンジン、回りたがってるから大丈夫だよ」と言われ、ちょっとしたコツを教わってからペダルを踏み込んだら、たった一発で「ドルルン」と動き出した…という感じです。

人生を変える「たった」が出せるように、頑張っています。