花七美月(旧グリーンハート)高山紅二子です🌸     

 

 

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エステティシャンとして35年、自己犠牲

を手放し、自己受容により、ゆるやかに

自分を生きることを決め、今までの人生

を書いています。🌺

 

 

 第1章幼少期 です

 

 
 
 
 

前回のお話はこちらです→#57  あの夏の日余命は言えないが・・・ 告知までです。

 
 
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彼が入院すると、まずは、検査ばかりの
日々。入院した病院は、個人病院で、
規模もあまり、大きくはないのですが、
検査機器は、よく揃ってました。
 
出される薬の量もビックリ‼️
当時、入院日記のようなものを書いて
いました。何の薬が出ているか?
ピルブックで調べて書き込み、身体の
状態も変化があれば、記入していました。
 
よく先生が、「見た目は、元気そうだが
病気としては、この病院で、一番重い
病気なんだから」と。
 
私は、仕事の帰りに毎日病院に寄ってから
自宅に帰る日々でした。
もちろん、仕事が終わってからだから、
本当なら、面会時間は、とっくに終わって
いるのですが、そこは個人病院、今から
おもえば、色々と便宜をはかって頂き、
本当に感謝しかないです。
自宅に帰ると、すぐ午前様です。それから
自分の事をして寝るという日々だったなぁ〜😂
 
 
彼が入院して、何が良かったかって、自分の
体調が悪い時には、夜注射や薬を出してもらえ
てました。
 
この頃は、私自身も、休みの度に体調がいまい
ちになるのです。💦
この時代はずっとそんな生活でした。
 
今、思い出してみると、体力的には、結構
いっぱい、いっぱいだったのでしょうね。
精神的に倒れる訳には
いかない。という思いが強かったの
です。ずっと自分の身体の声を無視して
生きていたのです。
 
私より、彼のほうが、大変なんだから。
という想いが、ずっと私を支えていた、とも
言えるのです。
 
入院中は、まだ何かあったら、連絡が来る
というのがわかっていたから、ちょっとは、
安心出来ましたが、退院して、自宅に居る
と、帰ったら、生きているかと思う気持ち
が毎日でした。まだこの当時、携帯は無いか
らね。😱‼️
 
夜寝ていても、かすかな音で目を醒ますよう
になっていました。彼がトイレに起きると
戻ってくるまで気が気じゃ無いのです。
 
こんな日々が5年半つづくのでした。
 
 
 
今日もお付き合い頂きありがとうございます😊
 
 
 
 
 

次のお話はこちら→#59 助からないととわかって入籍しました