RYUの生き方、逝き方 -94ページ目

歯と靴

男女とも

歯と

靴と

鞄(いい素材ならノーブランドでも可)と

下着

ソックスorパンスト

に金かけてりゃなんとかなる。

裏をかえせば

いや哀しくなるので止めようーーーーーーー。

著作権について

著作権についてルームに明文化しましたので、

御一読をお願いします。

キツネのいいわけ

精神分析で用いられる用語で防衛機制(ぼうえいきせい)「欲求不満などによって適応が出来ない状態に陥った時に、不安が動機となって行われる自我の再適応のメカニズム」というもがあります。

その中に「合理化」とう作用があります。

合理化

「満たされなかった欲求に対して、都合の良い理由を付けて自分を正当化しようとすること。例としてイソップ寓話『すっぱい葡萄』が有名。キツネは木になる葡萄を取ろうとするが、上のものが届かないため、『届かない位置にあるのはすっぱい葡萄』だと口実をつける。」

要は責任転嫁の言い訳です。

今の日本は格差社会と言われますが、精神の格差社会でもあると思います。

精神の二極分化です。

責任をきちっととれる人、責任転嫁する人の二極分化です。

これは最近すごく感じます。

俺は会社を経営していて人を採用する時履歴書を見ますが、新卒採用で無い場合どこかの会社を退社して面接に来ているわけです。

で退社理由を聞いた時、前の会社の悪口を延々語る人がいます。

まるで自分は運悪く前の会社を選んでしまった結果退社に至ったのだと、本人は自己アピールのつもりなのでしょうが、正直疲れます。

同じ途中採用でも「自分のスキルが足りませんでした。ですから今デジタルハリウッド(DTP専門学校)に通っています。」と鮮やかに自己の責任を認める人もいます。

中間はいません。どちらかです。

この現象は企業社会の中だけでなく恋愛でも顕著に表れます。

恋に破れた時、前出のイソップのキツネのように相手の悪口を散々言って自己を正当化する人。

自分をいっそう磨こうとする人。

お付き合いに別れがきた時、相手を罵る昭和ど真ん中のメンタリティの人。

「もっと~してあげればよかった、、、。」と思う人。

俺は24歳で起業しましたが今振り返って努力はしましたが苦労はしたと思っていません。

自分で選んだ道だからです。

「選ぶという事」と「恥」を今週記事で多用しましたが、選ぶという行為は責任をとる。

人にせいにしないという事です。

恥を知るとはプライドの確立に不可欠です。

円が120円を切った時から日本は急速に変わっています。

もういい飽きましたが自分の価値は自分で決めましょう。

男と女の正しい格好良さ

磨くという言葉がある。

男を磨く。

女磨き。

色々あるが何の為にかというと選択肢を広げ決定権を得る事が目的だと思う。

選択肢は多い方がいい。

例えば異性を選択する時、町内よりも市内、市内よりも県内、県内よりも国内、国内よりも世界の方がいいに決まっている。

国内という異性の選択肢を持てば黒木瞳もB’zの稲葉さんも入ってくる。

伊東美咲も上戸彩ちゃんもいるんだよ!男性諸氏!

で選択肢を広げる時必要なのが磨く、つまり自分のスペックを上げる行為だ。

磨けば磨く程、選択肢は広がる。

でも黒木瞳を選んでも相手にされなきゃ意味がない。

でここで相手にされる為には、相手に決定してもらわなけらばならない。

その為に必要な行為が「あきらめない!!!」という事だ。

何度も書くが失敗も成功するまで続ければ成功への一過程に過ぎない。

俺は人として、してはいけない行為は「あきらめる」という行為だと思う。

例えばクロコのカバンが欲しいがクロコ風であきらめる。

バーキンが欲しいがコピーを買う。

俺はそこに人間の恥を見いだす。

見いだした瞬間俺は哀しくなる。

自分に妥協してクロコ風買う姿を自分に許す自分が許せないのだ。

だから清貧は正しいのだ。

俺の尊敬する牧師さんもボロボロの国産車に乗っておられる。

病院の明かり見ただけで明日手術する人の気持ちや検査結果待ちの人の不安さを想像できる(あとは過去記事読んでください。記事名忘れました。)最高に格好いい牧師さんだ。

彼の車は、なまぐさ坊主が乗ってるイタリア車よりも清く正しいのである。

長々書いてしまったが、核心を言うと欲しいもの(物だけじゃないよ)があるなら、それを掴(つか)むまで自分を許したら駄目だ。

負け癖なんて存在しない。

あるのは「あきらめ癖」だけだ!!!

あきらめなければ「選択」したものに「決定」してもらえる。

さあ磨こう!

13秒切れ!

ジョゼッペザノッティという存在

先日夕刻突然クライアントから電話があった。

もちろん仕事の話だが夕食とりながらゆっくり話をしたいと、とある料亭を指名された。

で秘書と指定の時間より少し早く料亭に着き玄関で待っていた。

そこへクライアントの社長と見知らぬ女性が一人到着。

秘書だと紹介された。

その社長はずっと秘書無しだったので正直驚いた。

いろんな意味で。

で座敷に上がる時社長の秘書の靴見て俺は哀しくなった。

驚く程安っぽいのである。

彼女がその靴を買う事を自分に許した意思が哀し過ぎるのである。

で祈るような気持ちで自分の秘書の靴見た。

俺を含めすべての靴を駆逐していた。

その靴は俺には正しさの象徴に見えた。

ここで俺の秘書の靴も安っぽかったら俺は商談どころじゃなく泣いていただろう。

秘書に救われ帰りの車で秘書に聞いた。

「鹿末、今日の靴どこの靴?」

「靴ですか?今日はジョゼッペ ザノッティです。何か失礼ありましたか?」

「いや俺は感謝してるんだ。鹿末の靴に、、、。」

「靴ですか?私、靴はマノロ ブラニクかジョゼッペ ザノッティが好きなんです。」

「4月の昇給ベースアップするよ。」

Porscheの意思

自信の定義

自分で自分を認め

それが決して

ひとりよがりでない事ーーー。


もうだいぶん前になるがスチールモデルの俺のガールフレンドに彼氏が出来た。

で紹介されたが、妙にそいつと俺は馬が合い当時、大学院生だった彼と2人で飲みにいったりする仲になった。

ある日当時俺はポルシェに乗っていたが、彼を乗せ神戸大橋でフル加速した。

彼は訳もなく感動しまくり「RYUさん、俺この車買います。」と言った。

彼は免許はあるが車は持っていなかった。

で間もなく彼は商社に就職し年の割に高給だったが、ずっと車は持たなかった。

で俺も忙しいので彼とは疎遠になった。

月日は流れある日彼から突然興奮した声で電話があった。

「RYUさん、俺、ポルシェやっと買いました!」

「えっ?おまえ最初の車ポルシェにする為今まで車買わなかったの?」

「はい!あの時決めましたから!」

不覚にも俺は落涙しそうになった。

ガールフレンドから2人で電車で京都に行ったりしている事は聞いていたからだ。

彼は神戸大橋で自分はポルシェに乗るべき男だと定義したのだ。

定義し実行する男は日本には少ない。

ブランドはこういう男に微笑む。

Pride

プライドと虚勢とは違う

プライドは内に作用し

虚勢は外に作用する

だから何かのはずみで遭難し一人きりになった時

虚勢は瞬時に無くなるが

プライドは残る

一人遭難した時希望を持つか持たないか?

実はプライドが大きく関係している。

自分で判断した自分の価値はプライドで決まる。

ではプライドはどうやって生まれるか?




誰かに命がけで愛された経験の有無で決まる。

最大の名誉とは

最大の名誉とは

決してと倒れないことではない。

倒れるたびに起き上がることである。

孔子

男への鎮魂歌(レクイエム)

女は生まれながらに女だが

男は男にならなければならない。

女は出産すると母だが

男は父親になる努力が必要だ。

はっきり言ってすべての決定権は女にある。

二億の射精された精子から一つを選ぶ決定権も女が握っている。

動物学的にみれば射精したオスは用済みだ。

だからある種の男は芸術を確立し余生をその世界で過ごすことにした。

また別のグループは登山、スカイダイビングなど危険な行為によって「まだ生きてる」という実感を得た。

今はそのささやかな男のサンクチュアリも女に侵食されつつある。

誤解しないで欲しい。

女に芸術やスポーツが不要と言っているのではない。

そんなことをすでにするまでなく女という性は確立されていると思うだけである。

とにかく男は好奇心を持つ努力が必要だ。

もう手遅れかも知れないが、、、。

実は男は社会システム、制度に馴染む労力で手一杯なのだ。

だから好奇心のない男は安物の靴のように哀しく見える。

愛し方を知らないから。

男の愛は好奇心を通して学ぶものだ。

映画「フォレストガンプ」でフォレスト役のトムハンクスが、生残愛しぬいたただ一人の女ジェニーに言う。


「僕は利口じゃないけど

愛が何かは知ってるよ!」


正解だ。

彼は限りなく正しい。


利口で愛を知らないヤツが戦争を始める。

甘えと依存

今日はホワイトデー。

だからって訳じゃないけど一緒にいると「俺は間違っていない。」」と思わせてくれるいい女から相談受けた。

いい女は男に何かを決心させる女だ。

決心とは実は何かを得る作業ではなく何を捨てるかを決める作業だ。

でついでに書くといい女はよく父親の話をする。

その父親像は共通点がある。

魅力的なのだ。

娘がプライドを発見するのは父親が男としての魅力を発揮した時だ。

尊敬、感謝されてもオスとしての魅力が無ければ駄目なのだ。

話がそれてしまったが彼女の相談の核心をいうと「私は甘えているのでしょうか?」というものだ。

彼女は甘えを悪と見なして話していたが内容聞くとそれは「依存」に対する罪悪感だった。

大人の甘えは二本足で立ち寄り添うものだ。

腕を組んでもいい。

大事なのは自分で立っているって事だ。

依存は色々理由をつけ相手に負ぶさろうとするものだ。

そこには幼児性が内包されている。

まあいや「今日は熱があるから学校休んでいいよね。」と言う小学生のように自分の人生にエクスキューズつけ自分の選択権を放棄し責任をとらない生き方だ。

人間やってりゃ実はみんな深傷(ふかで)負ってるものだ。

「そんな事ない!」と言う人は運がいいか鈍感なのだ。

人生歩んだら向こう傷、逃げても追い詰められ、何もしなけりゃ流れ弾だ。

話がそれたが相談の彼女は自立し依存していなかった。

で上記のような事をかいつまんで話すと素敵な笑顔で見送ってくれた。


P.Sバレンタインで親族除いて一番嬉しかったのは一通のメールでした。