RYUの生き方、逝き方 -95ページ目

贈与という脅迫

明日はホワイトデー。

いい機会だから書くが「贈与(プレゼント)は文化人類学的には脅迫になりうる。」とゼミの教授に教えられた。

簡単に言うと優秀な高校野球選手にS球団のスカウトが月々「小遣い」と称して金を渡す。

毎月毎月もらっているとS球団からドラフト指名された時断れない。

いつの間にか脅迫されていたのだ。

だからきちんと育てられホテルのティールームで姿勢良くココアを飲むよう少女は間違っても意味のないプレゼントを受け取らない。

また良家の子女は根本的に物欲が少ない。

乾きがないからだ。

またプレゼントは補完にも使われる。

60歳になっても田村正和のような男は贈与をしない。

する必要がないから。

自力で若い女を口説けなくなった時、男は贈与で女とやっと対等になれる。

また既婚者の男の場合、結婚している事実の補完に贈与を使う。


だから俺はお返しのいらない軽いプレゼントをする事が多い。

薔薇1本とか高級チョコ3つ入りのパッケージとか、、、。

例外もあるが、、、。

三分の一の選択

3つの時間の使い方

1 考えてから動く

2 とりあえず動いてから考える

3 自分の精神の奴隷になる=好奇心の赴くまま

俺は睡眠以外はこの3項目で時間と折り合いをつけている。

猛禽の剣

名刀は鞘の中にあるもの。

威嚇に使っていけない。

抜刀する時は何の躊躇もなく斬る時だ。

その判断の為に男は己を磨く。

俺は出来ればGIORGIOでお茶出してもらってへらへら笑っていたい。

でも事業の世界はパワーゲーム。

古い船も新しい船も同じ海原で勝負する。

そこに日本的センチメンタリズムは毛ほども存在しない。

フル装備の軍備の上で握手する。

あるのは核の抑止力だけだ。

俺はしばらく忘れていた。

その事を。

そして己の軍備も斬るという行為も返り血の匂いも、、、。

凪(なぎ)だったからだ。

起業したては寒風吹きすさぶ中、当たり前に血にまみれ前線勤務だった。

俺は昔から礼節を重んじる。

その礼節を弱さゆえと久しぶりに勘違いした奴がいた。

少し話はそれるがFBIとシークレットサービスは銃の扱いが違う。

FBIは銃の劇鉄をおこし発砲する。

2ステップだ。

シークレットサービスは劇鉄おこしたと同時に発砲する。

1ステップだ。

なぜなら彼らが銃を抜く時は大統領が狙撃された時だからだ。

在職中1度あるかないか。

あればそれは歴史だ。

話を戻す。

俺も最初に書いたが1ステップ。

もちろん仕留めた。

だからこうやって記事書いている。

帰りの車で思った。

刀は錆び付いていないなと。

もう少しこの海にいよう。

イージスの盾

深く理解したい人がいたら

その人が何を守っているかを

知ればいいらしい。

鳥とラクダ

人は人生に意味を求める。

「何の為に?」

ここから苦悩の旅が始まる。

生きる意味は?

鳥は羽ばたき大空を舞い

花は咲くために根をはる

魚は水の中にいる意味を考えない

人は生きる為に生きている。

画家は描きたいから描く。

創作という行為は生産的で前向きだ。

ではネガティブ気持ちで描かれたゴッホの絵は後ろ向きで無価値か?

明るい気持ちは大切で

暗い気持ちは悪なのか?

ならばムンクの「叫び」の立場は?

そもそも前、後ろは誰が決めたのか?

ピラミッドは鳥から見れば四角で

ラクダから見れば三角だ。

どちらも正しい。

それで何の矛盾もない。

あなたはすでに正しいのである。

知魚楽(ちぎょらく)

荘子「秋水」の最後に次の一節があります。

ある時、荘子(そうし、紀元前四世紀頃)と恵子(けいし)が川のほとりを散歩していました。

恵子はものしりで議論の好きな人でした。

荘子;魚が水面に出てゆうゆうと泳いでいる。あれが魚の楽しみだ。

恵子;君は魚じゃない。

魚の楽しみがわかるはずがないじゃないか。

荘子;君は僕じゃない。

僕に魚の楽しみがわからないということがどうしてわかるのか。

恵子;僕は君でない。

だからもちろん君のことはわからない。

君は魚ではない。

だから、君には魚の楽しみがわからない。

僕の論法は完全無欠だろう。

荘子;ひとつ議論の根元にたちもどってみよう。

君が僕に、君にどうして魚の楽しみがわかるか、と聞いた時にはすでに君は僕に魚の楽しみがわかるかどうかを知った上で聞いたのではないか。

僕は濠水のほとりで(恵子の質問後)魚の楽しみがわかったのだ。

36.6

たった一人に愛されれば

世界を敵にまわしても

怖くもなんともない。

この実感

このささやかな

温もりに嘘はない

だから今日も

生きていける

夢の悲鳴

納得ずくで

終わらせた恋が

夢の中で

悲鳴あげる

放棄と受容と愛

あきらめる事と

受け入れる事は

大きく違う



理解される事と

受け入れるられる事も

大きく違う


でもそのままの自分を受け入れてもらう事と

愛されてる事は

実は親戚だ

フェイクな愛のはざまで

人は自分が幸せになる為に人を愛してはいけないと思う。

なぜなら「人を愛する行為」がすでに幸せな事だから。

女優の熊谷真実さんはお母さんが末期ガンにおかされた時、妹で松田優作さんの奥さんの美由紀さんには一切看病させず自分にばかり看病させたそうです。

理由は「美由紀は子育ての過程で自分を殺す事を知っている。あなたはあなたの為に生きてきたから看病しなさい。」というものだったらしい。

俺はこの話を聞いた時、母の最後のしつけなんだなと感動した。

そう愛とは人から見れば自己犠牲の上に成り立つものだ。

たとえばAさんはBさんと知り合ったので命をおとしました。

と書くと「AさんはBさんと知り合わなければ死なずにすんだのに、、、。」と悲劇に感じるが「お父さんが子供を守る為、車にはねられて亡くなりました。」と書くと死んだお父さんは本望だと感じます。

愛とは本来命がけの行為だと思います。