甘えと依存 | RYUの生き方、逝き方

甘えと依存

今日はホワイトデー。

だからって訳じゃないけど一緒にいると「俺は間違っていない。」」と思わせてくれるいい女から相談受けた。

いい女は男に何かを決心させる女だ。

決心とは実は何かを得る作業ではなく何を捨てるかを決める作業だ。

でついでに書くといい女はよく父親の話をする。

その父親像は共通点がある。

魅力的なのだ。

娘がプライドを発見するのは父親が男としての魅力を発揮した時だ。

尊敬、感謝されてもオスとしての魅力が無ければ駄目なのだ。

話がそれてしまったが彼女の相談の核心をいうと「私は甘えているのでしょうか?」というものだ。

彼女は甘えを悪と見なして話していたが内容聞くとそれは「依存」に対する罪悪感だった。

大人の甘えは二本足で立ち寄り添うものだ。

腕を組んでもいい。

大事なのは自分で立っているって事だ。

依存は色々理由をつけ相手に負ぶさろうとするものだ。

そこには幼児性が内包されている。

まあいや「今日は熱があるから学校休んでいいよね。」と言う小学生のように自分の人生にエクスキューズつけ自分の選択権を放棄し責任をとらない生き方だ。

人間やってりゃ実はみんな深傷(ふかで)負ってるものだ。

「そんな事ない!」と言う人は運がいいか鈍感なのだ。

人生歩んだら向こう傷、逃げても追い詰められ、何もしなけりゃ流れ弾だ。

話がそれたが相談の彼女は自立し依存していなかった。

で上記のような事をかいつまんで話すと素敵な笑顔で見送ってくれた。


P.Sバレンタインで親族除いて一番嬉しかったのは一通のメールでした。